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生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

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ラプンツェルの帰還 

父の家(実家)に単身赴任状態で早3か月。初めてここで書いた一作です。新たにPCも買ったし、父が寝た後は長い夜だし、今後も書くしかない、そんな近況です。(このところゲームばっかりしていたんですが)

今回のお話については 珍しいものを書いたようですが、何かを狙ったわけでもなく今後の方向の見通しなんてまるで無く思い付きです。いつものことですが。
全て ただただお題のせいかもしれません。
書いている最中にTVで例の3Dアニメ映画がオンエア。初めて観ました。これもまた別の冒険物語になっているんですね。
色々雑で申し訳ありません。お許しください。


第66回 Mistery Circle バトルロイヤルルール(共通お題) 

●子どもの姿が、煙のように消えてしまった。まるで幻か何かのように。
●――あの頃は確かに、あの牢屋と関係のある「山の鬼」のようだった。
●「お姉さん、もう忘れてる? 言ったでしょ 私は見える気質の人なの。でもってここにも、そういうのがいるのよ。私はその姿が見えるし、声も聞こえるの」
●もうすぐこの身は滅びるだろう。だがこの魂は、あの女と共に此岸に留まる。


※お題出典
《 「霧雨が降る森(下) 」 KADOKAWA/エンターブレイン 著:朽葉つむぎ、原作:真田まこと、イラスト:廻田武 》


---------------------------------------

――誰かが見たら、「隠れて住む悪い魔女か鬼」のように思うでしょう。だから絶対に誰にも見られてはいけないの。見つかったら最後、きっと大勢の人があなたを捕まえに来て、もっとひどい牢屋に入れようとするわ。
そう言いながら、女は 硬い表情を崩すことなくドアというドアのすべてに新たな鍵を取り付けた。窓は、窓とは言ってもすべて硝子が無く木の板を打ち付けたものばかりで外が見える場所は無い。女がドアの鍵を閉めて出て行った後、静まり返った家の中、小さな女の子は獣がうめくような声を出しながら床を這いずり回った。風の音だけが響く寂しい夜だった。

──あなたはお馬鹿さんだから 心配なのよ。
──外に出たら悪い人に騙されて、ひどい目に会う。あなたを守れるのは母さんだけ。そうよ、あなたの味方は母さんだけなのよ。
女の子は黙って、白く美しいその優しい手で頭を撫でられながら、抱きしめられながら、呪文のように繰り返されるその言葉を聞いていた。言葉の意味はよく解らなくてもこの人だけが自分を守ってくれるのだ…そう信じる、そんな目をして。
──だから 母さんを悲しませないでね。母さんは誰よりもあなたを愛しているのよ。心から大事に思っているわ。

この家がどんなところにあるのか、外観がどんな建物なのかなど、女の子は知りはしない。いったい何があって 今ここにいるのかもよく分からない。何故「母さん」が自分をここに連れてきたのか、なぜ「母さん」が自分をここに置いてどこかへ行ってしまうのか 全く解らなかった。

真っ白な雪景色、暖かい部屋。桜色の花の下、涼風に揺れるカーテン、夕焼け…瞼の裏に時折ぼんやりと映像が浮かぶ以外 女の子の記憶は空白しかない。それを表現する「言葉」も今の彼女にはない。

もともと消えそうだった僅かな電気がつかなくなった。寒くはなかったが 暗闇は恐怖心をあおる。いつも女の子は息を殺して「母さん」の帰りだけを待っている。
いつの間にかそのひとが来て、呻きつかれて眠っている女の子の傍のテーブルに 四角いトレイにきれいに盛り付けられた食事を置いて行った。かわいい洋服や髪飾りが置いてある時もあったが女の子には興味が無い。寒さだけ防げればどんな格好だって構わなかった。
それでも絵本を見つけた時の表情は違った。初めは表紙をそっと触り、眺めるだけだったが、ページを開くことを知る。開いたページひとつひとつに新しい色が、風景が、世界が開けた。文字は読めなかったし「ことば」の持つ意味でさえ解らなかったが 少しずつ平面で繰り広げられる「絵」というものが周囲のものを模し、象っていることを理解していく。女の子はいつもページごとに描かれたものを長い間飽きずに眺めていた。絵本の世界だけが女の子をこの場所以外の世界に連れて行ってくれるのだ。
そうやってこの家で目覚めたその日から、一人きりでいても女の子は少しずつ 「獣」からヒトになっていった。もとよりヒトとして暮らしていた幸せな時期があったのだろう。 「言葉」や「文字」を、周囲の「ひと」とのつながりの中で 使っていたことを少しずつ思い出す。

**

ぼくは彼女を助けたかった。僕は彼女を助けることができるだろうか。そしてそれは、ぼくの救いになるだろうか。
**

ある日 きみは偶然寄りかかった廊下の突き当り、飾り棚の後ろに隠し階段を見つけた。階段を上り詰めるとただの短い廊下があるだけだったが、その薄暗い廊下の天井にきみはちらちらと仄明るいものを見つけた。高い天井の一角に四角い形が確認できる。その四角い形の回りから 細い明かりが差し込む。時間によって差し込み方や光の柔らかさ 色あいが変わることにきみは気づく。最初はその変化を眺めるだけでもなんだか秘密の友達ができたように嬉しかったのだろう。時にはその隙間から冷たい隙間風が入ったけれど、きみは一日中でも 廊下に寝そべって 天井の片隅を眺めて暮らしていた。こんなささいな楽しみさえも見とがめられそうな気がしたのか きみは「母さん」に見つからないようにしようと 彼女の来る気配がする前に 必ずそこから離れるようにしている。何もかも 「母さん」の言う通りにすればいい、という信頼や依存は少しずつ崩れている。きみの世界に小さな風穴が空けられたようだ。
カサリコソリとその「四角」の上から音がするだろう?
ねずみかときみは思ったろう。といってもきみは与えられた絵本の中のねずみしか知らない。「くるみ割り人形」の絵本では 怖い敵役だった。ほかの物語では優しい友達だった。怖いけれど会ってみたい。一緒に住んでいる「生き物」がいるとしたら それは素敵なことだ。
数日後のある日、きみは運んできた椅子に上り手を延ばす。高い天井にはそれでは届きはしない。きみはそれでも諦めず 何度も背伸びを繰り返す。やがて疲れてまた 廊下に寝転んでそのまま眠ってしまうのだ。けれどきみは次の日、先の傷んだ箒を持ってきた。それでも箒の先が天井に届かない。もっと長いものはないか探し、紐とモップを探し当てて苦心した末何とかつないで更に長い棒を完成させた。この家には 以前居たひとが残していった様々な生活道具がひっそりと残されている。目的を達するために 道具を工夫するきみを見ながら 知恵、という言葉をぼくは思う。
こん、と 出来上がった長い棒で突つくと四角い明かりの筋が動き、広がった。屋根裏の部屋があることにきみは気づく。これが入口の蓋になっているのだろう。その上に光と風がある。そして 何かがいるのだ。逸る気持ちを抑えているのか きみの頬が紅潮し 目が輝きを増した。
押し上げられて蓋がずれると きみの思ったとおりそこには柔らかな光の入る屋根裏の部屋が見える。不安定な椅子の上で背伸びし、きみは上に上がる努力を続ける。せめてどんな所なのか見たいのだろう。大きな梯子でもあったら良いのだけれどね。椅子を積むのは止しなよ、危ないから。
思案するきみは目の前に揺れるものを認める。もともと上るときに使っていた太い紐だ。驚いて見上げる。大人ならもう少し大きい脚立とこの紐があれば簡単に屋根裏に上がれる。紐の先に手を掛け思案するきみに向けて ぼくの口から 風の音に消えてしまいそうな か細い声が出た。
「上ってくる?」

紐を手繰って上っていくと そこはほんの小さな屋根裏部屋だ。小さな明り取りの窓がひとつ。それぞれの段ボールからは誰のものだったのか、人形や本が覗いている。きみはさっきの声の主を探す。ぐるりと周囲を見回した後、きみは部屋の片隅のぼくを認めた。まっすぐ濁りの無い目でじっと見つめるその表情からは ここに来て以来「母さん」以外のものを見る小さな驚き、言い聞かされて心に根付いた他者への恐怖心 それを超える強い好奇心が見て取れた。

「きみには ぼくがわかるんだ…」
きみは答えない。表情の変化から「聞こえている」ことは解る。意味は届いているのだろうか。きみはぼくに「危険」を感じなかったのだろう、少しずつ前に進み出て ぼくの前に立ち、ゆっくりとその手を差し出した。ぼくの体にその華奢な腕の細い指がそっと触れた感触が確かにあった。ぼくの頬に「温かい」涙があふれ出す。きみがぼくを認めることで ぼくは存する身体を、温もりを感じることができた。長い間消えていた「ぼく」はきみにもう一度生かされた。
──ありがとう、ぼくはここにずっと居たんだよ。今気が付いた。ぼくはずっと誰かに見つけてもらいたかったんだ。きみはぼくに会えてうれしい?
きみの柔らかい長い髪が屋根裏の小窓の光を受けて きらきらと輝く、きみの瞳に今まで見られなかった色が浮かぶ。安心、慰め、親しみ、愛情…それらにきっと近いもの。
忘れかけていたぼくの幾多の感情も蘇る。表情というものもきっと以前のようにあるだろう。暗い閉塞した穴の中に新しい風が生まれ、生命が一斉に芽吹いたような、そんな素晴らしく美しい瞬間だった。
その日からきみは屋根裏部屋に上がってくるようになった。

**

その屋根裏部屋には小窓があった。硝子のないぽっかりした穴のような窓だ。雨や風はさほど入ってこない作りにはなっているようだったが、冬は相当寒いに違いない。いつからずっとそこにいたのだろうか、その不思議な住人はそれでも特に不便を感じてはいない様子だった。
椅子を運び、その上で背伸びするとやっと少しだけ 外を見ることができる。高い場所から 私は毎日空の様子を、遠い地面を少しだけ伺う。
母さんが遠くの坂道を登って近づくのが見えたら わたしはここから離れる。
屋根裏部屋にいた淡く光る輪郭を持ったその不思議な少年は自分の名を「からす」と言った。「ねずみじゃなくて残念?」とも。

彼と毎日屋根裏部屋で会うことで わたしは忘れていた「ことば」を取り戻していった。最初はぼんやりと彼の口元と口から発せられる「音の流れ」とその表情 手振りを見ていた。彼は屋根裏部屋にあるたくさんの箱から絵本や画用紙、クレヨン、人形などを探し当て それらを使って根気よく言葉と絵とのつながりをわたしに教えてくれた。
何かのきっかけでわたしは記憶と言葉を失っていたのだろう。彼と会うことで わたしはさまざまなことを思い出してまた「ひと」に戻る。拙い会話を繰り返すうちにわたしは「かりん」という名前の女の子に、透明で消えてしまいそうだった「からす」は、はっきりとした輪郭を持った少し年上の少年になっていく。
わたしの言葉を取り戻すのに、彼が使ったのは絵本だった。「ラプンツェル」。小さな子供向けに簡単な物語にしたものだろう、短くて文字の少ない、でも絵は見飽きない程美しかった。彼は絵と実際の部屋や窓 お人形や自分自身を巧みに使って 物語を紡いでくれた。何度も何度も繰り返し 塔に閉じ込められた女の子と閉じ込めた魔女、魔女の目を盗んで塔に登ってくる王子の会話を私にしてくれた。
わたしの指に彼が手を添えて、一文字一文字をなぞるようにして読む。いくつかの文字の塊を指しては、絵や部屋の中の物、身体の部分や動きを交互わたしに示す。最初はぼんやりと彼のすることを見ていただけだったが、やがて彼がわたしに何を教えたいのか、思い出させたいのかが朧げに解ってきた。深い霧と闇の向こうから 彼が呼んでいる。声のする方向にきっと光がある、わたしはそれを信じて一歩ずつ手探りで進んで行く。

「ラプンツェル、ラプンツェル。おまえのかみをおろしておくれ!」
絵本で繰り返される言葉を覚え それが屋根裏部屋に登る時 紐を下してもらう合言葉になった。物語の意味が分かり始め、彼が繰り返し読むその絵本の、ラプンツェルという名の髪の長い女の子と王子に わたしは「からす」と自分自身を重ねた。立ち位置は逆だったけれど。

すっかり からすにな馴染み、わたしが言葉を取り戻したある日、「母さん」が屋根裏部屋のわたしたちに気づいた。そして からすもまた「母さん」を間近で見ることで たくさんの自ら消していた記憶を取り戻したのだ。まるで雷が落ちたように。
「…ラプンツェル」
からすは紐を手繰って屋根裏に登ってきた母さんと長い間黙って見つめあった後、かすれた声で そう言った。

**

「『ラプンツェル』なんかじゃないわ。」

「そう、きみは『ラプンツェル』じゃなく『つぐみ』。ぼくは『からす』だ」
封印していた記憶が鮮やかによみがえる。
この屋敷にかつて閉じ込められた子供たち。つぐみにからす、ひばり、それからひいらぎやかえで。それは ただナンバーように割り振られただけの 思い入れ一つない思い付きの呼び名。つけたのは時々やってくる冷たい目をした『先生』だった。僕たちは彼がきらいだった。怖かった。
「そして 同じことをきみはこの子、かりんにもしているわけだ」
ラプンツェル、いや、つぐみは俯いて 唇を噛む。
「外の世界で王子様と幸せになれなかったんだね? かりんはきみのこども?」
「ここを出て幸せになった子なんかいないわ。きっと」
「ここにずっと居て、居るしかなくても 僕は幸せになれなかったよ。つぐみ」
つぐみは前に進み出て 深い空洞のような目のまま僕をじっと見た。
「こんな風になってもなお…あなたは生きている。あの日からずっと?…そうなの?」
「これを『生きている』というならね」
僕は泣きそうになりながら笑う。

**

──きみにもうひとつの「ラプンツェル」の話をしよう。聞いてくれるかい?
母さんの視線を逃れて後ろに隠れた私の方を振り返り からすはそっと私の頬に触れた。
「やめて、聞きたくない」
母さんが遮ろうとする。白い顔が更に青白く見える。
「この子には知る権利があると僕は思う。こんな風に閉じ込めたって幸せにはなれない。解っているくせに」」
「やめて、やめて」
母さんは震える声で叫ぶ。
「やめて、やめて、やめて」
その言葉しか知らないかのように 母さんは言い続けた。だんだん声が掠れ力を失い 母さんは床に崩れ落ちた。
からすは そんな母さんを静かに見下ろしながら 絵本を読み聞かすように私に語り続けた。母さんはもう「やめて」とも言わず俯いて泣いている。

**

どういうわけなのか その子の親にさえも解らない、「能力」を持ったこども、というものが生まれることがある。親はその赤ん坊を扱ううちに気づくのだ──この子は普通の赤ん坊ではない、何かとてつもない力を持っている。恐ろしい、得体のしれない生き物。ある親は恐れ、ある親は拒否し遠ざけようとさえするのだ。
自分の力がどういうものかも知らず、コントロールすることもできない子供たち。いつか何かのきっかけでその力を暴発させかねない。
──きちんと注意して育てないといけません。あなた方の手には負えない。
どこからかその子供の存在を嗅ぎつけて現れる「使者」は 親に言う。この子は危険です。隔離しなさい。
そうやって、あるいは親自ら手放すことを望み、置き去りにされる「特殊なこども」が
その丘の上の「塔」に集められ 外の世界を知らないまま一緒に暮らしていたのだよ。
そう、それが つぐみや僕だった。
ぼくやつぐみのように小さなこどもは 自分にどんな力があるのかも知りはしない。「外のひとたち」と自分のどこが違うのかなんて知らない。ぼくに至っては「外のひとたち」を見たことすらなかった。真っ黒な布に包んで捨てられていた、真っ黒な髪と黒い瞳の、泣かない赤ん坊。そう、年上の「なかま」がからかい気味にぼくに言った。だから「からす」なんだよ、名前に親と繋がる由来があるだけいいじゃないか、とも言った。
その年上の子は「モグラ」と呼ばれていた。ずっと目を閉じていたが、目が見えないのではなく「見えすぎるからだ」と自分で言った。幼い僕が無遠慮にしつこく聞くと気難しい彼が嫌な顔をすることは解っていたので 僕はそれ以上聞かず、彼の様子を観察し、推測した。年上のこどもたちが何人もいたが、彼のようにはっきりした特徴がある者は少なく、とりたててどこにどんな力を秘めているのか解らない者も多かった。
そして各々 毎日何かの訓練や勉強の時間があり、やがて迎えの車が来てどこかに連れて行かれ、そのまま帰らなかった。
「ラプンツェル」の話がまだでてこないときみは思うかもしれない。僕にとっては辛い最後の思い出なので どうしても後回しになるね。今から話すからもう少し聞いてくれるかな。

この屋根裏部屋を見つけたのは僕だった。ちょうどきみのような具合でね。面白いくらい同じやり方で ぼくはここに登り「外の世界」を眺める。ああ、だけど元は分厚い硝子が嵌っていたよ。
同じ年頃で仲良しだったつぐみにそっとその秘密の屋根裏部屋を教えたのは たまたま他のこどもたちが一斉に何処かへ連れて行かれた日だった。まだ何の力があるのか解らない出来損ないの僕らだけ 家に残されたんだね。
つぐみは目を輝かせて窓に顔を押し付けた。毎日でも外を見たい、僕もつぐみもそう思ったけれど ほかの子供たちや「寮母さん」、「先生」に知られたらきっと禁止される、そう思うと 慎重になった。「先生」と違い「寮母さん」は優しかったけれど、いつも何かに怯えている感じだった。僕は最初その「恐れ」の相手を「先生」だと思っていたけれど、違うんだ、何をしでかすか解らない 未知の能力を持った小さな僕らがきっと一番怖かったのだろう。皮肉なことに僕らはそれに気づかず、「寮母さん」に甘えたがった。

「ラプンツェル」と僕がつぐみを呼んだのは あの日からだ。きみはここへ紐で登ることを物語に重ねていたけれど、そうじゃない。「ラプンツェル」は外の世界の王子と知り合えたんだからね。外の世界から魔女は戻り、塔に登ってくる。それを垣間見た王子もまた外の世界の人で、魔女を真似て ラプンツェルに会いに来る。
そう、つぐみの王子は塔の中の僕じゃなく、窓の外にいたんだよ。つぐみは窓の外に彼を見つけ彼もまた「魔女の塔」と噂される屋敷の屋根裏の窓に、初めて人影を認めたのだ。美しい囚われの少女をね。

**

私は母さんを見る。泣きはらした目をして ぼんやりと空を見つめている。今まで見たことのない弱弱しい姿。硬い表情で扉の鍵を閉めて出ていくあの強い母さんとは別人のようだった。
「どうして わたしをここに閉じ込めたの?こどもの頃 母さんたちもここにいたの?ここがいやだったんじゃないの?そとにでたかったんじゃないの?ここにずっといるの、つらかったんじゃないの?どうしてわたしは何もかも忘れていたの?」
長いことばを話すのにはまだ慣れていなかったので すらすらとは言えなかったけれど 母さんにぶつけたかった言葉はそういうものだった。わたしの口から「言葉」が出ることに母さんは驚いている。わたしがからすから言葉を思い出させてもらったことさえ 母さんは気づいていなかったのだ。いつまでもわたしが 置き去りにされたこどもの獣のように暮らしているとなぜ信じたのだろう。このひとは。

**

かりんの口から言葉が発されるのを聞いて 私は身震いした。思い出したのだ、この子は。言葉を?それとももっと たくさんのことを?
ふらふらする身体を起こし かりんに近づく。触れようとする手にびりりと電気が走った。かりんの目が異様な光を放つ。
「自分が何者か解っていないのよ、この子は。このままだと恐ろしいことになるわ」
からすの方を向いて私は叫ぶ。風も無い屋根裏部屋の中でかりんの髪が生き物のように浮き上がって揺らいでいる。あの時と同じだ。床が揺れ、壁や天井が嫌な音を立てた。
からすはかりんの様子で察知するはずだ。私がかりんを閉じ込めた理由を理解してほしい。
私たちの仲間の中にも居た。不幸にもとてつもなく大きな力を持って生まれたこども。「破壊神」と年かさの子供たちは呼び 彼の感情の変化を恐れた

**

「かりん」
ぼくはつぐみの言葉を制し 低く静かな声でかりんに呼びかける。かりんの力が暴発する前に沈めないといけない。きっとその力を出し切って、抜け殻のようになったまま彼女はここに連れて来られたに違いない。何か彼女の身に起きたのだ、言葉と記憶を失うほどのことが。そしてつぐみが恐れたのは その力を彼女が自覚しておらず、抑えることができないということだったのだろう。
「かりん、かりん。お願いだ こころを沈めて…」ぼくは、彼女が喜んだあの「ラプンツェル」の物語の 呼び声のように節をつけてささやく。きみに聞こえるだろうか。

**

遠くから何度もわたしを呼ぶ、からすの声が聞こえた。身体を包み込んでいた熱のようなものが徐々に引き、内側から燃えるような熱いものが冷めていくのが自分でも解った。足に力が入らなくなって倒れそうになる。からすが駆け寄って支えてくれた。

**

「…下降りよう。お茶でも…入れるわね」
力尽きた表情で私が言うと、からすは悲しそうにくっくと笑った。
「ぼくがどうして今までここに居たと思ってるの?こんな姿で?」
そうだ、からすは私より年上だったはずなのに その姿は最後に見た彼のままだった。
この屋敷には「普通でない」こどもが大勢居て、「普通ではない」力を見せられる場所だった。少年のままの姿で屋根裏に未だ居る彼を見ても違和感を感じなかったのは この場所の持つ特殊さに感覚が麻痺してしまうのかもしれない。
「ぼくときみ、小さい子供たちの幾人かだって 自分のどこが特別なのかも知らなかったんだ」
「私は未だに解らない。何もできない。貴方はこんな風に生きることができた、それが『力』だったという訳?」
「覚えてる?切り傷、擦り傷、熱や病気 ぼくはどれも一瞬で回復した。一緒に色々試してみたよね。」
それに気づいた僕は、つぐみにナイフを持たせ傷をつけさせた。最初は怖がって嫌だと言っていたきみも徐々に慣れた。
「いいんだ。ぼくらにとっては何も残酷な遊びじゃなかった。ぼくたちは退屈で…寂しかった。僕は自分が何者なのか知りたかった」
黒い布に包まれて捨てられたのも、僕を必要としなかった親が、傷つけても傷つかない 殺めても殺めきれない赤ん坊を不気味に思った末だったのだろう。それともそんなことすら気づかないまま、ただ不要だっただけなのか…。つぐみがここを抜け出せたあの日から 僕は自分の存在をどうやって消せるのかばかり試してきたんだ。
「気づいたんだよ、傷やダメージでも死ねないけれど、少しずつ消えていけることにさ。その代償にここから動けなくなるなんていうのは 予定外だったけどね」
呆けたように座り込んでいた かりんがふらふらと起き上がった。

**

からすと母さんのやりとりの中「傷」「傷つける」という言葉の繰り返しに、何か思い出さないといけないものを感じる。真っ黒の背景。鮮血。恐怖。後ろから延ばされた誰かの手。
わたしは何をした?わたしは何者だ?きっとわたしは恐ろしいことを忘れている。
フラッシュバック。
たくさんの断片的な記憶 気味の悪い声や、歪んだ映像や黒い気持ちの渦が迫って来た。頭が痛い。目を開けていられない。立っていられない。ここはどこだ。そこにいるのは誰だ。私は何者だ。目をつぶったままなのに ざわざわとひとの気配が押し寄せる、こどもたち、孤独、恐怖、持て余す力 満たされない心 あなたたち、あなたたちは わたしと同じ。
そうだ、わたしに襲い掛かった知らない男は 一瞬にしてはじけ飛ぶように倒れた。男の周りに血が流れ出た。「見ちゃいけない!」母さんはわたしの手を引いて走ったのだ。走って、走って、走って。
──だめだ、今 思い出すな!
からすが叫ぶ。母さんの悲鳴。激しく震える壁、天井、落ちてくるもの。裂けるように割れる屋根裏部屋の床。わたしは何者だ。母さん、母さん、母さん。
助けて。

**

丘の上にかつてその石づくりの屋敷はあった。
身寄りのないこどもたちが暮らしていると言われていたが、彼らが庭に出て遊ぶ姿は誰もみたことがない。魔法使いの家だとか悪魔が住んでいるのだとか 村のひとたちは噂した。
何を目撃した者がいたのか、ひそかに集められているあの子たちは 奇妙な力を持っている、近づくと恐ろしい目に遭う怪物だ。近づくな、関わってはいけない。
それでもある日 村の青年が初めて、一番高いところにある窓に女の子の影を見る。美しい少女だった。あの子が悪魔や魔女であるはずがない。閉じ込められたかわいそうなラプンツェル。
青年は窓に一番近い 高い木に登って 毎日彼女に呼びかけた。遠い窓越しで声も聞こえなかったが 寂しそうな目をした少女は 毎日やって来る青年に親しみを覚え、次第に彼の来るのを楽しみに待つようになった。彼の姿を見てはにかみながら微笑むようになった。
だが、ある日少女の後にいるもう一人の姿を見たとき 青年は身震いする。黒い髪黒い服 暗い目をした、あれは子供の姿をした何か。あれこそ悪魔か怪物に違いない。
「ラプンツェル」をあの場所から逃がしてあげたいと青年は思う。でもどうやって?

**

異変は別のことで起こったのだ。強い感情を爆発させると周囲に破壊をもたらすと言われていた少年が、その日誰かと衝突したのだ。彼の底知れぬ力に皆は恐れを抱いていたのに、何が原因だったのだろうか。彼の小さな身体のどこからそんな声が出るのか解らない程 高く響く声が長く長く続き 屋敷の硝子という硝子が一瞬にして砕け散る。喧嘩の相手は弾き飛ばされて倒れた食器棚の下敷きになった。細かい硝子の破片が周囲に居た子供たちにも降りかかっていた。階下の騒ぎは酷かったが、屋根裏部屋の二人は硝子が割れた小窓を前に事態が呑み込めず沈黙していた。いつものように窓際にいたつぐみを、突き飛ばして庇ったからすの全身に尖った硝子の破片が刺さっていた。

「知ってるでしょ?ぼくは大丈夫。傷はすぐ消える。」
震えて泣くつぐみにからすはそういうと、空洞になった窓を指さした。
──こんな時のために用意はできているんじゃなかったっけ?
「大丈夫、ぼくは 死なない。きみは先に自由におなり」
いつかここから脱出する夢を見ながら、二人でこっそりと集めた布を裂いて繋いだ、長い長い紐が、屋根裏には隠してあった。そして窓の下には 何が起きたのか心配そうな顔の「外の」彼が待っている。

「下が騒いでいる間に 早く」
癒えるのは解っていたが 傷だらけの痛々しい姿で倒れるからすを残していくことはためらわれる。「一緒に…」手を延ばしかけた時 「寮母さん」が二人を探す声が聞こえた。
「早く! 今しかない!」
紐の一方を持ち、もう一方を差し出して、からすが苦しそうにゆがめた顔で叫ぶ。

**

ラプンツェル、ラプンツェル。外の世界で幸せになれた?
きみの「力」は 結局何だった? 
崩壊した屋敷から逃げた子供もほかにいたかもしれない。あるいは行く場所も持たず、「外」で生きる術も無く、こどもたちはまた別の場所で同じように暮らしたのかもしれない。屋敷は釘打たれ、閉じられた。屋根裏部屋はそのまま忘れ去られた。

**

僕は今 かりんと共に居る。すさまじい轟音と共に屋敷は崩壊し、僕はあの部屋から解放された。ぼくの姿はもう誰にも見えないだろう。意識だっていつまであるのかも分からない。それでもいい、と思う。こんな不死なんて望まない。
だけど、つぐみ、できるだけのことはするよ。かりんが自分の力を知りコントロールできるまで支えていく。また力尽きてたくさんのことを忘れたら 何度でもまたやり直す。

丘の上の瓦礫の中でつぐみの衣服の切れ端を見つけた。つぐみの姿はどこを探しても見つからなかった。長い間立ち尽くした後、ぼくたちはその切れ端を、かつての「彼」の登った木の根元に埋め、葬った。幸せになれなかったラプンツェル。ぼくたちはどうしてこんな風に生まれてしまったのだろう。答えはどこにも無い。誰も教えてはくれない。

「つぐみの『力』はこんな風に跡形も残さず逝ってしまうことだったのかな。まるで煙みたいに…」
─横そして きみという計り知れない力を秘めた存在を産み出す役割が…でも今はそれは言わないでおこう。
「でも」
押し黙ったままだったかりんが さっきからずっと繰り返し考えていた言葉を口にする。姿の無い僕の言葉にかりんは自然に答える。これからどれくらいの時を僕らはこうやって生きていくのだろう。
「こうも想像できないかな。母さんはどこかの裂けめや歪みを通って別の時間や別の場所に行った…。そんな『力』を持っていたのかもしれないって」
泣きはらした瞳で、まっすぐに丘の遥か遠くの空に向けたまま かりんは僕に言う。それは祈りにも似ていた。
「行った先の世界が つぐみにとって生きやすい 幸せな場所ならいいね」
僕の願いはあの時からずっと同じだ。

「いつか 会えるかな」
「きっとね」
丘の上の高い空で 名前も知らない鳥が 一声高く鳴いて飛び去った。

 








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クリスマスパレード2016 Pandora(パンドーラ)4

クリスマスが今年もやってくる~。
クリスマス頃になると現れるシリーズの連中です。
「私にまるで興味ない~♪」の歌詞とわちゃわちゃと大勢の人が踊るPVの歌がありましたが 書いている間それがぐるぐるしていたことは事実です。関係なかったはずなんですが・・・。



私 明日から絶対に幸せになる。神様よりも誰よりも。
どこかで聞いた台詞の真似だ。どうしてそんな言葉が出たのか自分でも解らない。 神様なんて全く信じちゃいない。信じていないからこそこんな台詞が言えるのかもしれない。そもそも「神様」ってやつは「幸せ」なんだろうか。
今日私はどん底まで落ちる、これ以上落ちられないところまで行く。そうしたら間違い無く 明日は今日より幸せだから。

その日、私は島崎大地に告白した。世の中はクリスマス。昨日からロマンチックだの愛だの幸せだのが街には溢れている。 相手が自分のことを嫌いだろうと思いながらわざわざ告白する自分を馬鹿だと思いながら でも今日 こうしなくてはいけないという私の決意は固かった。
自分を不幸だと思うのは今日限りにしよう、だからすっきりしたいのだ。決してあっちも私を好きだとか、付き合うことになるなんて結果はありえない、期待もしない。
クリスマスケーキ売りのバイトをしている彼を ずっと見ていた。
「中学生がアルバイトなんかしていいの?」
帰りを待ち伏せして話しかけた。口を利くのは初めてだった。上目づかいでちらっと私を見たはずなのに、まるで私なんかいないみたいに島崎大地は通り過ぎようとする。
「待ってよ。待ってくれないと先生に言うから」
立ち止まった相手は振りかえりもせず 低い声で答えた。
「勝手に言えよ。親戚んちの手伝いしてるだけだから」
「嘘」

*

「白坂 麻友」
大地自身は仕事を依頼してきた女の名前を見ても気づかなかった。大地が電話を切った後 その名前のメモを見た橋村が「俺らが知ってるヤツ…かも」と言いだした。
「俺らって、誰と誰?」
全く見当もつかない大地に、「中学の同級生」だと橋村が言う。
中学で同級生と言われてもまだピンともこないと首をかしげ大地が聞くと 同じく同級生の響子は「白坂さん…」と少しだけ間を置いてから ちょっと言い難そうに切り出した。
「3年のクリスマス 大地に告白したっていう、あの?」

大地が「人材派遣」の仕事を初めて2年になろうとしている。植木の剪定とか溝掃除とか買い物代行だとかお年寄りの口コミで少しずつ仕事が増えてはいる。近頃やたら年寄りの知り合いが増えた。仕事を発案しておいて大地に丸投げした市役所勤務の野瀬が最初に挙げたような 「寂しい女性のためのレンタル彼氏」とか「親を安心させるための偽婚約者」なんて仕事は今まで皆無だ。それはそういうことに疎い大地や極端に口べたな橋村をほっとさせたことでもあるのだが。



「中3のクリスマス、その子に告白されたって?」
野瀬が聞きつけて身を乗り出して聞く。指定の日が近づいても大地が望む体調不良にもならず、依頼が込み合う気配もない。ため息をつきながらいつものメンバーでお好み焼屋の鉄板を囲み、豚玉と焼きそばをつついている。野瀬はこういう話を聞き逃す男ではない。何でコイツにそんな話をするんだ、面倒くせ、と大地が橋村の足を蹴る。
「で、その相手が何の仕事の依頼?」
やるなと言われているのに、野瀬はお好み焼の片側もまだ焼けない内につつき回す。
それが…と大地が実に嫌そうな顔をして言う依頼の内容は「プロポーズしようとしている相手から自分を奪って欲しい」ということらしい。
「で、誰がするの?その仕事」
「せ…先方が 大地指名だから…」
橋村が出来る限り関わりたくないのを露わにして、読んでもない漫画のページを捲りながら言う。
「何 それ、その時のクリスマスのリベンジなわけ?」
野瀬がますます身を乗り出して聞く。目が輝く。爽やかなイケメンのはずなのに、そういうところがゴシップ好きのおばさんみたいだ、と以前も誰かに言われた気がする。
「クリスマスと言えば、商店街の飾り付けと宣伝と催事も依頼があったんだよね、何か考えあるの?」
野瀬が嬉しそうに聞く。都合のいい時だけ傍観者の振りをする。そのくせ絶対口を挟んで来る。何も考えていないのか、いまはこっちの「依頼」のことで頭がいっぱいなのか 大地は聞こえないふりをして焼きそばを頬張っている。

「でも よく覚えていたな、パッシー、意外だね。女子の名前なんて」野瀬が橋村に言うと
「ほんとほんと、野瀬くんなら 全員フルネームで覚えてそうだけどね」大地が応える。
「お前こそ 告白された相手の名前も思いださないなんて 何て冷たい…。何て言われて、何て返事したの?」
しまった、また話題がこっちに来たという顔をしてから、大地もしぶしぶ思いだそうと試みる。
「うーん…何だか相手は『明日から神様より幸せになるんだ』とか言ってた」
「それって 大地と付き合えればってこと?」
「いや…なんか良く解らない理屈でさ、そうだ、確か『どうせ私のことなんか嫌いよね』とか『気にせずお前なんか嫌いだって言っていいから』とか言った」
「どういう理屈なんだか」
「ともかく凄く面倒くさい奴だった」
「大地だってそこそこ面倒くさいじゃん」

「でも 大地と白坂さんってそれまでに接点あったっけ…」
ずっと記憶を手繰って黙ったままだった響子が漸く声を出した。じゃれあっていた大地と野瀬、傍で話題をなるべく自分の方に向けないように漫画を読むふりをする橋村の顔が響子の方に一斉に向いた。
「えっ、ええと、そのね、多分3年とも同じクラスじゃなかった…と思うし 大地は女子を避けてた時期だし、白坂さんはその…」
視線を集めて焦る。焦ると赤面する上に挙動不審になるのが響子の特徴でもある。減ってもいないコップの水を継ぎ足し、次は鞄をごそごそかきまわしている。何も探してのいないのは明白だ。

「っていうか、何で大地だったんだろ?どこがいいのこいつの。」
え、わ、私は…焦る響子を横眼で見て 代わって大地が返す。
「学年で2番目に不幸だったらしい」
言い方がやたらそっけない。
「何?それ」
「1番不幸そうなのは俺なんだって。だから告白したんだと」
「ますます 謎だな、結構覚えてるじゃない。もっときちんと説明しないさい、島崎くん。響子ちゃんだって詳しく聞きたいよねぇ」
そんな風に言われて本気で困り顔の響子の顔をちらっと見てから、大地はぽかりと野瀬の頭を叩く。
「お前 本当にうざい」


 指定された喫茶店のドアには大きなクリスマスリースが掛けられている。ジャズバージョンのクリスマスソングが小さく流れているのが心地よい。
「おい、どれだ、白坂って」
「あの水色のセーター。さっきお前に本人が送って来た画像、ほら」
野瀬が、奪っていた大地のスマホを差し出す。
「何だ 意外と美人じゃない。あんなに嫌そうにするからどんな子かと思ったら」
後ろから肩を掴まれ耳元で囁かれる。
「なんでお前までいるんだよ」
「何か 面白そうだし」

入り口近くの通路でツリーに身を隠しながら二人が小突き合いをしている傍を、新たに入って来た客が「失礼」と声をかけて通り抜けた。植物なんて全く興味無いくせにポインセチアの鉢を眺めているふりをしていた橋村が「え?」と言ったまま固まる。橋村の見る方向を二人も見ると、その新客が 水色のセーターの前に腰を下ろした。


「痛み」が必要だったのだ。どうしても。
親戚の強い薦めで父が再婚した。自分の悲しみも癒えない内から仕事と家事と私の心のケアに父も草臥れ切っていた。仕方ない、むしろ父のためには良かったと思った。
相手の「頼子さん」は何の問題も無い良く出来た女性だ。優しくて明るくて、なにより亡くなった母のことを大事に思ってくれる。母を恋しがる私の気持ちを汲んでくれる。「お母さん」と呼ぶことも無理強いはしない。「新しい家政婦さんだと思ってくれてもいいよ」「少しずつ仲良くなろうね」そう言ってくれる。それでも反抗したり拗ねてみせたりもできたのだろう。難しい年頃だからと言っておおらかに付き合ってくれたかもしれない。でも 私にはそれもできなかった。これ以上父が悲しい顔をするが嫌だったのだ。また「母」を失うのを怖れたのだ。美味しいご飯、さっぱりと片付いた家、可愛いお弁当。アイロンの掛ったブラウス、灯りのついた家に「お帰り」の声。それでも、すんなり幸せになってはあまりに母が可愛そうだ。
だから私には「痛み」が必要だった。

*
「お父さんとか?」
「いやむしろ爺さんじゃね?」

ひそひそと言いあっているとまた携帯にメールが届く。
「今 割り込めって」 
行けとばかりに野瀬に背中を押され 依頼人のテーブルの脇に大地が飛び出る。向かいに座った予想外の相手のせいで大地が調子を崩し、もたもたしている。
「大地、何しに来たのよ」
依頼人の白坂麻友の方から芝居を始めたことはギャラリーには明らかだったのだが、当の大地はテンパってしまっているので、まともに受ける。
「何しにって、え・・・、それは そっちが…」
大地に気づかせようとしてか、麻友はわざと大きな音を立てて立ち上がった。打ち合わせはある程度しているはずだが結局打ち合わせ通りにはいかないのが常だ。
「今更 どういうこと?私になんか興味ないって言ったはずよ」
頭が真っ白になった様子の大地をどうしたものかと響子がはらはらしていると 橋村がつんのめって通路に飛び出てしまった。
「良太?」
つり目鈎鼻の特徴ある顔は、昔からちっとも変わらないのだろう、橋村の姿を認め、予定外の展開に麻友が少し慌て様子を見せた。更に誰も予想しなかったことが起きる。
図らずも飛びだしたはずの橋村が、いきなり麻友の腕を掴んで 喫茶店から引っ張って出たのだ。
「何よ、どういうこと?打ち合わせ通りにしてよっ」
高飛車な物言いの女だ。珍しく橋村が大きな声を出す。
「あ、あんな爺さん、たっ、たぶらかして…な、何やってんだよっ」
「たぶらかし…って、何よ」
「あいつが お、お前にプロポーズ?金まで払って邪魔してくれって なっ何たくらんでるんだ」
「は?何言ってるの?私が何やってるかなんか 知らないくせに。」

妙に親しげな二人のやりとりを、ぽかんとしたまま見守る大地、後から追ってきた野瀬は事情が解らないまま興味深そうに眺めている。

*
「で、何を知ってるんだ?『良太』?」
部屋に帰った大地が橋村に聞く。 今日は野瀬は自分の仕事で参加していない。そういう日は落ち着いて話ができる、と大地は思う。
「あれは、う…うちの実家の近所で有名な金持ちの 一人暮らしの爺さんだ。」
「お金持ちの爺さん、ね」
「近所って 白坂さんも?」
大地の部屋で慣れた手つきでお茶の用意をしながら響子が聞く。
「うん、俺、麻友の亡くなった母さんのことも知ってる。入院中はあいつもよく病院に通ってた、母さん 励ましに。」
「落ち込んで とぼとぼ歩いてたと思ったら 友達の慰めに急にキレて殴りかかったり。小学校の時だけど」
橋村は結構 麻友のことを心配しながらずっと見てきたようだ。意外な橋村の行動にも何となく説明がつく。
「ふうん…橋村君と白坂さん、幼馴染なんだ」

「中学生にしてあいつが自分のことを『どん底』だの『一番不幸』だの言ってたのは その辺のことか?」
「うん、別に貧乏だったとかでもない。多分今も金に困ってるってことはない、と思う。けど…」
「けど?」
「お父さんも麻友を気遣って気遣って、考えた末 再婚してさ、新しいお母さんも…いい人だったみたいだし」
「随分よく知ってるな」
「う…うちの親 仲良かったから…」
母親の絡む話に、大地も色々思うところがある。 響子の淹れたお茶をゆっくりすすり目を閉じたあと、大地は真面目な顔で言った、
「いい継母ね、それも、いいんじゃないか」
「けど…」
「まだ、『けど』かよ。歯切れの悪い」
橋村がその後口ごもる。
「大地…大地が知らなさすぎるだけだ。っていうか女子の方がよく知ってるんじゃないか…な?」
橋村が響子の方に話を向ける。自分では言いたくない、そんな風だ。

*
ぶつけた跡や噛んだ傷、時にはペンやカッターまでも自分に突き立てた。痛みを感じている「私」なら信じられる気がした。病床で泣いていた母を忘れまい、失った悲しみはそんな 簡単に癒えてはならない。そう信じた。私には「痛み」が必要だったのだ。
私に優しくするな、私に構わないでくれ。誰も。
行為はだんだんエスカレートしてゆき、3年の夏休みの間中私は自分を傷つけ続けた。


夏休み明けだった。あの子、肩とか腕に痣とか傷が複数あると、誰かが言い出した。衣替えもまだなのに長袖のブラウスや体操服を着て、先生に指摘されていたのを響子も覚ている。無口な子で、いつも一人で本を読んでいた。苛められていたという話は聞かないが、自分から距離をおいている感じだった。彼女の他人の目を気にしない自ら孤立する態度に苛立ちを感じる子もいただろう。痣や傷を指摘して声を掛けたのはそういう子だったのだと思う。彼女のことを「心配して」という形で。虐待を受けているんじゃないの、そう言えばお母さんって 本当のお母さんじゃないんだよね、大丈夫?そんな風に。
「いい加減な噂が広がって 先生もほおっておけなくなったんだと思う」
響子も噂話は嫌いだ。人の家の事情を詮索したり心配を装って聞き出しするのは違うと思っている。大地の家庭だけでなく、響子の家にもそれなりに問題があったからだ。

響子が覚えている話を少しずつし出したのは 次に会った時だ。野瀬の家で鍋をするからと大地、橋村、響子が呼ばれた。野瀬は早くも妻子持ちだ。子供は大地に懐いていて、いつも転げまわって一緒に遊んでいる。
「お母さんが呼び出された日、白坂さんが職員室で大暴れしたって。虐待なんて見当違いだ、余計なお世話だって。なだめる先生に掴みかかって…お母さんは泣くし…」
大騒ぎになったから、学校でも有名な話なのに大地が思い出さないのも意外だった。
「それからあいつ、学校来なくなった。2学期の半ばごろだったかな。来ても保健室登校だった。」
橋村はやっぱり麻友の様子をよく見ている。
「クリスマスのすぐ前くらいだったかな、今度は家が火事になって、お母さんが入院したの。そんな話も大地は全然覚えてない?」
「ちょっと待って…、その火事の話なら覚えているかも」
あまり反応のない大地に代わってそう口を挟んだのは、中学校の違う野瀬だ。

隣町でも同じ学年の女子の家が火事になったという大きなニュースなら話題に上る。中三の娘は夜中なのに外出だったという情報もあった。警察に細々と事情を聞かれはしたが原因は布団がたまたま被さったストーブだったと解った。学校でも家庭に何か問題があると親を呼び出した直後のことだったので近所や校内で、心無い憶測が広がっていた。

「成程 どん底ではあるな。大地に告白したクリスマスって その年なんだ?」
「お前は またその話に戻したがる」
大地があきれ顔で、割って入る野瀬に言う。野瀬は家族の中での苦労とか他人に知らせたくない秘密、暗い過去話なんかには全く無縁の男だ。 部屋には孫のためにと両祖父母に買ってもらったおもちゃが溢れている。鍋の湯気の温かさ 子供のはしゃぐ声 パッチワークの壁飾り、奥さんの微笑み。幸せな家庭ってこういうのだよね、と響子は思う。

*
大垣内幸助氏と道でばったり会ったのは偶然だったのだろうか。大地は思う。会って麻友のことを話すために俺を探していたのかもしれない。
大地の顔を認め、相手は一瞬で気がついたようだ。にこやかに会釈して近づいて来た。あの日麻友に「プロポーズ」するはずだった相手だと こちらもすぐに気がついた。
「少しお話できませんか?島崎大地さん、ですよね」

例の喫茶店がお気に入りのようで 誘われて大地はそこに入る。赤い布張りの椅子。長年磨かれてきた深い光沢のあるテーブル、温厚で生真面目そうなこの話し相手に、ぴったりの店だと思う。
「ここで彼女と知り合いました」
背筋を伸ばしたまま相手は大地に言った。
「若い人の来ないこんな店に 初めはふらりと入って来た感じでした。それからたびたび来るようになって 会釈するようになりました」
事情は全く知らされていなかった。あの日も結局 その場に乱入して麻友を橋村が連れて出ただけで 何をしたということもない。怒って帰って行った麻友だったがその後、黙って振り込まれた約束の額を見ると 仕事は結果オーライだったのだと思っていた。

「私とのお付き合いを終わりにするために 頼まれたんでしょう?」
「はあ…」
「いいんです。何をお話し頂いても。今後彼女が困るようなことは致しませんから」
そう言われても 何も話す内容が無い。
「彼女は優しい女性です」
「はあ…」
「彼女が私と一緒にいてくれるのが嫌でなければこのままお友達でいたいと思います。初めはお金目当てだったとしてもかまわない、お金が必要だと言われたら全財産でも渡すつもりでした。もちろん結婚なんて形が、Noならそれでもいいんです」
「結婚…詐欺とか?」
相手の顔を大地が驚いて見る。変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「と、周囲は皆…嫁いだ娘も妹も言いました。騙されているに決まっている。恥ずかしいことですが勝手に彼女のことを調べたりもしたようです。」
「何か解ったんですか?」
「以前にお付き合いを した男性たちも幾人か解りました。確かにそこそこ裕福な感じの方が続いていたように思います。」
「何か被害に合ったとか?」
「いえ、それがね、何もないんです。ただ、少し付き合っては 彼女から別れを切り出しています」
「あなたも、疑ったんですか?」
「若い女性ですからね。こちらがいくら好意をもったとしても まさか同じように想ってもらえているわけはないとは思いました。ただ会って話すうち、本当に彼女が欲しいものはお金ではないはずだ、と思うようになりました。だからこそ…」
「最初の目的が詐欺でも かまわない、と?」
「ええ。どちらにせよ、彼女には人を騙すことが出来ないんだと思います。」
「なるほどね。」
「彼女とは沢山の話をしました。実はあなたの名前も聞いたことがあったんです。彼女は僕に君の名前まで話したこと 忘れていたようです」
「俺の名前って?」

*
草野球チームのメンバーが沢山来ていてたまたま込み合ったその喫茶店でカウンター席に並んだことがきっかけで 話す間柄になったのだ、と大垣内氏は穏やかに微笑みながら話す。幸せな記憶なのだろう。
「珍しく騒がしいですね、今日は」「すみませんね、こんなおじいさんと隣席で」「こちらには良く来られているようですが お近くなのですか、お仕事とか、ご自宅とか」
そんな何でもない言葉かけが初めだったという。麻友は始終にこやかで、そして、話しかけられることが嬉しそうに見えた。その日は僅かばかりの取りとめない話で終わったが 次に会った日は親しみを込めた会釈を、その次は天候の挨拶から始まる軽い会話を そしてその次は、というように時間を掛けて とても自然な流れで同席して話をする仲になった。体調を崩した時心配してくれた、喉に良いからと手作りの「はちみつ大根」を作ってきてくれた。電話番号もメールアドレスも聞かなかったけれど、喫茶店に行く日がすれ違って何日も顔を見なかった時、話で聞いていたからと家を探して訪ねて来てくれた。若くして亡くなった妻の墓参りから帰って来た日だった。
「奥さん亡くなってから 娘さんをおひとりで育てられたんですか?」
結婚した娘がいることは彼女も知っていた。その時彼女が早くに母親を亡くしたこと、父親が再婚したことを聞いた。「自分自身のせいで不幸だった」 ということも。

*

「お母さんに悪いことをした、ってずっと自分を責めてたんだと」
「呼び出された時のこと?」
「虐待なんかじゃない、あるわけないのにって」
じゃあ、何だったんだろう、その問いは誰も口にしなかった。おそらく皆の考えていることは同じだったろう。 大垣内氏はそれも聞いたのかもしれない。

「で、彼女の本当に欲しいものって、遺産とかじゃないんだろ?」
野瀬が話題を変える。
「愛と安定とかそれこそ、「幸せ」? そういうことなのかな。それを解ってて 手を差し延べようとした大垣内氏との関係を 何で白坂は大地を使ってまでぶち壊そうとしたんだ?」
響子と大地も答えを出しかねて考え込む。
「あついは…麻友…えっと…白坂は…」
橋村がおずおずと話に入ってきた。幼い頃名前で呼びあって一緒に遊んだ時期もあったようだ。
「お…俺、最初はあいつがあの人騙して何かするつもりだと思ったんだ。大地も巻きこんで。でも、やっぱ違う。そんなことできる奴じゃない…と思う。あの人の…気持ちをちゃんと考えたら上手く断れなくなっただけだと思うんだ」
珍しく橋村が雄弁だ。
「小さい時からあいつ、上手く自分の気持ちを言えないとこ あった。お…俺が言うのも変だけど。」
「まあ それもそうだな」「うん、言えてる」
折角の橋村の意見に 男二人の返事はあんまりだ、響子は橋村を気の毒に思う。どうもしてここに集まる人は同じような性格なんだろう、野瀬は別として。

「それがさ…俺のしたことが決定的な痛手だったと思うって、あの爺さん、言うんだ。」
大地が珍しく真顔で言う。付き合いを断ったのは確かだと思うものの こんな時が経ってから責任を感じるような酷いことをしたのだろうか。野瀬にも橋村にも想像もつかない。女性なら解るのだろうか、と二人して響子を見る。
「確かにあの頃の大地って突っ張ってて 酷い女嫌いだったけど」
響子が思い出しながら言う。小学校から大地を見ていたからその変化と理由はよく知っていた。
「そんなに?」
「女の子にも女の先生にも 絶対に近づくなって感じだった。汚いもの見るみたいに目を逸らしたり 睨んだり…」
「響子ちゃんにも?」
「私には?…どうだったっけ。」
いつまでそんな目をしているんだろうと、大地の横顔を見守ってきた。自分にも向けられていたかというとよく解らない。もしかして 自分は女子の範疇にも居なかったのかもしれない。響子も少し不安になる。


島崎大地は女が嫌いだ。いつも癒えない怒りを抱えている。

まだ「友達」と噂話なんかをしていた中学に入りたての頃 島崎大地と同じ小学校から来た子からそのことについて聞いたことがある。母親が、夫と幼い息子より 他の男を選んで家を出て行ったという。あいつが女嫌いになるには十分な理由だと思った。残念なことに全く同じクラスにはならず、近づくきっかけは何もない。気づかれずに観察するのには好都合でもあった。拗ねた表情の島崎大地、女子に向けるぎらりと冷たい目。いっそ母が勝手に私を置いて出て行ったのならあんな風になれたのに、父が私のために再婚なんてしなければ、頼子さんが酷い継母だったら…とりとめもない想像をした。私の中の島崎大地は私を嗤い、責め、意地悪を言って困らせ、そして慰め 励ましてくれた。現実では何の接点もないまま 島崎大地は私の心の中で勝手に大事な存在になっていった。

自分を痛めつけ、そのことで頼子さんを泣かせた。こんなこともう止めようと 何度も夜中に家をこっそり抜け出して気を紛らした。でも、今度は戻ったら家が燃えていたのだ。私が家に居ると思っていた頼子さんは 家中、私を探し、煙にやられて救急搬送されたと後で知った。病院で眠る頼子さんに、ごめんなさいと、それでもまだ上手く言えなくて そんな自分に絶望した。



「何かこのままじゃ もやもやするっ」
大地が言いだして 結局 白坂麻友を呼び出すことにした。
「一体 俺が何したっつーの」

大地の部屋に 同級生だの幼馴染だの狭い世界の面子が顔を突き合わせている。白坂麻友は固い表情のまま膝を崩さず座っている。話し出しにくい空気が漂う。
「白坂さん、私 一度あなたに救われたことがある。」
麻友の前に湯気の立つコーヒーカップをことりと置くと、響子が意外なことを口にした。きょとんとする麻友に向かって 響子は続ける。
「何だったかな、委員会で一緒だったの。発言しなくちゃいけない場面で ぐずぐずしている私に あなたが言ってくれた。『自信もちなよ、あなたの声 凄くいいと思う』って」

低い可愛くない声がコンプレックスだった。大地が「癒しのハスキーボイス」と言って高校の放送部を薦めてくれるよりずっと以前に 褒めてくれたのがあなただったのだ、と響子が言った。
「そんなこと言った…かな…」
照れているのか 本当に忘れていたのか、それでも麻友の頬が少ゆるむ。
「ねえ、大地が失礼なこと言ったのなら きちんと思い出させて謝らせた方がいいよ、こいつの物忘れはもっと酷いから」
野瀬が言う。何だかんだ言ってほぼ野瀬の仕事のオフの日ばかりに集合している。こいつも案外寂しがり屋なのかもしれない、と大地は思っている。

「あの頃 色んなことがあって」
俯いたまま麻友が話し出す。
「勝手に島崎君を心の支えにしていた。どうしようもない事に怒ってて…生きるのが辛そうな姿にどこか通じる気がしてた。勝手に想像の中の島崎君に相談して、勝手に慰められたり慰めたりしてた。」
言ってから自分で相当恥ずかしかったのか、麻友は顔を真っ赤にして俯きながら言う。
「情けない、イタい女だと思うでしょ、嗤っていいのよ、むしろ…嗤って…下さい…っていうか」
誰も嗤わなかった。
「それで 大地にクリスマスの告白?」
うわ、野瀬君 このタイミングで、それも何てストレートな…焦る橋村と響子。
「『嫌い』だって言われてすっきりしようと思った。妄想の中の島崎君じゃなく、本物の島崎君にきっぱり言われよう、私も自分自身がつくづく嫌になっていたから」
「でも『嫌い』なんて…言わなかったよな?俺」
俯いていた麻友が 弾かれたように顔を上げ、キッと大地を見据えて語気を荒げる。
「そんなこと、全然言わなかったわよっ」
さっきの気弱な感じの麻友はどこにいったんだ。皆 会話の先が見えなくて黙る。
「『お前、誰』って」
学校で色々皆が自分のことを言ってる、悪い噂とか聞いているでしょ、酷く嫌ってる人もいるはずだ。と焦った麻友がネガティブな自己紹介をたたみかけると
「『好きかとか嫌いかとか言われても困る。そもそもお前に全く興味が無い』って。あの時そう言った。そのくせ 『悪いな、じゃあな』って見たこともないような優しい笑顔を見せた」
「意味不明だな」
「そうよ、意味不明だったのよっ」



商店街のクリスマスの飾り付けの仕事の後、宣伝とイベントの企画を考える。クリスマスまでもう一カ月を切っているというのに 暢気な商店街だ。差し出された昔ながらのキラキラのモールや原色のカラフルな電飾を笑顔で拒否して シンプルでシックな飾り付けが出来た。針金で作った大きなツリーはなかなか良い出来だと大地も満足顔だ。
「クリスマスパレードっての考えたんだけど。ディズニーランドみたいなの。ここ長さだけはあるし。」
野瀬がまた思いついたままを言う。
「えらく壮大な計画だな、どうやってそんなことするんだ。ところで俺らって誰と誰?」
「そりゃ、大地と、愉快な仲間たち、でしょ。賑やかにやりたいから商店街の人だけじゃなく、依頼で知り合った爺さん婆さんとか、白坂麻友ちゃんも誘って、ねぇ良太くん」
名前で呼ばれた橋村が 思い切り嫌な顔をする。
「良太くんって顔じゃねぇなぁ」
大地も笑う。
「麻友ちゃんを誘う時は『僕らは君に思いっきり興味があるから』って言ってあげるんだよ」
「何で そんな…」
「だって このところ 集まれば彼女の話ばかりしてたじゃない」
「まあ そう言えばそうだが」
麻友は来るだろうか。これからは妄想じゃなく「「本物の大地」が麻友の支えになるんだろうか…でも…橋村がちょっと不安げに、ツリーを見上げる響子の笑顔を窺った。

軽トラや自転車それに台車、お年寄りの手押し車を飾り立てて練り歩こう。道行く人も仮装して。サンタだらけになっても構わないし この際ゾンビもアニメキャラもコスプレもOK。ごちゃごちゃで 目が回るほど派手で笑えるのがいいと大地が言う。地域の人だけじゃない、もっと広く皆来るように呼びかけよう、草野球チームも老人会のサンバチームもストリートダンサーもカラオケ好きのおばちゃんも。麻友の母さんも父さんも大垣内さんも。
「大地のお母さんもね」
響子が付け加える。
隣町に一人で住む母親と大地は、再会してから少しずつ会う時間が増えていることは皆が知っている。
「うん、そうだな」
大地も珍しく素直に肯いた。

こうなったら盛大で格好いいイベントにしよう。大地は思う。
昨日まで泣いていた人が明日から思い切り笑えるような。昨日まで不幸だった人が明日から「神様みたいに」幸せになるような。

Merry Xmas.

左手の記憶

久しぶりの更新です。やっと書けて嬉しかったです♪
色々と収集つかないままで終わっていますが こういう風にしておきたかったので。ということで。


第64回 Mistery Circle参加作
お題
●その左手は義手だったのですね?で始まり
●見上げた青空で、ふっ、と誰かが笑った気配がした。で締める。
お題の出典 「ジョーカー・ゲーム 」 角川文庫 著:柳広司 

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その病室を訪ねると ベッドサイドのテーブルの上に置かれた「左手」が目に入る。 柔らかな皮膚の質感、繊細な色。「本物」より美しい、作り物の「左手」だ。

「やあ、ミシャ来たね」
ハルさんが右の手を軽く上げる。似合わないリクルートスーツの私を見ても、いつものようにただ微笑んでくれる。足の疲れも焦りも、自己嫌悪も この人に会っただけで柔らかになって溶けていくようだ。
「やあ、じゃないよ。調子はどう?寝てなくていいの?絵、描いてたの?」
ハルさんはベッドを起してスケッチブックを開いていた。また痩せたように見えてどきりとする。
動揺を見せまいとして笑顔を作ってスケッチブックを覗き込むと、最後の一枚に新しく描きかけの水彩画があった。窓から射す柔らかな日差、窓外の淡い葉影、誰も座っていない壁際のソファ、テーブルの上の「左手」。変わり映えのしないこの部屋なのに、なぜだろう、ハルさんが描くとこんなにも、物言いたげな、切ないような空間に変わる。
スケッチブックの前のページ、その前のページも私は知っている。ハルさんの家の一室、誰も居ない部屋、誰も座っていない椅子、小さな花だけがひっそり咲く静かな庭、遠く道の向こうに建つ朽ちかけた一軒家。ハルさんのスケッチブックはそんな「誰かの居ない場所」で溢れている。

「個室だからって言ってもさ、いきなり『手』、置いてあったら来る人ぎょっとするんじゃない?」淡い水彩の絵の中に描かれたそれは、手のひらを上にして 何かを求めて差し出しているようにも見えた。
「ふふ、看護師さんたちは誰もこんなものじゃ驚かないよ。残念」
入院に必要なものをハルさんに聞いて用意した時、着替えが少しと画材 お気に入りの画集、そして最後に彼はこの「腕」を持って来てほしいと言った。
「なかなかリアルだけど、使えるものでもないし…そんなにいつもそばに置いておきたいものなの?」
「大切な人から貰ったものなんだ」
「贈り物?」
「うん。お気に入りのオブジェ、ってとこ」

「でも、ミシャを脅かしたこと、あったよね」



ハルさんの家に あの頃の私はよく、母に連れられて行った。人がやっと通れるくらいの小さなつる薔薇のアーチをくぐると、レンガ敷きのエントランスに趣味の良いハーブの寄せ植えがいくつか並んでいる。勝手に居付いた猫たちがそれぞれお気に入りの場所でくつろいでいる。お祖母さんから譲り受け、学生時代から住んでいるというハルさんの家はこじんまりとしてとても居心地がよかった。風通しの良いテラスで過ごすその時間は特別に幸せな 私の思い出の一つだ。
母とハルさんは手際良くテーブルを出し、白いレース飾りのついたクロスを広げる。 ハルさんは右の手と左の上腕 顎などを器用に使って何でも自分でこなす。
「生まれつきだからね。不自由だなんて思ったことはないんだよ」
ハルさんは私の髪を右手でそっと耳に掛け直してくれる。その優しい右手が私はずっと大好きだった。

小さな花瓶に好きな庭の花を一輪飾るのと、フォークを3本キッチンに取りに行って、テーブルに並べるのは私の分担だ。ハルさんはいつも宝石箱のようなフルーツタルトを焼いて私たち母子を迎えてくれた。

その「左手」を初めて見たのはまだ小学校に上がる前の頃だったろうか。母とハルさんがいつものように美術や映画の話に熱中し始めたのがつまらなくて、私は一人、家の中を探検していた。ハルさんの家は広いリビング以外に部屋が二つで、一方はハルさんのアトリエ兼寝室だ。私はハルさんの部屋でハルさんの作品や本棚の様々な画集を見た後、向かいの部屋のドアを開けた。ハルさんの部屋と同じようにベッドと机、窓際に小さな椅子があり、壁に綺麗な女のひとの絵が幾つか飾ってあった。一通り部屋を見渡しベッドに腰かけたとき、サイドテーブルに それは、あった。指が細く美しいハルさんの「本物の」右の手より、少しだけ骨ばった感じのする「左手」だった。

母の勤める美術教室でデッサン用の石膏像も見慣れていたし、母とハルさんの知り合いの個展で、沢山の趣味の悪いオブジェや絵も見てきた。店のショーウィンドゥで 外されたマネキンの腕を見たこともある。驚いて固まってしまったのは、透き通るように繊細で柔らかな色合いや艶やかな質感のせいだ。怖いというのではなかった。何て美しいのだろうと思ったのだ。どれくらい息を止めていたのだろう。くらりとして倒れかけた私を抱きとめてくれたのはハルさんだった。

「勝手に人のおうちをうろうろしないの、ってあの日私は母さんに怒られたよ」
「何であんなもの置いてるのって、僕も後で怒られた」
結局二人とも溯子に怒られたんだね、ハルさんはくすくす笑って言う。 母はこの「左手」をなぜか酷く嫌っていた、
今ではそんな話をして一緒に笑えるけれど 実のところその後私は かなりの間悪夢にうなされ続けていた。ハルさんと手を繋いでいたはずなのに、気がつけば抜けた「手」だけを持っている。母がお土産に持って帰ってきた箱を喜んで開けたら中身がそれ、という時もあったし、種を撒こうとした土からそれが覗いていることもあった。私は驚いて目を覚ます。嫌な汗をかいていた。でも、その時私が怖かったのは、「手だけがある」ということではなく その手だけを残してハルさんがどこにもいなくなってしまったという そちらの方だったのだと思う。ハルさんは私にとって大事な人だった。そし今 その大事な彼を私は失おうとしている。



親しく傍にいる大人の男の人というのがそもそもハルさんしかいなかったので ハルさんのようなひとが「男性」だというのなら私にはそっちの方が自然だし正しい。柔らかい声のトーンとしなやかな仕草、料理と手芸が得意で花を育てる名人。私のどんなつまらない話でも微笑みながら聞いて、共感を持って肯いてくれるひと。
いつも着ていた淡い色合いのコットンのシャツは触れると羽みたいに軽く、柔らかなV首のセーターから覗く奇麗な鎖骨や肩耳の金色の小さなピアスがきらきら光を受けるのを眺めるのも好きだった。

「父親」というものを私は知らない。
私のアルバムを開くとハルさんと母ばかりが映っている。一人っきりの子育てが思った以上に大変で、自信を失っていた母を気遣って よく手伝いに来てくれたのだという。
「夜泣きの時、泣き止むまで付き合ったのも、熱を出した時 寝ずに看病したも僕なんだよ」
「そうなの?」
「だって 朔子は一度寝たら絶対起きないじゃない?」
「鼻つまんでも起きない」
「足の裏くすぐったって絶対起きなかったね」
「火事だぁって叫んだって 起きなかった」
そんな風に私たちは共犯の笑みを交わし こっそり母の「悪口」を言い合った。今、思うと、神経質だった母がそんなにも眠りが深かったのは、起きている間張り詰め切っていたせいなのかもしれない。何をするにも不器用で、その分全力だった人。その母も三年前事故で急に亡くなった。
親しい親類も無く祖父母は遠方の上、母と折り合いが悪かったそうで、頼れない。ハルさんが居てくれなければ 私は世界中でたった一人ぼっちだと思ったかもしれない。



「ハルさんは私の『お父さん』なの?」
小学校の頃、ハルさんに直接聞いたこともある。そうなら何故そう言わないの?何故別々に住むようになったの?
ハルさんは困ったように笑い、幼い私には何とも理解しづらい返事をした。
「僕は『お父さん』になろうと思ったことがないんだよ。ミシャの事は大好きだし、産まれてくれて嬉しいと思ったけど」
ハルさんは私のことを「ミシャ」と呼ぶ。本当は名付け親になりたいと申し出た時 好きな画家に因んで、「ミュシャ」と読める字を色々考えたそうだ。
「妥協しちゃったね」
「いいよ、読めない名前でなくて良かったよ。美紗で十分気にいってるし」
「そっかぁ」
ハルさんはふざけて大げさに肩を落とし、本当に残念そうに言う。
せめて呼び方だけはと、無駄に努力してるんだ、と母は笑った。 しかも絵描きの「ミュシャ」は男性だし、名前なら「アルフォンス」だし、と。



「何度も何度も、ミュシャの絵の飾ってある部屋の絵を描いてたよね」 朝の光に満ちた部屋、雨の日の心沈むような部屋、夕刻の優しい茜色の、夜の重苦しい闇に包まれた部屋。
ハルさんが 少し疲れたと言うのでベッドの角度を替えて 蒲団を掛け直してあげた。スケッチブックをサイドテーブルに置き、水彩絵具を片付け パレットを洗う。
背中を向けていても ハルさんが一瞬 息を大きくつくのが解った。淡い緑と薄い黄色の絵具が混ざって溝の周りに少し溜まり渦をまいて流れていった。私は黙って ハルさんの気配だけを感じながら排水溝を見ていた。

「うん。出ていったきりの同居人。あの部屋は『彼』の部屋、あの椅子に座って『彼』も絵を描いていたんだよ」
そのひとの『不在』をずっとハルさんは描き続けてきたのだ。ミュシャの絵が好きな、部屋の主。
「やっぱり朔子は彼の、君のお父さんのこと、教えてくれないまま?」
母もハルさんも一度も言わなかった、だけど、何となく感じていた。部屋の主はやっぱり私の父親なんだ。がらんとした部屋を描きながら、ハルさんはそれでも彼の帰りを待っているのだろうか。

「『死んだ』って聞かされて そうじゃなさそうだって薄々気付いたのは結構前だけどね」
「きっとミシャにたくさんの嘘はつきたくなかったんだと思う。あのひとは。っていうか作り話とかも苦手そうだったしね」
「大きな一つの嘘ならいいってのも、何だかね。『お父さん』ってそんなに嫌なヤツだったの?」
ハルさんは窓の外を見て、そこにまるで古い友人が立っていたかのように目を細めて 少しだけ微笑んだ。
「私 平気だよ。私が傷つくようなことがあって、そんな風に思って色々隠してくれているんだったら…でも」
ハルさんが悲しむ話なら しなくてもいい。そう思っていた。


「お前の左手だって創れそうだって。そう言ったんだ」
長い沈黙の後、ハルさんがその「手」を取って、と私に言った。思った以上に軽いその「手」をハルさんに渡すと、ハルさんはゆっくりと受け取りながら言った。
ハルさんは私に向いて優しく微笑むと
「ミシャはもう子供じゃない。ひとの心の弱さや駄目なところも、解ってあげる優しいひとに育ったね」
ハルさんに急に褒められて 私は戸惑った。そんな風に言って貰える自分なのかどうか、はなはだ自信がない。

「きみのお父さんの話を、僕がするべきだと思うんだ」
母さんが亡くなるまでずっとその話を避けてきたとしても?

明るくておおらかで皆に頼られるそんな奴だよ…ゆっくりと身体を起し、ハルさんは話し始めた。
高校の時から寛人と僕はいつも一緒だった。クラスも少ない男子高だったから3年間ずっと同じクラスで、同じ美大を目指し、「親友」だった。
彼は運動部とかけもちでの美術部だったけれど 部長を引き受けてたりして、頼りがいのある面倒見の良いヤツだったよ。
「絵も上手かったの?」
私が聞くと ハルさんはとても誇らしげに頷いた。

独特のセンスと才能があって凄く器用な男だった。色んな物事に興味を持っていて、あのときは舞台美術に関心があったっけ。絵も彫刻も得意で他人の課題まで楽しげに引き受けていたよ。
「嫌なヤツなんかじゃないよ。皆に好かれてた」
ハルさんは 私の目をじっと覗き込むようにして 迷いの無い口調で言う。
「大好きだったんだよ、僕も。そして、朔子もね」

─朔子とは大学で知り合った。僕と同じ学科でね。頻繁に僕に会いに教室に来る寛人は 真面目な朔子に何かと絡んだりからかったりしては嫌がられ、それでもだんだん気心の知れた仲になっていったんだ。朔子があいつのこと苦手だって逃げ回っているのに捕まって 怒ったり冷たい対応をすると余計に面白がられていた。人見知りで喋るのが苦手な朔子が 少しずつ自分でも気がつかないくらい少しずつ 寛人に心を開いていくのが解ったよ。
ハルさんはそう言いながら きっと「彼」の笑顔や仕草を思い出しているのだろう。とても優しい、でも寂しそうな顔をした。

「この『左手』の話になると ちょっと長くなるよ」
ハルさんは前置きをし、少しの間目を閉じていた、まるで今、大事にしまっておいた古いフィルムを 巻き戻しているみたいに。それはまだ、『左手』を贈られるよりずっと以前の話から始まる、

─高校時代の学園祭の準備の時期、皆で特殊メイクについて調べていたんだよ。
ハルさんは懐かしそうに目を細め、その手に触れていた。
痛々しい傷のメイクや異形の宇宙人のマスク、そんな画像を検索しながら 作成方法や素材について一緒に検討していた その時にね、寛人は言ったんだ。
『これならハルの左手だって創れそうだ。俺 創ってやるよ』
あんまりさらっと言ったので 周囲が一瞬何を言っているのか解らない雰囲気だった。入学以来ずっと、僕の左の手のことは皆 触れないできた。それが優しさだと 誰もが思っていた。もちろん僕自身もそれで有難かったしね。
「何て答えたの?急にそんな場面でそんなこと言われても 困るよね。」
私が言葉を挟むと ハルさんは小さく笑って 首を横に振った。
『ありがとう。でも、今はいいや。結構間に合ってる』
僕は答え、『ヒロに作らせたら、左のつもりで間違って右手作りそうだし』
見かけによらず繊細だって僕は知ってたけれど、周囲の持つ寛人のイメージは天才肌だけどちょっと抜けてるっていう感じでもあったからね、固まった空気が緩んだことに皆が安堵した。たけど、その話を後で聞いた朔子は凄く嫌な顔をしたんだよ──そこまで続けてハルさんは言い、ちょっと苦しそうに胸を押さえた。
「母さんが?」
「そういうところがデリカシーがない、ふざけ半分で軽々しく言うことじゃないって」
色んな場面でハルさんの気持ちを、母はいつも一番に考えた。その時もきっと、そうだったのだと私は思う。
絵画教室の講師をハルさんと一緒にしていた時も、誰かがハルさんを不用意な言葉で傷つけようものなら母が放ってはおかない。どんな小さなことでも母は見逃さなかった。母はいつもハルさんを守ろうとしていた。どんなに周りを敵に回しても。それは 幼い私にも伝わっていた。

「そういう朔子の気持ちも有難かったけど、でもね、寛人の言葉がただのいい加減な思いつきだとも思わない」
ハルさんはそう言って 作り物の「左手」にそっと触れる。それは最初見た時の印象の通りハルさんの右に合わせた作りではない。明らかに他の誰かのものだ。
「あいつらしいって思ったよ」
そうしてハルさんは 高校入学してすぐの初対面の頃の話をしてくれた。
──戸惑うほど真っ直ぐに僕の身体を見るんだ。左手ってどうなってるの?って。そんなこと聞く人は初めてだった。
そして こういう時はどうやってするのか、不便な時はないのかとあれこれ聞いてきた。興味本位かと思って無愛想に応える僕に、笑顔で食い下がるんだよね。変な奴だと思ったよ。
高校生のハルさんの不機嫌な顔を想像しきれないまま、先を促す私に 「でもね」とハルさんは続けた。
『凄いなぁ。お前マジ凄い。だけど、不便なことあったら他人にもっと頼ってもいいんじゃない?』
背の低いヤツは椅子を使って物を取る。けれど背の高いヤツが来たら頼んで取ってもらうこともある。そんな風に言う彼の態度にまだ釈然とせず『でも…』と言いかける僕に、彼はこう言ったんだ。
『便利なものを使って人間は進化してきたんだ。いいと思うよ。不便なことがあったら 俺の左手、いくらでも貸してやる』
「色々助けてくれた?」
「そうでもなかったかな、案外頼る場面は無くって。却って邪魔だって文句言うこともあった」
でもそういうやりとりの思い出が ハルさんにはとても大切なのだ、愛しいのだ、それはハルさんの横顔からも十分伝わった。
「そんな寛人だからこそ 僕は…」

ハルさんは少し疲れたのか目を閉じた。静かな病室には夕陽が射しこんでいた。窓から見える広い空に目を移すと、遠く、鳥が隊列を組んで飛んで行くのが見えた。
少し長い沈黙の後 ハルさんは深く息を吸い 静かに呼吸を整える。
「大丈夫?疲れたなら今日は帰るよ」



頼まれて ハルさんの家を訪ねた。花に水をやってポストを確認し 窓を開けて空気を入れ替える。天気の良い秋の日だ。家が、部屋が、そっと息を吹き返す。ハルさんが帰っきたのかと庭の茂みから猫たちが顔を出す。
あの日は話はあれで終わりにした。ハルさんの体調を気遣って長く話すこと止めたというのもある。父のことは知りたかったし、左手について最後まで聞きたかったけれど、まだ、全部聞かなくていい、ハルさんとの時間を引き延ばしたい。話を全部聞いてしまったら、ハルさんがどこか遠くに行ってしまいそうで怖かった。

ハルさんの部屋には 以前と同じように馴染んだ油絵具のにおいがした。隅の小さな木の丸椅子に座り ハルさんが絵を描くのを見ているのが好きだった。ハルさんの作業が途切れないよう、ハルさんの今欲しいものを探して手渡すのが私の役目と自分で決めていて、それがぴったりと上手くいった時は 嬉しかった。
けれど今 しんと静まった部屋の中、イーゼルには描きかけの作品は無く、絵具などもきちんと片付けられていた。もう入院は覚悟の上だったのかもしれない。 教えられたように書棚の下の引き出しを開けた。ポストカードサイズの小さなスケッチブックがある。ハルさんに持ってくるように頼まれたものだ。取り出すと 一枚の写真が挟まっていることに気がついた。そっと出して見た。黒ぶちガネで化粧っけの無い仏頂面の女の子は母だ。ハルさんは今より短髪で、柔らかな雰囲気はそのままだが「普通の」男子学生っぽく見える。その二人の真ん中に、伸ばした髪をひとつくくりにした背の高い骨太な男子学生が満面笑顔で写っていた。これがきっと父だ、そう思った。

ポストカードサイズのスケッチブックを見ていると たくさんのことを思い出す。ハルさんは毎年私の誕生日が近付くと、こんな大きさの画用紙に私を描いた。その中でちゃんとモデルとして向き合って座ったのはほんの数回かもしれない。じっとしていられなかった幼い頃、見つめられるのが照れくさかった中学生の頃、ハルさんは普段通りに喋りながら 動く私や横顔の私をその小さな画面に収めた。高校生の頃は、素顔が描きたいからと説得されて、ふくれっ面でメイクを落とした。でも、それらの絵が、全てここには無いことに今 気付いた。

 *

「ミシャは今、好きな人いる?」
翌日 ハルさんの所にスケッチブックを持って来た。久しぶりにきちんと向いて 絵を描いてもらっている。
「すっかり大人の女性になったね」
私の答えを待たずに ハルさんは続けて言った。
「ずっと一緒にいたい人ができたら ちゃんと気持ちを伝えて 幸せになって…」
言いかけて 苦しそうに息をするハルさんに驚いて 手を延ばす。
「そのまま、動かないで。モデルさん」
そう言って笑うけれど今日は 顔色が酷く悪い。

「でも僕の場合は 告白すべきじゃなかったんだ。ミシャをひとりぼっちにさせたら、それは全て僕のせいだ」
ハルさんは「左手」の話の続きをしてくれた。

──寛人は僕の誘いであの家に一緒に住むようになった。朔子や美大仲間がよく訪ねて来たよ。明るくて活気に満ちて、一番幸せな時代だった。寛人の一番近くに自分がいることが幸せだったんだ。でもね、同時に僕の中、どんどん暗闇が広がっていくのも解ったよ。「嫉妬」とか「独占欲」とか そういうの。自分勝手な、ね。
朔子が寛人を好きなのも知っていたし、朔子に寛人の気持ちが向いていくのも解ってた。
「だから 言うべきじゃなかったんだ。なのにある日みっともないくらい取り乱して、僕は」
──好きだって?問いは声にならなかった。でもハルさんには伝わった。
「可笑しい?可笑しいよね」
そんなことはない、私は強く首を横に振った。ハルさんの想いが痛いほど伝わって 胸が苦しい。嗤わないで、お願いだ、自分自身を嗤わないで。
「父さんは?」

父は逃げたのだ。「親友」の想いを受け止めれきれなくて 逃げて母のところに行った。そして彼が自分のところに来た理由を後で知った母は 彼を詰った。そして決して彼を許さなかったのだ。
「朔子は自分自身も許さなかった。馬鹿だよね、ほんと。二人で幸せになれば良かったのに」
ハルさんはそう言って悲しそうに笑った。

──『出て行くのなら 出て行けよ。でも その左手だけ、置いて行って。』滅茶苦茶だよね、彼には何の非もなかったのに。情けない一人芝居の修羅場。
一人で生きて行く。だからその左手だけ僕に下さい。ヒロは僕に 俺の左手いくらでも貸すって言ってたよね。
狂気じみていたんだろうね、僕の目は。寛人は言葉を失って 酷く苦しそうな顔をした。そのままだと本気にして自分の左手を切り付けかねなかったよ。だから言ったんだ。
「やだな、冗談だよ」って。高校生の時こんな約束もしたじゃない。左手、創ってくれるって。だから、記念に寛人の「左手」が欲しいなって思って。
やっとヒロの顔に色が戻り、口元がほころんで 二人で穏やかに笑ったんだ、とハルさんは言った。ハルさんの家を出て、母のところからも追い出された彼が、どこか旅先からこの「左手」を送ってきたのは ずっと後の話らしい。

無理に作った笑顔がゆるゆると泣き顔に変わる。肩を震わして泣くハルさんは小さな少年のようだった。面会時間が終わっても、私はいつまでもハルさんを抱きしめて 背中を擦り続けた。

*
ハルさんが書いてくれた住所を訪ねると そこはのどかな田園風景の広がる場所に ぽつりぽつりと建つ古い一軒家の内のひとつだった。
ひとの住んでいる気配はないけれど、ハルさんの言うように持ち主が手放したわけではないということは 村の人からも教えて貰った。そのうちふらりと帰ってくるんじゃないか 大した荷物も持たず彼が出て行くのを見た人がそう言った。両親亡くして、あの子も一人っきりだったねぇ、と。
丈の高い秋の草が傾いたポストを隠す程伸びて、つる草が窓の格子に絡んでいる。古びた簾が秋風にぱたぱたと揺れている。縞柄の野良猫が縁の下からじっとこちらを見ている。
「ねえ、きみ、ここの住人さんを知らない?」
話しかけても 猫は素知らぬ顔で尻尾だけをぱたりとさせた。
──外のポストは閉じてあるから そこじゃなく 玄関の方にね。
ハルさんが言ったとおりに引き戸の横にある簡易な郵便受けに 持ってきた葉書を落とし込んだ。ハルさんの描いた、泣きそうな顔をした私が そのまま玄関の床にひらりと落ちて行くのが見える。そしてその僅かな隙間から 幾枚もの「私」や、裏面に丁寧に書かれたハルさんの文字が見えた。ハルさんはずっとそうやって いつ帰るのか解らない彼に 私の成長を知らせ続けてきたのだ。私が母のお腹にいることを知らないまま 父は連絡を断ちどこか遠く、おそらく海外に行ったのだという。

ずっと好きだった人、いるよ、告白したこともあるよ、私は呟いてみる。
だって私、何度も何度も「好きだ」って伝えたじゃない。だけどハルさんは「少しはお父さんの代わりになれてるかな」なんて見当違いなことばかり言う。女の人と結婚して「お父さん」になりたいなんて思ったことないって言ったくせに。
たくさんの孤独とたくさんの優しさを抱えて ハルさんはいつも傍にいてくれた。心配しないで。大丈夫 私はちゃんと生きていくよ。

高い空。浮かぶのはすっかりうろこ雲になった。遠いあぜ道 真っ赤な彼岸花。すすきの揺れる中 こちらに向かって来る人が見える。夢でこういう光景を見たような気がする。これも夢なのかもしれない。空で大きな輪をかいて鳥が飛び、どこかで風鈴がちりりと鳴った。ゆっくりその人は近づいてきて 私の存在を認める。私はあの左手を知っている。

もう一度見上げた青空で、ふっ、と誰かが笑った気配がした。

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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

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