STAND BY ME

生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

さよなら ギターマン


お題 【始まりの文】上京を先にいいだしたのがどちらだったか、今では記憶が曖昧になっている。
   【終わりの文】遮光カーテンの隙間から、晩秋の日差しが漏れていた。








「上京を先に言いだしたのがどちらだったかなんて もう覚えちゃいなかったし、本当はどっちだって良かった」
話しかけたのは僕の方だったくせに 相手の口から言葉が出たことに心底驚いた。このひとが自分のことを僕たち相手に話し出すなんて 想像さえしなかった。動揺を隠し先を促す。
「あのギターって その頃からのですか?」

段ボールと板の壁、ブルーシートの天井 少しだけの「家財道具」の後ろ、薄汚れたハードケースに入ったそのギターはある。
「ギターマン」、いや 新谷さんはまぶしいものを見るように目を細め、ギターケースに目をやった。
「一緒にバンド組んでたヤツが置いて行った。もっと話をしてたら、あんな気まずい離れ方をしなかったら、きっと…」
新谷さんはうつむいたまま言った。最後の言葉は消え入るみたいだった。
「もう どこにもいない」



バイト先のコンビニは 公園の傍にある。ちょっと名の知れた大きな公園で 桜の時期は花見の客でにぎわうところだ。そしてその隅の植え込みに段ボールやビニールシートで覆われた新谷さんたちの「家」はあった。

そしてそのコンビニの駐車場にしゃがんでいるいつもの面々の中に、良介はいた。店長はそんなメンバーをひとくくりに「ヤンキー」と呼んでいた。
「お、ヒッキーやん。久しぶりっ」
なぜか関西弁まじりで喋り、笑うと妙に人懐こい顔になるこの男は小中一緒だったヤツだ。いつからか僕の苗字の「引田」をもじって勝手にヒッキーと呼んだ。「ヒキコモリのヒッキー」。

新しい友達を上手く作れず 無口な学校生活を送っていた僕に 良介だけは平気で話しかけてきた。
悪意を感じるからかいを受けている時 「コイツをイジっていいのはオレだけや」、意味不明なことを言いながら蹴散らしてくれた。そのありがたさに気がついたのは 残念なことに最近なのだけれど。

消費期限の切れたお弁当を廃棄に出そうと外に出た時、口を出してきたのが良介だった。「久しぶり」と言う程会ってない気はしなかったが そういえば中学の半ばから学校に来ない日も多く、高校は進学したと聞いたがすぐに辞めたらしいと噂は聞いていた。
「レンさんたちが取りに来るから ここの棚に置いとけ。前のバイト、オマエに引き継ぎせんかったんやな」
聞いてなかった。「レンさんたち」というのがどうやら 公園暮らしのひとたちらしいことは 何となくわかった。


新谷さんとのかかわりは それより少し後になる。
お弁当を「引き取り」に来るのはいつも代表の「蓮さん」だったからだ。
蓮さんとも結構長い間会話もなかったが、目礼するようになり 少しずつあいさつするようになり 時々話をするようになった。『面倒くせー』が口癖のくせに、聞けば色々教えてくれるし、仲間内でもたよりにされていて 世話焼きでもある。

降り出した雨に文句を言いながら バイトを終えて帰ろうとした時 傷だらけの良介が店の壁に寄り掛かっているのを見つけた。寝てる?一瞬思ったがぐったりした様子にも見える。服の汚れと髪の乱れ、よく見ると顔の傷に血がにじんでいるようだ。覆いかぶさるように大きな黒い箱のようなものを抱えていた。
「な、何?どうした?」
近づいて しゃがみ込む。生きてるよな?
心臓がドクンドクンいう。握った手にじっとり汗がにじむ。
「うーん、ヒッキーかぁ、ちょうどいい」
何が ちょうどいいんだ?
「何しでかした?その箱は何?」
良介は起き上がるどころか そのままズズっと地面に倒れ込み
「あー 寝っころがった方が気持ちいいや、お、飛行機雲」
あるわけがない。雨の降り出した空は重いグレーの雲で覆われていた。
血がにじむ頬と手は、明らかに普通じゃない。だけどその、のんきな物言いと穏やかな表情に それでも何だか少しほっとした。

「まず、『大丈夫?』とかちゃうん?」
「だ、だって…大丈夫じゃなさそうだ」
「へへ、大丈夫やし。アイツらから『ギターマン』のギター守った」

時々 いててと顔ををゆがめながら 良介が話し出す。昨夜そのギターを公園の「家」から盗み出したヤツらがいたという。
「あんなん、仲間ちゃうし」
良介は吐き捨てるように言った。
「こいつは『ギターマン』のもんや。遊び半分で他人の大事なものを盗むなんて オレには我慢できん」
持っていた鞄から探し出して濡らして来たハンカチを手渡すと、良介はすり傷を押さえながらぽつりぽつりと事の経緯を教えてくれた。
正義漢。言ったら本人は怒るだろうけど、良介ってこういうヤツだ。口元が緩んだ。

「ギ、『ギターマン』って…『ギタリスト』じゃなく?」
「突っ込むとこ、そこかい」
やっと良介が笑う。唇の横の擦り傷が痛々しかった。
「弾くのなんて見たことないしな。ギター持ってる男だから『ギターマン』、そんなとこ」
「ギター持ってる?そ、そんな人いたんだ」
「うん、オレもたまたま知った。公園でヒマつぶしてた時 蓮さんと一緒にいてな」
そんな話をしていると 道路を渡って 蓮さんと背の高い男の人がこちらに向かってきた。
「おう、派手にやられたなぁ」
蓮さんが前歯の抜けた口を開けてカラカラ笑う。
「やられたんちゃうし」
「ほれ 『ギターマン』連れてきたぞ」
蓮さんに促され 後ろに立っていたその人が一歩前に出て良介の前にしゃがむ。そっとギターケースに触れた手は意外なほど繊細な印象だ。
「守ってくれてありがとう」
深みのある響く声で その人はそう言った。ウェーブのかかった長い前髪の隙間から 静かで寂しげな眼が見えた。
「新谷さんの大事なものに手ぇ出すなんて ふざけた奴らだよな、本当に」
蓮さんが本気で怒った声を出す。

いてて・・とまた声に出しながら良介は起き上がり
「で、さぁ」
おもむろに切り出すと 新谷さんに向かって意外なことを続けて言った。
「身体張ってギター守った そのお礼なんですけどね、」
何を言い出すんだ。一瞬みんなの視線が良介に集まる。

「オレに教えてくれへん?…ギター」



その日から約束どおり新谷さんは良介にギターを教えてくれるようになった。少し暖かくなってきたとはいえまだ肌寒い公園のベンチで いつも新谷さんは待っていてくれる。良介は お兄さんが以前にくれたというギターを抱えてやって来る。
「いっそお兄さんに教えて貰えば良かったのに」
言ってから、しまった、思った。

良介の家は開業医で、7歳上のお兄さんは小さいころから優秀で有名だった。難関中学に入学しトップクラスを維持しながら軽音楽部でバンドを組んでいたと聞く。そのお兄さんを良介がいつも複雑な想いで見ていたことを薄々知っていたからだ。
「あいつの教え方は理屈っぽすぎんねん。何でもお勉強みたいに説明されちゃ たまらんし」
C、G、F、と新谷さんに教えてもらった基本のコードを鳴らしながら言う良介の表情は意外とすっきりしたものだ。もしかしたらずっとこうして ギターを弾いてみたかったのかもしれない。Fの音がちゃんと出るまで 良介は黙々と繰り返し練習する。横顔が真剣だ。

「に しても うるせーなぁ」
横で練習の様子を黙って見ていた蓮さんが 工事の始まったエリアを見やりながら 吐き捨てるように呟いた。

公園に工事の車両が入り出し やたらと「平和」や「自然」を意識したようなカラフルなイラスト入りの囲いが造られ始めたのは 数日前のことだ。
お弁当を受け取りに来る蓮さんも、考えてみれば数か月前から何だか浮かない顔をしていた。
「花見の時期に向け 公園を『きれいで安全』な場所にしたいんだと。」
皆の行き先を探さにゃならんしな、もうちょっと待って欲しいとか 色々交渉にも行ったんだがな…蓮さんが短いタバコを咥えながら残念そうに言う。

「無理やり追い出されるん?皆これからどうするん?」
「それぞれ ちゃんと考えてるさ。頼むからお前 勝手に暴れたりすんなよ」
「暴れるなんて、オレは別に…」
良介がちょっとうろたえる。
「例のギター盗んだ馬鹿どもが、『支援団体』とかいうヤツらとつるんで何かやらかすつもりだったらしくてな。」
蓮さんは苦いものでも食べたような顔をして 吐きだした煙を見つめながら続けた。
「お祭りじゃねぇんだ。何がオレたちのためだ」



コンビニに珍しい客が来た。

良介のお兄さん、「棚橋医院の若先生」だ。良介とよく似た目鼻立に、人の顔を覚えるのが苦手な僕でさえ気が付いた。
「○○円のお買い上げになります」
レジを打ち声を掛けたが ガラス越しに見える駐車場に視線が向いたままだ。
「あの…?」
「ああ、すみません。あれ、いつもここでやってるんでしょうか?」
飲料代の小銭を台に置きながら 外を見たまま彼は言い
「弟なんです…ご迷惑をおかけしているんではありませんか」

「公園の工事の音が大きすぎてよく聞こえないからって。ここに来るのは今日が初めてです。良介…棚橋君、ギター教えてもらっているんです、あちらは…新谷さんって方で…」
どう説明していいのか解らなかったけれど 勢いで続けた。「ご迷惑」の言葉を打ち消したくて 自分でも驚くくらい強い声が出た。

「た、棚橋君は何も悪くなんかないです。し、新谷さんも蓮さんも、凄くいいひと達なんです。新谷さんはギターが上手で教え方だって…」
息切れして言葉が続かなくなった。一体何を言ってるんだ。何だか泣きそうになる。
「お、教え方だって、教え方だって 丁寧で…」
言葉がうまく出ないまま喋り続けた。僕が一息つくと 困ったような顔で見ていた「若先生」の表情が緩んで 穏やかな笑みがこぼれた。
「ありがとう。良介はいい友達がいるんだ。安心しました」
これからも宜しく、そう言って「若先生」はドアの方に向い ドア越しに良介たちを眺め もう一度振り返ると 問いかけた。
「あの人…あのギターの先生、『シンタニさん』って…?」

まさかね、と呟きながら「若先生」はもう一度扉のガラス越しに新谷さんを見ている。何を気にしているのか測りかねていると 彼は振り返って言った。
「以前 好きだったミュージシャンに『新谷』って人がいてね、グループを解散してその後は行方が解らないままなんだ」
そのひとの創る楽曲の奇麗なメロディと独特のハーモニー、繊細な歌詞が とても好きだったんだ、と「若先生」は言い
「言い方からして何だか古臭いよね?」とテレくさそうに笑い
「僕が音楽やってたことだって もう随分過去の話になってまったからなぁ」
そう言ってこちらを向いて会釈し、何に対してかもう一度「有難う」と言って良介のお兄さんは帰って行った。



診察室に乗りこんで その部屋の鍵を「若先生」から受け取るまでの良介の勢いは 驚くべきものだった。
「ヒッキー ついて来い」
「若先生」の唐突な思い出話のことを伝えると 良介はいきなり僕を引っ張って走り出した。診察時間で患者さんがいることも気にせず 良介はお兄さんに詰め寄り「その部屋」を開けることを求めたのだ。

若先生が引き出しの奥の小箱から出した鍵で開けた 離れの2階の奥の部屋は 重たそうなカーテンが掛けられ 目が慣れるまでどんな部屋なのか全く解らなかった。
「な、何?何の部屋?」
「墓場…やな。あいつが封印したあいつの大事な…」
「だ、大事な?」
カーテンを開けるとほこりの匂いがした。目に入ったのはドラムやシンセサイザー、アンプ、棚には沢山の古いCDと本。天井や壁には様々なミュージシャンのポスターが貼られていた。
「初めて引田見た時、この部屋を思い出した。何かよう解らんけど この部屋、思い出した」
良介は僕を正面から見て言う。
「大事なもの好きなものをいっぱい持ってるくせに カーテン締めて鍵掛けて 誰にも見せんと 忘れたふりして」
シンバルの上のほこりをぬぐう。かすかな音を聞き分けるように良介は少しの間の黙っていたが 急に顔を上げると 
「探そう、ヒッキー。新谷さんとギターの元の持ち主、きっといる」
棚のCDに手を掛けた。

コトン、ドアの音に気付いて振り返ると若先生が立っていた。
『新谷さん』のバンドのCDならこれとそれ、あの音楽雑誌のここに記事、と何年も封印して顧みもしなかったとは思えないくらいすらすらと あれこれ出してきてくれた。
僕がじっと顔を見ているのに気づき、若先生はテレたように言った。
「どこに何があるかも CDのどんな曲も 好きだった物って、結局忘れたりなんかしないもんだね」
いつまで遊んでいる気かと 医院を継ぐ気はあるのかと お父さんから言われて、自からこの部屋を閉じたのだ、若先生は大きなため息の後、説明してくれた。そうやって閉じたのは部屋だけじゃなく 若先生の大事な時間、言葉にするとあまりに気恥かしいけど「青春」ってヤツなんだろうな、そんな気がした。

3人して『新谷さん』を確認する。間違いない、あのひと「ギターマン」だ。
「路上から ライブハウス、ずっと見守っているファンも多かったのに」
若先生が言う。それはきっと自分自身のことだ。
「大手と契約して他人の作った歌で売れた。今このバンド名を言うとこの歌 思い出す人は多いかもしれない」
「新谷さんには不本意な結果ってことなん?」
「い、嫌な思い出ってことですか?」
そうだなぁ・・・若先生は首を横に振り 周囲には解らないことってあるしな、と言った。こんなものもある、と投げ捨てるように出した古い雑誌類には 小さな囲み記事で 幼馴染と作ったバンドでメジャーデビューした新谷さんたちの紹介があった。そしてもう少し新しい雑誌には「2曲目が売れず解散した」と書かれたものもあった。

若先生が仕事で部屋を離れた後も 僕と良介は残ってCDを聴いていた。
雑誌を手に取って目を通す僕と違い 良介は1冊表紙を見ただけで放り出した。
「バカバカしいやん。こんな記事。新谷さんが本当はどんな気持ちだったかとか ちっとも伝わって来ん」
…そうなんだけど、それは解っているんだけど、と僕は返事する。
それでも こんな閉ざされた部屋や押し込められた若先生の思い出の中に あの公園の住人、寡黙な「ギターマン」がずっと居た。何だか僕たちが来るのを待っていたような気がした。押し開ける人を欲っしていたような気がした。
良介は考え込んでいる様子で窓の外を眺めている。広い敷地の立派な庭の片隅で、白い梅の花が咲いているのが見える。
不本意だったという 歌謡曲風のその1曲を聴いた後 もう一枚古いCDを入れ替えた。「メジャーデビュー」以前の新谷さんたちのCDだ。

「苦い思い出かもしれん。誰にも触れて欲しくないと思ってるかもしれん。
だけどオレ、新谷さんにこのCDみたいな歌、歌って欲しい。今ものすごくそう思う」
そんな話を切り出すことで 取り返しできない程彼を傷つけるかもしれない。良介が投げ出した雑誌にはバンドの解散の経緯、音楽活動の方向性の不一致による喧嘩 メンバーの不仲と 新谷さんの幼馴染の、自殺についての記事があった。



工事の音が響く公園の片隅で 僕と良介は蓮さんと会っていた。もうすぐ新谷さんが来る。
「そっか、歌、聴いたか」
蓮さんはさほど驚いた風でもなく僕たちの話を聴いた。
「知ってたん?」
「うん、オレぁ『以前』のファンだし」
メジャーで出したあの曲で新谷さん達のファンになった人を それ以前から応援してきたファンは区別した。それでも一体になって応援できなかったことを 若先生は悔いていた。蓮さんのさっきの言い方にもどこか自嘲的な気持ちが入っているように思える。
持ち出したプレイヤーでCDを掛け、3人で黙って聴いた。
曲の合間、音が途切れた時 後ろでカサリと草を踏む音がして 気が付いたら新谷さんが立ち尽くしていた。



問いかけに答えて 新谷さんが話し出したのは 3枚目のCDを入れ替えた時だ。口数は少なかったが 今まで自分たちの歌を歌ってきた彼らが 与えられた他の作曲家の歌を歌い それが代表曲のようになってしまったこと、それが 僕らの想像を超えて新谷さんたちに重いものを背負わせたことは 伝わってきた。誰も何も言えなかった。

「誰のせいなんてこと ないのは解っていた」
だけど やり場のない怒りで お互いを傷つけた。いつも前向きで明るい幼馴染、やってみなきゃ解らないよと ずっと背中を押してきた彼を そもそも間違っていたように責めた。
「それでも あいつは笑っていたんだ。ちょっと困った顔をして」
なのに 命を絶った。傷ついていたんだ。それは皆同じ。

「ちゃんと解散ライブをしてケリつけるつもりだったし 感謝と変わらない気持ちを込めた歌も創りかけていたのに」
何もできず いきなり終わった。
「応援してくれた皆と 一緒にやってきた あいつや他のメンバーへ向けて
伝えたいことは沢山あった。それを最後の歌に託そうと思ってた」
そのひとはその歌を知らずに逝ってしまったんだ。
胸の辺りが苦しくて声が出ない。掛けるべき言葉が何も見つからない。

長い沈黙を破り 良介が言った。
「その歌って、完成してるん?できてるんなら聴かせてや。オレ一緒に歌いたい。練習するから オレ マジ練習するから」
工事の音はすぐ近くまできている。どんな音にも負けないくらい良介ははっきり言い切った。
僕らがここに居られる時間も もう少ししかなかった。




ひとが集まって来る。桜のつぼみはまだ固く風はまだ冷たい。

工事関係者 市の職員、警察官。支援だ何だといいながらひっかき回しに来た輩。報道に見物人。面白がっているだけの「ヤンキー」たち。
今日「家」がすべて撤去される。
「オレたちのさよならライブにようこそ、や」
蓮さんがひときわ大きく叫ぶ。

昨日皆の行き先を聞いた。蓮さんは大阪に帰ってみることにした、と言った。
「ええ?蓮さん関西人やったん?」
良介が驚いた声を出した。
「いっぺん言うたろと思ってたんや。オマエのエセ関西弁 気色悪うてかなん。ずっと思てた」
そう言いながら大口開けて笑う蓮さんに 背中をたたかれ良介が頭をかく。
「何が気に食わんのか、誰に反発してんのか知らんけど。お前は凄いねんぞ。いいヤツやねんぞ。オレが保証する。しっかり自分を生きろ」
蓮さんに褒められて良介は素直に嬉しそうな顔をした。
「自信持て、大丈夫だから」
蓮さんは今度は僕を見て そう言った。


僕ら誰もがそれぞれの部屋を閉ざしていたんだ。
目をつぶって 僕は息を深く吸い込む。心の中 締めきった部屋、遮光カーテンの隙間から、暖かな春の日差しが漏れてくる。
歩み寄ってカーテンを開けよう。部屋に今光が満ちる。重い窓を開けると、春の風に乗り 桜の花びらが舞い込んだ。
新谷さんと良介の歌声に そんな映像が重なる。

歌声はきっと天にだって届く。






土星の家 木星の灯 

たまたま観たTVのたまたま観た特集が心にひっかかりました。
社会派っぽい作風は難しいけれど 中学生くらいの感じ方で とらえていくのが向いてるかなと。(精神年齢低すぎっ?)







「夏の夜なんかはさ、ここから涼しい風が入って来るし 月の光も挿しこんで なかなかいい感じだったぞ」
幼稚園児がやっと3人入って遊べるサイズの そのコンクリートの遊具の中、お風呂にでも入っているような格好で座りながら そいつは言う。
能天気な顔でそう言ったその直後、ぶるぶるっと身震いして肩をすくめ
「ううん…冬は…そうだなぁ…ちょっと、寒すぎるかなぁ」
…当たり前だ。
知らんぷりして去りそびれて 千波はため息をついて達也を見おろした。
幼馴染で隣の家の同級生だ。

「土星公園」。土星を模したこのコンクリートの遊具が砂場の真ん中にあるため 千波たちはここをずっとそう呼んできた。高架下の立地で薄暗いせいもあって 最近は子供をここで遊ばせる親も少ない。今は閑散としていて ペンキの剥げた遊具が一層寂れた感じを強くした。

─危ないよ、殺人事件でもおきそうだよ。独りで行かないで。
お母さんにも止められていたが 時々千波は学校帰りここに立ち寄った。

上をくり抜いた形の小さな土星には、相合傘だのわけの判らないロゴだのの落書きがある。砂も溜まっているから、制服のスカートを汚しそうで さすがに中に入ろうとは思わない。周りを囲むパイプでできた輪っかに足を載せ、土星のてっぺん、穴に落ちないように腰掛ける。不安定で座り心地は良くないけれど ずっとここが好きだった。
少し離れた木陰にはひっそりと木星もある。こっちはただの小さめの球体なので 飛びつくくらいしか遊び方もない。子供たちに人気はなかったが、 千波のお母さんの定位置だった。お父さんは「一緒に遊ぼう」と土星に入りたがったけれど お母さんはいつも木星の傍、ちょっと遠くで千波を見ていた。だからだろうか、ここから木星を見るとなんだか安心する。


「千波じゃん、何やってんだ?おまえ」
土星の中から見上げられて心底驚いた。
「なっ、何、そっちこそ。、ホームレス中学生 実践中?」
それは案外冗談でもない気がした。小学生の時からプチ家出を繰り返して 周りを迷惑させて来たヤツだ。達也はカラカラと笑い、そして「夏の夜」の、風だの月の光だのの話をし始めたのだった。
「寒っ…ああ。そうそうその「夏」にな、一遍 ここで会ったぞ、お前のオヤジ」

千波の父親がだんだん帰らなくなり 疎遠になってもう2年近くなる。今はお父さんの不在にも慣れ、やっとお母さんと二人、平和に暮らしている。
何でまたこんなところで近況聞くかなぁ、しかも隣の家のヤツから。千波はふぅとため息をつく。

「『千波はここが好きでなぁ、すねた時もここに隠れて泣いてた、懐かしい』とかさ まーた 調子いいこと言ってたぞ」
─あんたからお父さんの話なんて聞きたくない…っていうか何で二人がここで思い出話とかしてるんだ。マジごめんなんですが。
叫び出したい思いを抑えぎゅっと下ろした両手を握る。
沈黙が続く。そもそも最近達也とはそんなに口をきかなくなっている。幼馴染だといったって幼稚園の頃一緒に遊んで以来 そんなに仲良くしてきたわけじゃない。

「今日はオレ、ここに泊まろうかと思ってさ。母ちゃんとまた喧嘩」
達也のところのおばさんはいつも元気で思ったことをズバズバ言う人だ。母子二人暮らしの達也の家からは言いあいの大きな声と同じくらいふざけ声や笑い声もよく聞こえる。昔っからにぎやかな家だ。
「ネットとかツイッターとかで友達作るのは オタクでヒキコモリで、孤独死予備軍なんだとさ。あのクソババァ」
へぇ、達也ってネットとか好きだったんだ。学校で仲間とつるんで馬鹿やってる姿しか知らなかったので意外だった。
「達也は別にリアルで友達いるもんね。心配いらないんじゃ…」
「そういうんじゃなくさ、決めつけるのが気にいらねぇの。オタク、ヒキコモリ、孤独な人、イコール『悪』とか『悲惨』とか」
「色々考えるんだ、達也でも」
重い話が苦手なのは私の方だ。からかいぎみに返事して話を適当に切り上げようとする。まるでお父さんと一緒だ…千波は気づく。情けない。
空はもう夕焼けが消え、星がいくつか見える。
「でも、おばさん心配するよ、こんなところで野宿してたら本当に死ぬよ」
「そうだなぁ、冬だしなぁ」
いつもの顔に戻って、へらへら笑いながら達也は答える。

「死ぬ、かぁ。でもこんなとこで家族と離れて独りでいたら心配になってくるのかもなぁ」
達也が急に神妙な声を出し、土星の中で立ち上がった。服についた砂を払い、壁に手を掛けて千波の座っているところに一気に上って来る。
並んで座るのなんか何だかテレくさいのに、千波はできるだけ平気なふりをした。

「骨壷って、白いのばっかじゃないんだって 知ってたか?」
いきなり何故に骨壷。
「綺麗な模様入りのとか 小さくって香水瓶みたいなのがあるんだって」
子供みたいに足をぶらつかせて達也が続ける。
「『どっかで行き倒れになったら、オレどうなるんだろう』ってお前のオヤジが言ってた」
神妙な表情になった父親の顔を思い浮かべた。骨壷だとか行き倒れだとか、何考えているんだ。
「焼かれてから身元が判って連絡入ったら お前の母さん、引き取りに来てくれるかなぁ、って。オレもTVで観た。身元不明で引き取り手のない遺骨がさ、みんな同じ白い骨壷に入って棚にずらっと並んでるんだ…」
違うのに。みんなひとりひとり それぞれの年月を生きてきたのに。
同じ大きさ同じ形の白い壺がずらりと並ぶ棚を千波は想像する。
「何かさ、これに入れて下さいってせめて自分専用の壺持ってたい、とか、そんなこと言ってた…なぁ、オヤジともう縁切れてんの?」
黙っている千波を見、怒っていると思ったのか達也は慌てて付け加えた。
「うちはとっくにオヤジ不在だかんな。今さら連絡が入ってさ、確認してくれって言われても、本人だかなんて 姿見たってオレには判らないな。きっと」
「そんなこと…。」
喉に引っかかったものを無理やり押し出すような変に大きな声が出た。だけど続きが出ない。何て続けたらいいのかさえ判らなかった。


「『手先が器用で絵がうまい。美的センスがある。千波は芸術家になるといい』」
急に何だ?
「…ってお前のオヤジが言った」
「何?そんな話もしてたの?」
「ってか お前の話しかしてない。父の日に貰ったカゴとか誕生日に貰った絵とか粘土細工とか。良く覚えてるよなぁ」
ああ、本当に。

「お父さんその時ここで何してたの?」
「土星に住んでるんだって言ってた」
「何、それ」
「けど、次の夜 来たら いなかった」
なんだ、それ。
「結局帰ったんだ」
「何だかさ、嫌われちゃった、っつーか 呆れられたっつーかって言ってた」
「誰に?」それはあの女の人のことで、今更私とお母さんのことじゃない。
「帰る場所」がうちじゃないことを確認していまったことが 悔しい。
ちなみは唇をかんで空を見る。高架のせいで区切られた小さな空だ。

「それでも お前とは繋がっていたい、ってそういう話なんじゃね?」
「どういうこと?」
「だから 壷とか箱とか、お前が作ったのを持ってたいとかさ」
「…話がどう繋がってるのか よく解らないよ」

嬉しいのか悲しいのか、温かいのか寒いのか、こみ上げるものが何なのか 千波自身にももう良く分からない。話は繋がっている気もしたが やっぱり解りたくなかった。
ずっと別居しているくせに ふたりはまだ離婚してなくて 「千波が父さんに愛想尽きたら」離婚するんだと本気だか冗談だかわからないことを言っている。何であたしにそんな決定を押し付けるんだ?何であたしのせいにするんだ?頼りなくて調子良くていい加減なひとだけど あたしはお父さんが好きだ。しっかり者で賢くて優しいお母さんが好きだ。でも好きなひとたちが好き同士でいられなくて一緒に暮らせない。簡単に元の平和な生活には戻らない。考えるたび 静かに怒りがこみ上げる。すとん、と土星から飛びおりた。
「おい?」
「帰るっ」
結局 ずんずん歩く千波を追ってその日達也も家に帰った。


部屋に籠って 千波は怖々「骨壷」をネットで調べてみる。
本人であったり 遺族であったりするけれど 真っ白じゃなく その人らしい器を求める人がいるらしい。リビングに飾って傍でずっと供養することもあるらしい。
お父さんは寂しいんだろうか。独りぼっちで死にそうで怖いんだろうか。
あの女のひとと 一緒にいても。


どうしても気になったままでいられなくて 千波はお母さんに聞いてみる。
「そうねぇ、お骨は別に迷惑なんてかけないし…」
一瞬ではあったけれど妙に押し黙った母に まずい質問をしたかとおおいに焦ったのに、口を開いたお母さんは意外に明るい口調で言った。
「いいわよ、引き取っても。父さんのとこのお墓にちゃんと入れる。」
お母さんの気持ちがそういうので良かった そんな気がした。
誰かを恨んで、死んでも「知らない」ってそっぽ向いて、よその人に託すって…そんなの悲しい。しかもそれがお父さんだったら。
「お祖母ちゃんなら あの世でもしっかり叱ってくれるしね。フショウのムスコ」
くすくすっとお母さんは笑った。しっかり者で怒ると怖かったっていうお祖母ちゃん。お父さんがずっと頭が上がらなかった優しくて強くて大きいひと。あはは そうだよね、お祖母ちゃんがお父さんを叱るのが目に浮かぶ。

お父さんは知っているのだろうか。お母さんには最近創作の趣味がある。
仕事を増やして辛そうな時期もあったけれど 最近はそんな趣味の時間を楽しんでいるように見える。食事時、お母さんの焼いた器にサラダを盛りながら お母さんはなかなかいいセンスをしている、と思う。
「ねえ、お母さん、あたしも造りたいものがある」
「わぁ、何?どんなの?じゃ 一緒に習いに行く?」
「土星の型の器とか、木星型の飾り…とか」
それはいきなりの思いつきだった。けれど気持ちにしっくり嵌って悪くない気がした。骨壷なんかじゃない。土星と木星を造ってお父さんにあげたい。ううん、造ったからうちに取りに来てって言うのはどうだろう。

想いは凄く複雑で お母さんの気持ちとか考えると心配は膨れ上がる。
あたしはお父さんに愛想なんか尽かさない。
「戻って来て」それは言葉にするとあっけなく終わってしまう。だけど 時間は巻き戻せないし、わだかまりはきっと消せない。

お母さんにお休みを言って 部屋に戻る。
窓を開けると冬の星座が見えた。空気がキンとして時折吹く風は冷たいけれど それも結構気持ちが良かった。息を思い切り吸いこんで吐きだす。
今日も送信しないメールをお父さんに打つ。「おやすみ お父さん」。



大きな土星の形の家。
「さすが いいモノを造る。父さんの血をひいてるからなぁ、千波は」
お父さんがくしゃくしゃの顔で笑いながら言う。
木星の形のランプシェードを大切そうに箱から出し、お母さんが言う。
「これは私の作品。なかなかいい出来栄えだと思わない?」
お父さんがそれを受け取って天井に吊るすのを見守りながら、千波も言う。
「土星人家族だね」

ぼんやりとそんな光景を想像しながら 千波は眠りに就く。


記憶の底の建築群

お題の本が解ってしまって、それもわざわざamazonで買ってしまいました。なんせ猫関係ですから。
お題の文も引用という形で使ってしまうというこれまたヒネリのないことをしています。関西方面の方、モデルの女子高とホテル、解っちゃったかと思います。

第40回 Mistery Circle バトルロイヤルルール(共通お題)
出展:「猫の建築家」 著:森博嗣
【起の文】猫は建築家だった。何度か生まれ変わったけれど、そのたびに建築家になる。
【挿入文】「これ、内側には入りにくいようですね」「見えるだけだ」
   「いつか入れるようになるでしょうか?」「内側ったって、別天地ってほどでもないよ」
   「丘の上に、入りやすいヤツがあるから、見ておいで」
【結の文】少しだけでも、確かなものがあると、嬉しい。





『猫は建築家だった』
と ヒロオカタツミがつぶやいた。

康太先生の車で、その女子校へ行き、有名な外国人建築家が設計したという校舎を見て回った。
アーチ型のホールの入口や 壁や柱の細かな細工、渡り廊下の丸い窓、質素で温かみのある礼拝堂の木の扉。
それらのひとつひとつを愛しむように目を細め眺めた後、ヒロオカタツミは続けて言った。
『何度か生まれ変わったけれど、そのたびに建築家になる』

小さくてかすれていて でも、深くその人の心のそこから響いてくるみたいな声。その声にどきりとしたことを 私は一瞬のうちに打ち消す。

ふんっ なに?
解ってもないくせに。知らないじゃない。
入って来ないでよ。
なに、それ。

康太先生の脇をつっついて
「それ、言うならさ、『あるときは ねこは建築家のねこでした。
ねこは建築家なんて きらいでした』だよ、ねぇ」

そう言って 私は余裕かましてクスリと笑うつもりだった。でも、ただ頬が引きつっただけで 笑いにはほど遠いゆがんだ顔になっただけだった。

そうだ、解っていないのは こっちだったのだ。

*

「こいつは大学が一緒のヒロオカ タツミ」

康太先生が電話で、一緒に行こうと誘っているのを聞いている間 もちろん「タツミ」なんて名前、女の名前じゃない、苗字に違いないと思っていた。でも紹介された「タツミ」を見て、私の予想が大きく外れていたことに驚いた。自宅の玄関先で私たちの迎えを待っていたのは 随分と整った顔立ちの男友達で、しかも車いすに乗った人だった。そして
「この子が塾の生徒の勝谷、勝谷夏帆。」
康太先生が私の名を言うと ヒロオカタツミは 一瞬きょとんとし、すぐに表情を崩して笑顔を見せると、言った。
「てっきりカツヤ君って男の子連れて来るんだと思ってた。ナツホちゃんね、そうかそうだよな、甲和女学院の見学が今日のツアーの『理由』だもんね、そもそも」
ヒロオカタツミは「理由」に力入れて そう言った。

気に入らない。
最初っから何でもお見通し、みたいな目でこちらを見るこのタツミという男が気に入らなかった。
康太先生が車いすのヒロオカタツミの身体を支え 車のシートに座らせた時からずっと 私はこの男が思い切り気にいらなかったんだ。





私の通う個別学習の塾で 渋谷康太は講師として働いている。
建築学科の大学生だということくらいしか、考えてみれば彼のプライベートを知らない。塾の決まりでいつも Yシャツにネクタイ姿なので、普段はどんな服を着て どんな音楽を聴いてるんだか、まったく想像がつかなかった。

大学生の渋谷康太。サークル活動する渋谷康太。誰かの息子の渋谷康太。
誰かの友達の渋谷康太。過去の…こどもの、中学生の、高校生の 渋谷康太。あんなだろうか、ううん こんな感じかな…
想像の中で渋谷康太はなかなか形にならず いつも私の手に届かない。

誰かの恋人の…そこで想像はストップする。
そこだけは考えない。考えたくなかった。


高校受験用の夏期講習で追加した授業数のうち 康太先生の持つコマは意外と多かった。顔を合わす日が増えた分 幾分距離が縮まった気がした。
猫が生まれ変わる絵本の話は 国語の問題文の中のひとつにあり、繰り返しのコトバが妙に気に入って、事あるごとに色んな「誰か」に入れ替えるのが私と康太先生の間での遊びになった。

挿絵の猫はふてぶてしくて目つきがちょっと悪い。「この話で作者が何をいいたかったか」なんて問題は苦手だし大嫌いだったけれど 何より 康太先生と同じ遊びを共有していることが、そこに誰も入れないことが、私にはうれしかったのだ。

「あるとき ねこは 塾の講師のねこでした。ねこは塾の講師なんか きらいでした」
にやっと笑って 私が言う。
「あるとき ねこは女子中学生のねこでした。ねこは 女子中学生なんて だいきらいでした」
テキストを開き宿題をチェックしながら、鼻歌でも歌うみたいに康太先生が言う。





知らないのは 私の方だったのだ。

「『猫の建築家』・・・あれはいいよね」
プリントの入った白いTシャツにジーンズ、黒いキャップを被ったの康太先生は 車椅子の「友達」の言葉に黙って頷いている。二人は同じ方向を向いたまま建物にずっと見入っていた。着て行く服を迷って選んだ自分が恥ずかしい程、普通っぽすぎる先生の服装に 私はちょっとがっかりしていた。
「こういう建物を見たら思ってしまうよなぁ。オレも何度生まれ変わっても 建築家になりたい」
康太先生よりヒロオカタツミの方がよくしゃべる。でも、答えを先生に求めてるというよりは 独りで勝手に言うから聞いていてもいいよ、そんな感じの物言いだった。
「生まれ変わって別のものになって記憶が消えていても、自分の造ったものに遭った時 何か自分に近いものだってこと 感じるのかな」


建物は確かにレトロなつくりでかっこいいとは思うけれど どこをどうそんなに感じ入って眺めたらいいのか よく解らない。生まれ変わった先のことなんて どうしてまたそんな話をここでするんだろう。
取り残された気持ちで 数歩後ろで立ち止まる。

「学校なんてさ、行ってからまわりの人間がどうかとかさ、そっちの方が重要なんだけど」
わざとと声に出して言ってみた。
康太先生は気にも留めずに建物を見ていたのに、ヒロオカタツミはこちらを振り返った。幼い者を見るような優しげな笑顔。それがまた どうしようもなく私に向かって「負け」を宣言しているように思えて、カンに触る。




「先生 免許取れたの?」
やっとひとつ知ったプライバシーは 康太先生が学校と塾のバイトの合間に
教習所通いをしていたことだった。
ふっともらしたそのことに 食いつかないわけがない。
「先生 教習所の先生に怒られた?試験通った?」
「今 何段階?車買うの?新車?」
少しずつ少しずつテキストの内容以外の話が増えるのがうれしかった。

受け持ちの授業が多い生徒への気安さもあってか、康太先生も授業の後先に、私が振る話に結構乗ってきてくれた。
「考えてる車はあるんだ」
「えーっ どんなのぉ?」
車の名前なんて聞いたって解らないけれど 興味あるふりをして先を促す。
車に乗ってまず行きたい様々な建築物についても、少しずつ教えてもらった。その中に母が薦める女子高の校舎もあるのを知り、是非見学に行きたい、母も一度学校を見に行きなさいと言っている、と言ってこの日にこぎつけたのだった。





「これは、オレは中には入れないよな」
「うーん、車椅子では危ないかもしれないなぁ、老朽化も酷いし階段もキツイ」
「いいよ オレなら。一度外観だけでも見てみたい。」
休憩に入った喫茶店でヒロオカタツミがパソコンを開き二人の好きな建築関係のサイトとやらを見始めた。
こっちにも見えるように 画面を向けてくれてはいるが、私はわざとそっぽを向いて水の入ったグラスをいじっていた。

「『いつか入れるようになるでしょうか?』」
ヒロオカタツミが言う。それはとても明るい声だったけれど 言葉の後の横顔は一瞬暗くて、今から泣き出すんじゃないかとさえ思えた。

「『内側ったって、別天地ってほどでもないよ』」
康太先生が返す。棒読みなので何かの引用だろうと想像はついた。
「『丘の上に、入りやすいヤツがあるから、見ておいで』」
ヒロオカタツミが笑いながら続けた。泣きだしそうな表情は見間違いだったのかもしれない。

康太先生と肩を寄せ合いながら同じ画面を見るヒロオカタツミの視線が、時折こちらに向く。きっとこの人は康太先生より気配りができる。周囲の微妙な空気に敏感だ。康太先生より今、私のイライラした気持ちに気づいている。…それがまたカチンときた。

最悪。コイツあたしに喧嘩売ってる。
頻繁に会話に出るのが、「猫の建築家」とかいう本のことなのはだんだん解った。ヒロオカタツミが私にも何の話か解るように時折フォローを入れながら話すからだ。そんな配慮が余計にもどかしい。
優しいつもりなのかもしれないけど、全く余計なお世話。
コイツ、結局は私をハミらせて面白がってるんだ。
カッと頭に血が上り その後 スーッと身体が冷たくなるのを感じた。

康太先生とべたべたすんな。
オトコのくせに。
・・・・車いすのくせに。

嫉妬という文字が浮かんでくる。自分でも馬鹿だと思う。
解ってる。解ってるんだ。私はただの塾の生徒で、康太先生は私の志望校の建物を自分も見たいから、「学校見学」って理由つけて今日こうして連れて来てくれたのだ。

─ 個人的に生徒と外でなんか 会っていいのかしらね、渋谷先生。
娘より先生の心配をしている母の言葉が浮かんだ。
塾長にも許可取ったから、というのは私の嘘だ。



「ここ見に行きたいんだけど、勝谷はもう疲れたかな?」
いきなり康太先生が私に話を向けた。パソコンの画面には何だかボロボロの部屋が映し出されていた。色褪せた布張りの肘掛椅子が床に転がり、ガラスの破れた出窓から、すすけた色のタイルの床にうっすら日が差し込んでいる。元は大きなホテルで、今PCの画面に映る画像はダンスホールだったという。

過ぎた日の人の気配ってあるんだろうか。
がらんどうの部屋なのに 華やかに着飾った人たちがさっきまでいて、スッと消えたような、不思議な印象が残った。

「へぇ、廃墟とか?そういうのの愛好家っているんだよね?ねぇ、そこ何か出るの?幽霊とか?」
ここに魅かれる気持ちはそんな理由じゃない。自分でも解っていた。
懐かしい…って感じはさっき言ってた「生まれ変わる」って話に関係あるのかな、なんてふと思う。何だか私、影響されてるじゃん、と思うと余計腹立たしくて、興味のないフリをした。

「ここは廃墟愛好家のサイトじゃないよ、オカルト好きのでもない」
いつも穏やかな康太先生が珍しく語気を荒げ、嫌な顔をした。
ヒロオカタツミがそんな康太先生を横目で見ながら、くっくと笑った。




山道を車で行くと それだけでも十分気分は悪くなった。
助手席のヒロオカタツミと先生は 私のことなんか忘れたみたいにずっと建物の話をしていた。
目的地に着くと ヒロオカタツミはやはり外観を眺めて待っていると言い、康太先生はカメラを持ち、ちょっと済まなさそうな顔をして、「立ち入り禁止」の立て札のある建物に侵入して行った。
「気分悪いし、車の中で待つ」
そう言ってぶすっとした表情を崩さないまま、私は一旦降りた車に戻る。

車のドアに手をかけながらふと 思う。
車の名前なんてやっぱり全然解らないけれど、先生の欲しかったこの車は
きっと車いすのヒロオカタツミをあちこちに連れて行くためのものだ。


「在り続けるものには それだけの理由がある、そう思わない?」
ずっと黙って建物を見ていたヒロオカタツミが、こっちを振り返り、まっすぐな目をして問いかけた。

─ 何で 私にそんな話を振る?私は建築の良さなんて解らない、同じ本も読んでない、ただの馬鹿な中学生だよ。

返事をせず ちょっとにらみ返す。視線が顔から下に降り、ヒロオカタツミの車いすとその細い足に向いた。

「ナツホちゃんは正直だね」
ヒロオカタツミが陰りのない笑顔を見せて言った。

山の上は時折風が強くて ヒロオカタツミの茶色の髪がさらさら揺れた。広い空が夕焼け色に染まって、崩れかけたホテルの建物を少しずつシルエットに替えて行く。
「在り続ける理由」について、その風景が物語っているように思えた。




夏休みが終わると康太先生は塾の講師を辞めていた。
個人面談で各講師のことに触れた塾長に「渋谷先生に車で学校見学に連れて行ってもらいました」と言ったせいなのかどうかは解らない。誰にも結局聞けないまま、中3の終わりまでその塾に通い 例の女子高に合格した。
そのままそこの女子大に進学して少し経った頃、私は久しぶりにヒロオカタツミに遭ったのだ。

「ナツホちゃん?へえ…もう女子大生なんだ。何だか早いね」
電動の車いすを止め、話しかけてきたのは意外にもヒロオカタツミの方だった。
「あ…あの時はどうも」
何を話したらいいんだかよく解らない。あの日一日会ったきりの元中学生がよく解ったな、と正直驚いた。相手は随分痩せて、あの時より何だかまひが進んでいるように見えた。目線をどこにしたらよいか迷う。
「電動車いす使ってるんですね。あれから…」
康太先生は?と聞きかけて口ごもる。
「康太?うーん元気なんじゃないかな。あれからお互い学校も忙しくなってさ、大学出てからはちょっと疎遠かな」
意外な感じがした。先生はずっとこの人に付き添っていると、勝手に思っていた。
「やっぱり正直だね、あいかわらず」

ヒロオカタツミが勤めている設計事務所がすぐ近くにあり、気まずい空気を引きずったまま 何となく話の続きをそこですることになった。

「あの日 あいつが連れれてきた君を見て、踏ん切りが着いたんだ」
ヒロオカタツミは器用に車いすで移動しながら、お茶を淹れてくれた。
小ぢんまりした、でも居心地の良さそうなオフィスだ。今日は皆出払っているとかで、今は私とヒロオカタツミの二人きりだ。、
デスクの傍に幾つか建物の写真がある。その中にあの日訪ねた学校とその後行った古いホテルの建物があるのに気づく。

「あいつがね、オレに内緒であのサイト創ってたの、解ってたんだ」
それはあの時一緒に見ていたサイトの話だった。お前が好みそうな建物が紹介されている、と康太先生がそのサイトを教えてくれたのだという。
「何で内緒なんかに…?」
「そうだな、何でかな」
ヒロオカタツミはマグカップに入れたお茶を啜りながら、上目遣いでこちらを見てゆっくり付け加えた。
「気遣いすぎるっていうかね、そういう男だったよね、あいつって」
「優しかったですよね、本当に」
そう、きっと誰にでも。

だから康太先生は色々見てきた場所や建物をこの人にも見せたくてサイトを創っていて、なのに自分の足で自由に行けることを、申し訳なく思ってたんだ。康太先生らしいや、と思った。でもそのことが逆に、この人を傷つけていたのかもしれない。

「本当に馬鹿だよな、とんでもないお人よし」
ヒロオカタツミはそう言って壁の写真を見る。建物の写真のそばに1枚だけ
人物の写った写真があった。
古い建物をバックに、あの日の私と康太先生とヒロオカタツミが居た。
「ひとのためにあんな車買ってさ」
沈黙が続く。静か過ぎる部屋の中に換気扇の音だけが大きく聞こえる。
「この日踏ん切りがついた…っていいましたよね?」
「うん」
ヒロオカタツミはお茶のほとんど入ってないマグカップを両手で持ったまま、少しの間目を閉じた後 ゆっくりと話し始めた。

「ずっと思ってた。でも、認めたくなくて逃げてたんだな」
何を?何から?
聞いていいのか迷う。
「このまま友達として付き合い続けても、いつか康太が負担に思う。負担に思うってことであいつは自分を責めるかもしれない」

あいつはその内ちゃんと女の子と恋愛して結婚していく、あの日私を見て確信し、康太先生に甘えるのを辞める決意をしたのだと ヒロオカタツミは静かに笑って言った。そして
「君のこともとても大事に思ってたよ」
ヒロオカタツミはそうも言った。

「先生が塾を辞めたのは あの日出かけたことと関係あったんですか?」
─ 私が先生と出かけたこと塾長に言ったせいなんですか?
ずっと気になっていたことだった。

「逆だよ」
ヒロオカタツミはまた笑う。皮肉も嫌味もない優しい目だ。
「辞めるって先に決めていたからキミを連れて出かけたんだよ」
あの日結局ずっとぶすっとしてた。傷つけられたと思って先生の背中をにらんでた、背伸びばかりしてたつまんない中学生。



お茶と話のお礼を言って ヒロオカタツミの事務所を出た。

あの時見た夕焼けと同じような空が遠くの山の方に広がっている。
─ 残るものを造るまでオレ、時間があるかなぁ。
そう言って壁の写真を眺めたヒロオカタツミの細い手足を想う。

─康太は今ここで頑張ってるよ。
あれから疎遠だなんて言いながら、ヒロオカタツミが見せてくれたのは 建築関係の雑誌の、海外からの現地リポートのページだった。康太先生の小さな顔写真とごく簡単なプロフィールが載っていた。出身地や家族構成、そんなことさえ結局私は知らないままだったんだなぁ…と今更ながら思う。

透明なデスクマットの下には何枚かポストカードが挟んであった。余白に感想を書きこんでいた、あれはきっと先生の字だ。
康太先生の照れたような笑顔や テキストをめくる指を思い出す。


建築の勉強をしてみようかなと思う。あの頃先生が観たいと言っていた場所に行ってみたい。
どこかであの二人と繋がって、私もいつか「在り続けたもの」にもう一度出会う。生まれ変わってもヒロオカタツミはまた絶対に建築家になるだろう。康太先生は世界中を巡り、私も自分の足で訪ねた先で、「いつかのヒロオカタツミ」が造ったものにきっと気づくのだ。ちゃんとそれを見つけるのだ。


─そんな風に少しだけでも、未来に確かなものがあると、嬉しい。
何度も何度も読み返したあの本の言葉をまねて 私は呟いてみる。



 | HOME |  »

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
コメントOKです。
舞い上がって
喜びます。

FC2Ad

FC2ブログ

管理者ページ