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生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

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OUR HOUSE

Mystery Circle第22回参加作品
今回のお題提出者はプロとして作家活動をなさっている田川ミメイさん です。
お題選びにもいろいろと思いいれを述べてくださったり、参加者としては嬉しくも緊張する回となりました。
 今回は「安見の散歩道」のやすみさんから頂いた、ナガメヒナゲシの写真を添えさせて頂きます。
帰化植物で実際は強い花のようですが、風に揺られ道の隅にぽつりと咲く風情が、お話に合うように思います。やすみさんありがとうございます
(^^)

hinagesi.jpg


4月お題
「彼は足元の枯葉を蹴った。長い信号だった」
で始まり
「それは冷凍室でかちかちにされた一切れのチーズのように、冷えきっていた」
を含む文章で締めくくること。

お題の出典:『余白の愛』 著:小川洋子







足元の枯葉を蹴った。長い信号だった。
─ 何が間違いだったのか


転勤先で、二人だけの新しい暮らしが始まった頃は楽しかった。

地方都市らしい小ぢんまりした町並みも親しみやすい感じがするし、耳慣れない土地の言葉さえ、新婚生活のスタートにはふさわしく新鮮に思えた。
2DKの社宅。くるくると家事をこなし、やりくりを一生懸命している柚子は、何だかままごとみたいで、それがまた、かわいく思えた。
仕事が忙しい幸弘に代わって、様々な手続きを柚子は一人でこなし、家具や雑貨を決めるのにも沢山店を回って
「これにするよ、いい?」
メールで写真を送って来た。
柚子の好みのインテリアが少しずつ揃い、テーブルには可憐な花がいつもあった。
そして何よりも 出迎えてくれる柚子の笑顔が嬉しかった。

想像していた通り、柚子は社宅の付き合いにもすんなり溶け込んだ。
帰宅するといつも、リサイクルテクニックだの、美味しいクッキーの焼き方だの裏ワザ収納方だの、今日聞いた話題をひとしきり聞かされた。
女っていいよな・・こんな他愛のない話や噂話で仲間が出来、土地に馴染んでいく・・
柚子の話を心地よく聞き流しながら、幸弘はネクタイを外す。


どこで何が間違ったのか。

柚子の様子がおかしいと幸弘が気づいた頃には,安売りのトイレットペーパーが棚から溢れ出し、冷蔵庫には卵のパックがいくつも並び、野菜室には押しつぶされたトマトが汁を垂らし、
終いには冷蔵庫を開けるとなんとも言えない腐臭さえした。

「ユキくん、最近帰り、おそいね・・」
「ユキくん 週末もお休み取れないの?」

そこそこ楽しそうに過ごしているように見えても、新しい土地で過ごす時間は長く感じられるのだろうか。
最初はやりくり上手な奥さんの話を鵜呑みにしての ただのやり過ぎかと思っていた。
それもだんだん度を越し始める。
かまって欲しくてわざとこんな事をやってるの?
夫婦の事にまでしたり顔でアドバイスするよその奥さんの、つまらない話に乗せられてるんじゃないの?
柚子が、買い込んだものを冷蔵庫や押入れに無理やり押し込む様子を横目で見ながら、幸弘はTVの音量を大きくし、ぱたりと横になる。

こんなことしなくても、ちゃんと話してくれたら聞くのに。
変わった仕事や環境の中、今は周囲に無理してでも合わせていかなくちゃいけない。
慣れたら上手に休暇も取る。一緒に散歩したりショッピングしたりもできる。だけど ちょっとだけ待ってほしいんだ。
僕だって転勤がプレッシャーになってないわけじゃない。
職場に行ってる方は もっと大変な思いをしてるんだ。
寂しいとか言ったって、好きに時間を過ごせる柚子の方が一日どれだけ楽なことか・・
考えていると、冷蔵庫や押入れに溢れた安売り商品に、幸弘は抑えがたい苛立ちを覚え始める。
つい大声を出してしまった次の日、それらの物たちは
柚子が新たに購入してきた巨大な冷蔵庫の冷凍室に、詰め込まれたのだった。

─ 今日こそ絶対片付ける、そしてきっちり柚子と話すんだ。
蹴散らされた枯葉が くるくると風に舞う様を見ながら幸弘は心に決める。遅い信号がやっと青になった。
足元に転がってきた枯葉を一つ踏みつけると、サクリと乾いた音を立て枯葉は簡単に粉々になった。



まず、冷蔵庫の方のしなびた野菜をポリ袋に次々放り込み、卵や牛乳を全部テーブルに並べた。
冷凍室の引き出しはぎゅうぎゅうに詰め込まれていて開けるのすら苦労した。


「柚子、こんな買い方って、変だと思わない?自分で解ってる?」
柚子は小動物の様な黒目がちの瞳で、幸弘をただ見つめている。感情が読めない。
恐ろしく長く感じた沈黙の後、急に柚子はテーブルの卵の意味が今、解った・・とでもいうように にこりと笑い
のろのろとした口調で言ったのだ。
「ユキくん晩御飯 卵がいいの?」
「飯は食ってきた。」
「ユキくん卵、好きだものね」
「もう 飯食ってきたんだ。連絡しなくて悪かったけど」
「ユキくん 何がいい?オムレツにしようか?」
「消費期限切れてるんだよ、気づいてないわけじゃないだろ?」 
「何がいいかな。すぐ作るから。何にしようかな。」
間の抜けた柚子の台詞。あまりのかみ合わなさに怒る気さえ失せる。
「連絡しなくって怒ってるの?晩御飯食べる時間に帰れないんだ。残業続きだって言って・・」
ピシッ。
「そんなんじゃない」柚子の言葉と同時に、頭目掛けて卵が飛んできた。
壁にカツンと音たてて当り、殻が割れ、中身がどろりと出て滴る。
最悪の事態。2個目、
3個目。
「そんなんじゃない」「そんなんじゃないよ」
「よせ、よせったら、怒るぞ柚子!」
身構えたが 4個目は飛んでこない。
「・・・・」
「柚子?」
「・・・・」
「柚子?!」


机に突っ伏す柚子におそるおそる近づいてみる。
泣いているのかと思ったら 柚子は驚くべき早業で眠っていた。
拍子抜けする程平和な寝息。どっと疲れが出た。



次の朝。すっきりした顔の柚子に幸弘は心底ほっとした。
向き合って食卓に着く。きれいに焼けた目玉焼きは平和な朝の象徴。
「いっただきまーす。」
消費期限が切れてたって構うものか。

ほっとしたのもつかの間。柚子は朝食の目玉焼きをぐしぐしフォークでつつき始めたのだ。
「何してんだよ。普通に食べなよ。」
「・・・」
「美味しいよ。傷んでないよ。大丈夫だよ。」
「・・・・」

「いつまで すねてる?頼むよ、こんなのいい加減にやめようよ」
色あせてきた花がいつまでも飾ってあるテーブルを幸弘がドンと叩く。
弾かれたように顔を上げ、まじまじとこちらを見、柚子はフォークをぽろりと取り落とした。
下手な芝居みたいに。

「ユキくんは私のこと、解ってない・・」
「そんなことないよ、誤解だよ。僕も柚子もちょっと疲れてるんだよ。
 今度こそ週末は休み取るからさ、一緒にゆっくり過ごして色々話そう・・な?」

「ユキくんは私のこと、解ってないよ・・」
「いや、昨日はたださ、ちょっと同じもの買いすぎなんじゃないかって、それだけ・・」
「ユキくんは私のこと・・・」

絶望的なリフレイン。



柚子の所に早く帰らなくてはという思いと できれば少しでも遅く帰りたいという気持ちが交差する。
─病院に連れて行った方がいいのかも・・
いや、まさか そんなこと・・心配しなくても すぐに何もかも元通りになるかもしれない・・
淡い期待。身勝手な希望。
幸弘の考えが纏まらないうちに、家のドアが目の前にある。


「お帰り、ユキくん」
ドアを開けると明るい笑顔の柚子が立っていた。顔色もいい。それだけで安堵する。
「ただいま 柚子」
穏やかな時間がこんなにも有難いものか。
お腹は空いてなかったけれど、柚子が用意した夕食のおかずをビールのアテにして食べた。
傍で柚子はにこにこ笑っている。
─良かった、以前の柚子だ。
経理課に行くといつも笑顔で接してくれた。疲れた顔をしてると冗談言って笑わせてくれた。
・・懐かしい恋愛時代を思い返し、幸弘はくすりと笑う。柚子も笑顔で返してくる。

「いいことでもあったの?柚子」
「うん。後で・・ね」
「もったいぶって、何?聞かせてよ、どうしたの?」

柚子はにっこり笑って椅子を立ち、サイドボードからテニスボールくらいの大きさの丸い玉を持ってきて
ダイニングテーブルにさも大切そうに載せた。
透明で、中にぷつぷつと気泡のようなものが見える。
「何?水晶占いのおもちゃ?どうしたの、これ?」
ちょっとつつくとそれはゴムのような質感。巨大スーパーボール。

「ユキくん、信じる?これね、凄いんだよ。」
「何が?」
「毎日話しかけて優しくしてやると、だんだん温かくなってきて、もっと綺麗に輝くんだって。」
「・・・?」
「うんと温かくなって美しく輝く時、ユキくんと私の赤ちゃんがいい子で生まれてくるんだって。」
「赤ちゃんって・・僕らはまだ・・」
あと数年は作らないで二人で過ごそうって言ってたじゃない・・幸弘は言葉を飲み込んだ。
信じ切ったような柚子の言い方と、どう見ても馬鹿でかいだけのスーパーボール・・
からかわれているんだよな?これって 冗談でしょ?
「柚子ってば・・」
苦いものを感じながらも、ここはあえて笑い飛ばそうとしたのに、柚子は大真面目な顔で幸弘の言葉を遮り続きを言った。

「買い物に行こうとしたらね、道に迷った男の人が、道を聞いて来たの。、
 私も詳しくないからって 一緒に家に帰って地図で探してあげたの。」
「わざわざ、連れて、帰って?」
「うん、喉が渇いて・・って仰るし」
「何、それ?新手の訪問販売とかじゃないの?」
「ううん、何にも売りに来たわけじゃないよ。ただ・・」
「ただ・・?」

「言葉が懐かしくって・・」

ああ・・言葉がね・・何となく納得した。だけど・・
「無用心にも程があるよ。危ない目に合わなかったから良かったものの・・
 親切にも程度ってものがあるだろう、そんな訳の解らない玉、くれるヤツなんて大体・・」
「中に入れたわけじゃないのよ。その人もここで結構ですって。」
「あたりまえだ、あれだけ玄関ドア開ける時でも注意しろって・・」
「だってお年寄りなのよ。結局、少し先の老人ホームまで案内してあげたの。」
「なんだ・・迷子のお年寄り?」
「私の手を握ってね、ありがとうって何度も何度も言って、これをくれたの。
 とても大切なものなんだけど、貴方に差し上げますって。」

「断ったのよ。そんな大事なもの頂けませんって。でも、ぜひ貴方にって仰って・・」
柚子は赤ん坊でも抱くようにその玉を抱え込み 愛しそうにほお擦りした。
「柚子・・?」
「あなたにいいことがありますようにって、大切にした分だけ、この玉も愛情を返してくれますよって・・」
「柚子!?」

柚子はぺったりと床に座って 膝にのせた玉を撫ぜながら、語りかけている。
優しく、この上なく幸せそうに。




「玉」の効果か、柚子の精神状態は それからとても安定していた。
買い物の仕方も前に比べればずいぶん普通になったし、他の事は今まで通りにこなすようになった。
不安を口にすることもないし、また社宅の奥さんたちとの交流も元通りになっているようだ。
それでも以前より柚子のところに帰る時 気が重い。
不審な巨大スーパーボールを毎日撫で続け語りかける柚子は、十分異様に思えた。

「子供が欲しいの?柚子。それならそうとちゃんと話して」
声を掛けると 柚子は穏やかに微笑んで言う。
「急いでなんかないよ。前その話は二人で決めたじゃない。」
「じゃあ、何で・・」
「だって、思いがけず・・って事もあるじゃない。その時に予定外って慌てるなんて可愛そうじゃない?
 それよりも、ずっと待ってたよ、って言ってあげたいもの・・」
頭がズキズキした。
どちらにせよ、こんな精神状態の柚子に赤ん坊が出来るなんて、それこそ不安だ。
その上柚子はこの頃 子供みたいに早寝だし、熟睡したら声を掛けたって起きやしない。

「ほら、前よりキラキラして綺麗になったでしょ。最近はあちらからも何か囁きが聞こえてくるんだよ」



幸弘の出した手紙に返事をくれる代わりに、義母が慌ててやって来た。
怒られても当然だ・・幸弘も覚悟はしていた。
ほんの数ヶ月前、あんなに幸せにしますと言い切って結婚式を挙げたのだ。
ずっと傍にいて欲しいという義父母と涙ながらの別れをして転勤先の土地にやってきたのだ。

義母は幸弘を責めはしなかった。そして、深いため息をついた後、意外な事を言ったのだ。
「小さいときから引っ込み思案で、酷い人見知りする子なので心配してたんです。転勤先の社宅暮らしなんて・・」
「柚子が引っ込み思案で人見知り?」
誰の話だ?幸弘がきょとんとしているのを見、柚子の母はまた、ため息をつく。
こちらを見ていた柚子が慌てて目を逸らした。
「人付き合いが苦手で、辛いことをひとりで抱え込む子で・・・正直親としても悩んだ時期があるんです。
 やっぱり 貴方にもお話してませんでしたか・・。」
幸弘が会社で出会った頃の柚子は、そんなそぶりもなかった。
いつも笑顔の世話焼き柚子。愛想のいい、控えめだけど人当たりのいい女の子。
自慢の彼女、と同僚にも紹介し、友達カップルと一緒によく遊びにも行った。
人付き合いが苦手だなんて 一言も柚子は言わなかった。
─ 無理してたの?いつも柚子はあんなに朗らかだったのに?


「柚子、柚子に無理して欲しかったわけじゃないんだ。
 柚子が新しい場所に馴染むのや 他人と付き合うのがそんなに苦痛だってこと知ってたら・・。」

義母を交えて、幸弘は柚子と向き合って話そうとしたが、柚子はずっと黙って例の玉をなぜている。
たまりかねた義母が「玉」を柚子の手から取り上げて言った。
「しっかりしなさい、柚子。ただのゴムの玉よ。まさか信じてるわけじゃないでしょ?」
「寂しい時は愚痴言っていいって言ったでしょ?こんなおかしな事になってしまうなんて・・」
義母は柚子を抱きしめて泣く。
「一緒に帰ろう、ね、柚子。少し母さんと父さんのところで休むといいわ。
 また治療が必要なのか、今必要なのはどうする事か、ゆっくり考えて答え出すといい。
 それくらい、幸弘さんも待ってくれるわよね?」
義母の腕の中で、柚子は小さな人形のように見えた。危うくて儚い小さな存在。
柚子の唇が細かく震え、綺麗な透明の涙のしずくがポロリ、柚子の頬を伝って落ちた。



次の朝、柚子は冷蔵庫の中を自分で仕分けし、処分した。
しなび切った大根、ぱさぱさになったきのこ類。
冷やす必要もない缶詰の類。賞味期限の切れたもろもろの食品。
冷凍庫の中のひからびたチーズのかけら。
そして、うな垂れたまま義母に支えられるようにして幸弘の元を去り、元の居場所に戻って行ったのだった。
ひとことも言葉を残さずに。


柚子がいないだけで、部屋がからっぽになったような気がする。
柚子のせいでいらいらして、仕事さえ手につかなくなったとまで思っていたのに今は何のために明日から仕事をしたらいいのか解らない。
脱力感、喪失感、言いようも無い居心地の悪さ。
窓の外の風景が色を失い、やっと馴染んだはずの家の中もよそよそしく冷たい。

立ち尽くす幸弘の足元で何かがコロンと転がった。
見下ろすとそれは例の「玉」。
透明のゴム製の球体を、拾い上げて手の平に乗せる。
冷凍室でかちかちにされたあの一切れのチーズのように、それはキンと冷えきっていて 昨日柚子が撫ぜていた時よりも、ずっと小さく硬くなっているように見えた。
玉の中から、柚子のか細い声が聞こえる気がする。幸弘がゆっくり撫ぜると、一瞬、淡く光ったように思えた。
カサリと音をたてて、傍に残された手紙が落ちた。柚子からのメッセージだった。

「ユキくんへ

母の言ったこと、本当です。
克服したい、変わりたいと本気で思ったのは、ユキくんを知った頃からでした。
営業で苦労してるところ、接待で疲れているところ・・ユキくんを見て、 私と似てるものを感じて、ずっと応援していました。
ユキくんと付き合うようになって いつも楽しかった。
真っ直ぐに頑張ってるユキくんが好きでした。
 
 ユキくんが私のこと、もっと社交的な女の子だと思ってくれてることに気づいた時、 本当は違うんだって言おうかと ずっと迷っていました。 
でも、自分が変われるいいチャンスかもしれない・・ううん、きっともう変われてるんだ・・と思いたかった。
ごめんね。ユキくんのいい奥さんになれなかった。
でも、あの玉を撫ぜてたら心が落ち着いて、未来の私たちの赤ちゃんに励まされている気がしたの。
 
変ですよね。
きっとまた、私は壊れかけているのかもしれません。

昔お世話になった病院に 行ってみようと思います。
ここでの仕事の方が、ユキくんには合ってる気がします。
私のことは気にしないで、ゆっくり仕事に慣れてくださいね。

ごめんね。ふたりで幸せになれなくて。

                柚子    」
                                 
 
こんなことって・・・幸弘は手紙を繰り返し繰り返し読んだ。
柚子が謝ることなんて 何にもないのだ。
─ごめんねなんて 僕は柚子に言って貰える立場じゃない。


手紙を持つ指に力が入り、紙の両端がぐしゃりと折れた。
柚子が選んだ壁の時計を見上げ、柚子の気配の消えた玄関ドアを振り返る。
秒針がカチリと動いた時、幸弘は弾かれたように上着を引っつかむと車のキーを取った。靴を履くのももどかしく、もう一方の手で玄関ドアの鍵を閉め、階段を駆け下りる。
まだ、間に合うかもしれない。
幸弘は柚子と義母が向かった空港へフルスピードで車を走らせた。
ごめん柚子、気がつくことができなくて。ほんとの柚子が見えてなかった自分が情けない。
ごめん、もう一度柚子と向き合いたい。

間に合わなきゃいけない。
見失っていた沢山の言葉を伝えるために。それよりも、柚子をしっかり抱きしめるために。



手紙を開けるために、幸弘の手から落ちた「玉」は、そのまま転がり、開けた玄関ドアを抜け、階段を駆け下りる幸弘と一緒にトントンと階段を跳ねながら落ちた。
そして階段の一番下で、一回大きく弾み、どこかに消えた。

─信じるかな、柚子。
最後に見た瞬間、それは、温かな色の美しい光を放っていたんだよ。



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SHIZURU

Sexual Mystery Circle 」という企画に参加。
およそ私の書けそうな企画ではない・・と思っていたのですがTRYさせていただきました。どのような仕上がりになったかはネタばれになるのでここではナイショ。


sizuru.jpg







*****

お題:
『これほど官能をくすぐられ、欲望をそそられる男性には会ったことがない』で始まり
「聖女でいることに飽きることはないのか」を含んだ文章を入れて締めくくること。
       出典:『ちぎれたハート(ハーレクイン)』 
           著:ダイアナ・パーマー 訳:竹原麗 









*******

『これほど官能をくすぐられ、欲望をそそられる男性には会ったことがないの』

そういって、女は去って行ったのだ。
・・老人は弱々しい微笑みを浮かべ、とつとつと語った。
『あんたなんて世間知らずのお坊ちゃま、ずうっと物足りなかったのよ。気がつかなかったの?』
女は切れ長の目を細め、煙草の煙をふうっと長く吐き出した後 男の愛の行為の未熟さを哂う。
若い彼の一途な想いも、二人の幸せだったはずの日々も 何もかもを踏みにじり紙くずでも捨てるように、女は自分の荷物を処分し、その部屋を去った。 
そして二度と戻ることはなかったという。
「本心でない・・と気づくにはその時の自分は青すぎたんだな・・」
 
静流は 黙ったままそっとその男の指をなぞり、目で話を促す。
「確かに街に立って客をとる商売女だったさ。けれど、本当は家族思いの心根の優しい生真面目な娘だった。
 そんな娘が一生懸命生きていた、そういう時代だったんだ。」
濁った白目、やつれた頬。 黄ばんだ白髪 筋張った腕。
ベッドの金属の柵が長い影を落とし 静かに夕闇が迫っていた。

「きっと、そのひとも・・」
静流の指は男の指先から 手のひらへ、そして腕へ静かに移動する。
大切な壊れ物を愛おしむかのように。
この身体の感触だけは 忘れまいとするように。
確証のない推測の慰めを 静流はコクンと飲み込む。
静流は目を伏せ シーツの上の男の手を握る。
真紅のマニュキアの指は その女を思い出させる、と老人は涙ぐむ。


◇◇

ハウスシェアはシズルが言い出したことだった。
親との関係を断ち切るように家を出た。
頼る宛もなく薄給のバイトしか見つからず、家賃のなるべく安いねぐらを・・と僕が不動産屋の前で考えあぐねていたとき、いきなりの申し出だった。
「ねぇ、キミ 一緒に住まない?」
シズルは ストリート系の少年みたいな格好。小柄で化粧っ気のない顔。
それでも はっとする程シズルは綺麗だった。

「気に入って買っちゃったんだけど、独りで住むには広いからさ」
半ば強引に連れていかれたシズルのマンションの部屋。シンプルでさっぱりした彼女の性格を思わせた。
シズルは 日当たりのいい一部屋をあっという間に片付け、僕の部屋に当てた。
リビングとキッチン、バス トイレは共用。ただし使ったものは 自分ですぐに片付けること。
無くなったものは補充すること。
共用部分の必需品は個別に使うものは各自が負担、一つでいいものは シズルが買う。

「悪くない条件だよね? それと『ついでだから やってあげる』っていうのもなし。
 自分のことは自分で、がルール。」
少年のような格好によく合うサバサバしたしゃべり方で シズルは二人暮しのルールを決めていった。
僕の口を挟む余地もない。
シズルの言うとおりに任せたら 悩みも無く全てが上手くいきそうな気になりながら 
よく動く形のいいその唇に、僕はただ見とれていた。
一気にしゃべり終えたシズルは僕の視線に気づいて ちょっと躊躇い 
自分の唇を隠すように手を当てて 聞いた。
「何か質問?」

「ひとつだけ 気になるんだけど・・」
「何?」
「僕は『知らない男』だよ? 危険だとかそういうの考えないの?」
シズルは僕の目をまっすぐ見て言う。
「それなら 私もあなたの『知らない女』だわ」
少年っぽく見えた彼女が 急に年上の女性の表情になる。

「わたくしは あなたの行いの清さを信じます。わたくし達のこと、神様は全て見ておられますよ。」
静かな笑みをたたえ、シズルは厳かに言った。
一瞬の豹変ぶりに唖然とした僕の目を覗き込んだ後 シズルはまたクルッと元の表情に戻ると
「私、実は『聖女』なんだ。キミを襲ったりなんかしないから 安心して」
ふふ・・と笑って シズルは僕の肩をたたく。


◇◇

「すまないと思っている。」
節くれだった手、日に焼けた顔。薄い敷物の上 ごろりと寝転んだまま初老の男は言う。
「でも もう会わせる顔なんてねぇんだよ。」

「不思議だな。目の前のあんたはオレの女房と違うのは解りきったことなのに・・」
男は薄汚れた服の袖で 滲む涙を荒っぽく拭い鼻をすする。
「噂どおりだな。あんたになら 一切合切喋っちまいたい気になるんだもんな」
静流は静かな微笑みを返し、男のほつれた毛を指で梳いた。
「そういう纏め髪をしてた。綺麗なうなじの、なかなか色っぽいヤツだった」
静流に身を任せたまま 男は妻への想いをかすれた声で語り続けた。

「これを『後で』ポストに入れてくれ。あんたへの礼はこっちに入ってる」
男は故郷で旅館勤めをしているという妻宛の手紙を静流に託し 
あちこち破れた薄汚い鞄を示して言う。
「お礼なんて頂かなくっていいんです。それより『今』・・」
静流は言いかけて ふと止める。
意見する仕事ではない・・と決めたはずだ。
「その時」を、幸せにしてあげることだけが 静流の役目だ。

◇◇

深夜のコンビニは 客もまばらで退屈。
睡眠時間のトータルはそこそこなものの シフトの変わり目で、疲労感が抜けない。
お客の流れが途切れた時間、仕事の相棒、フリーターのヨシさんにシズルの話をした。

日を追うごとに僕とシズルの生活は静かに変化し リビングで一緒に過ごす時間が増えていた。
「ついでは 無し」などのシズルが決めたルールも、彼女自身がさりげなく緩いものに変えていく。 
家にいる日はよく、シズルは手の込んだ食事を作っては こんな風に声をかける。
「味見してよ、荘吾くん。でも、うんと褒めてよね。でないと もう作る気、失せるから」
僕がコーヒーを二人分淹れ、二つのカップに注ぐ。果物も半分こ。
コーヒーの湯気の向う、長い髪をバレッタで無造作に纏めたシズル。
白い肌にそばかすの浮かぶ素顔は案外幼い。

「へぇ、羨ましい、年上のいい女と同棲なんてさ。何してるひと?」
それが よく解らないのだ・・というと ヨシさんは好奇心を露にしてさらに聞く。
探偵事務所のバイトもしたことある・・ヨシさんの経歴を聞き出したら長い。
危ない橋も渡ってきたんだぜぇ、そう言いながらヨシさんは自慢気に胸をそらす。

「人に会うのが仕事・・だってことしか教えてくれない。服装も、出かける時間もばらばら」
「で、マンション買えるくらい金持ちなわけ?高い給料貰ってる感じ?」
「それが・・よく解らないんだ・・」僕は繰り返す。

札束が入った封筒を見たことがある。シズルが明け方 帰ってきた日。
リビングのソファに崩れるように座ると 俯いたままじっとしていた。
泣いてるの?
声を掛けると顔を上げシズルは潤んだ目のまま首を横に振り、微笑んだ。

「囲われ者・・愛人とかさ、そういう類? 
 そんな女と同棲しちゃって大丈夫なのかなぁ 荘吾ちゃん。
 そのうち 男が乗り込んできて修羅場とか」
おお、怖・・というように、ヨシさんは大げさに顔をしかめ、肩をすくめた。

◇◇

若い男だった。

狭い部屋の中には西日が差し込み 
擦り切れた畳の上に寝そべった顔色の悪い男の顔を照らしていた。
ゴミの散らかった部屋。饐えたにおい。

「そこだ・・取ってくれ・・これで最後にするから。
 ・・・本当に 何もかも最後にするから。」
震える手。そんな動きさえ思うようにならない身体。男は空洞のような目で静流に言う。
静流は静かに頷いて 男の望むようにそれを渡してやる。
止めたって無駄だ。静流は苦い記憶をかみ締める。
クスリを止めさせようと心を尽くし、手を差し伸べた男は 結局自らの命を絶った。
どちらにせよ逝ってしまう者だったのだ・・・
あんな 終わり方を見るくらいなら あのまま見守ればよかったのだ。
私は 何も変えられない。静流の頬を涙が伝う。

やがて男は正気を失くす。
─ おかあさん・・おかあさん・・ こんな息子でごめんなさい
男がすすり泣く。
─ ああ、いい気持ちです。温かくて 懐かしいにおいがします。

男の母がよく着ていたというモヘアのセーター。
静流の その柔らかなセーターの胸に 男は顔を埋める。



昨日もヨシさんとペアで深夜勤務。
シズルのことを、もうヨシさんにも話せないでいた。
いつものようにヨシさんは 探偵事務所のバイト時代に培った尾行のノウハウや、
浮気や援助交際や愛人との三角関係の縺れなど ドロドロした話ばかり楽しげにしてくれた。

前は大きな病院の特別室、その次見たのは小汚いアパート。
昨日は 若い男の部屋にシズルは入っていったのだ。
ヨシさんに唆されたという訳ではないが、情けないことに尾行までしてしまった僕は
その日 言いようもなく気落ちしていた。
介護とかヘルパーとか老人の話し相手のボランティアの可能性なんかに 縋っていたかった。
これ以上 何も想像したくない・・シズルを「聖女」のままにしておきたい僕がいた。
窓の隙間からなんか見なかったのだ。シズルが若い男と抱き合っている様など。



軽い頭痛を覚えながらマンションに帰ると シズルがリビングのソファに寝転んでいた。
ポストに入っていた手紙類を黙ったままシズルに差し出すと、その姿勢のまま首をもたげシズルがいきなり聞いた。
「荘吾くん、ここに住んでること、ご家族には知らせてあるの?連絡とかしてる?」
「してない、いいんだ、そんな心配、してくれなくても」
「良くないよ、事情はどうあれ、居場所くらいは知らせておかないと、ご家族も心配するでしょ?」
姉さん口調のシズルにカチンときた。
事情って、シズルこそ何なんだよ、家族の話なんて聞いたこともない。
「何だよ、うちの家族のことなんか 知らないくせに。」
きつい口調になった。シズルは上体を起こし座りなおすと、まっすぐに僕を見る。
「何でシズルがそんな説教できるの?誰と住んでるって親に言うわけ?
 自分のこと何にも話さないでさ、シズルがどんな人で何やってて、何考えてるかさっぱり解らないのに。」
素足のペディキュア。顔に掛かった乱れ髪。V首セーターの胸元。
そんなものにどきりとして目が離せなくなる自分を嫌でも意識する。
カサカサした言葉を投げつけたのに シズルは静かに微笑んでいる。

「何をやってるって・・・前にも言ったじゃない、人と会って話しをして・・
 見守って・・」
それ以上言うな!・・僕は後ろ手にドアを閉め 自分の部屋に逃げた。




シズルは時々 リビングで酔いつぶれて眠っていた。
あの時と同じ、封筒に入ったお金がテーブルに無造作に置かれていることもある
「会ってるひと」との関係が終わったんだな・・そんな事 僕にだって解った。
シズルがどんな仕事をしていようと関係ないと 割り切ったはずなのに 
酔って異常にハイテンションになった彼女や 酷く塞ぎこんだ彼女の
白い腕や首筋がやけに綺麗に見えて 胸が痛む自分に気づく。
一つの仕事を終える度、シズルはやつれていくようだ。
ひどく落ちこんだ後は いつしかもとの明るい顔に戻るけど
そんな風に別れを引きずるなんて 一体どういう「付き合い」なんだろう
・・・嫉妬に似た感情を自分の中で見つける。
じっと見つめられているのに気づいてシズルが問う。
「どうしたの、荘吾くん?」

「もう 辞めなよ」
「何を?」
「その・・仕事をさ」
「仕事って何?」


「何やってるかなんて 全然知らないくせに。」
シズルはとびきり綺麗な顔でふふふ・・と笑う。

今日のシズルは意地悪だ。




コンビニの仕事を続けながら就職先を探し、やっと希望に合った仕事が見つかった。
仕事の傍ら専門の勉強をする話も、面接で好意的に受け止めてくれた。
「良かったわね、就職おめでとう。やりたかった事に一歩近づいたってことなんでしょ?」
迷いがあるのは勤務地がここから遠いところなのだ。シズルに打ち明けると、シズルはすぐには答えず、じっと僕の目を見ていた。
乾杯しようよ、シズルはキッチンにグラスを取りに行き、ワインを選びながら僕の方を見ずに言った。
「そうね・・ちょうどいいわ。もうここ、出てくれる?荘吾くん」
何で、そんな簡単に言うの?シズルの後ろ姿を目で追いながら言葉に詰まる。

「好きな人がいるの」
ワインこれにしようよ・・とでもいうような調子で、選んだボトルを高く上げ、シズルはこちらを振り返り笑って言った。
「嘘」
「嘘じゃないわ」
「だから 荘吾くんとはもう一緒に暮らせないの。」
返す言葉を捜している僕に目を合わさず、二つのグラスにワインを注ぎながら、シズルは台本でも読むように続けた。
「あれほど官能をくすぐられ、欲望をそそられる男性には会ったことがないの」
シズルの唇がいつもより赤く見えた。シズルの首筋が、指先がシズルの「女」を僕に突きつける。
シズルの口から「官能」だとか「欲望」だとかいう言葉を聞きたくはなかった。
シズルの「仕事」を疑いながらも それでもシズルは僕の「聖女」だったのだ。

「だから お別れ。」
握手、と差し出された手を僕は振り払う。払った手に思いがけない力が入ってシズルは後ろによろけた。
赤いワインが飛び散り、グラスがひとつ カシャンと割れた。
シズルの身体が壁に打ち付けられる鈍い音。
はっと、我にかえり 僕は自分の手と壁際のシズルを交互に見た。
こぼれたワインが一瞬 血の色に見える。
顔を上げたシズルの目には怯えはなく、静かで穏やかな微笑みを湛えている。
慈愛に満ちた聖母。

このまま一緒に暮らしても 嫉妬が僕の中で抑えようもなくなって暴力に形を変えていくかもしれない。
目に浮かぶのは 僕が最も嫌悪した父親の姿・・耐えて微笑む母親の姿。
振り切って 捨ててきたはずの僕の記憶。
何よりも 自分が怖かった。震えが全身を襲う。
泣き崩れたのは僕の方だった。
僕の腕にシズルの手がそっと触れた。びくっと身を硬くした僕をシズルは後ろから抱きしめた。
温かいシズルの腕の中、シズルの髪の匂い。シズルの額がコトンと僕の背中に押し当てられる。
そのままシズルは僕の背中を静かにさする。嗚咽が止まらない。

シズルにそうやって触れられているうちに 両親のことや自分のことを 語る言葉が溢れ出す。
押さえ込んで来た感情や 親に対して頑なになった心が 少しずつ解れていく。
理解なんて到底できないと思っていた父にさえ、心寄せることができそうな気がした。
心が洗われ、重荷が取れていくような、それは不思議な感覚だった。
僕はいつの間にか眠った。そして明るい光に満ちた幸せな夢を、僕は見たのだった。

次の朝 シズルは黙ったまま、テキパキと僕の荷物をまとめ、
「さよなら。貴方は幸せに生きなさい。きっとできるわ、大丈夫」

僕に一言も言わせることなく 清らかに微笑んでシズルは僕を玄関から押し出し
 
そうして僕らの二人暮しは解消した。




シズル?静流のことかい?
あんた ほんとに知らないの?ここいらじゃ 有名だよ。
「もうすぐ死ぬやつ」のところに やって来る。
一人ぼっちで孤独に死んでいくやつのところにね。

ただ 手ぇ握ってさ。
身体さすってさ。

会いたいけどもう会えない家族や、
謝りたいけどもういない相手なんかの代わりにさ
話 黙って聞いてくれてよぉ・・・泣いてくれるんだとよ。
静流になら 何だか聞いて欲しくなってさ。
話すだけで 何だか 心が軽くなってさ。

笑って死んでいけるんだってよ。
それでもやっぱり 生まれてきて良かったっんだって・・
安心して 幸せに ・・・・逝けるんだってよ。

見返り?そんなもんないさ。

たださ、みんなが勝手に 金 押し付けるんだよ。
金持ちは金持ちなりに。
なけなしの金無理やり渡すヤツもいたって聞くよ。

へぇ?アンタ 静流と暮らしてたって?
そりゃ 羨ましいね、いい女なんだって?

でも、アンタは生きてるんだねぇ。
やっぱり 別れて良かったのかもなぁ・・・。

「聖女」だって言うヤツが多いんだけどさ
「死神」だって言い張る ばあさんがいたっけな。
元占い師の イカれたばあさんだったがね。

冗談、冗談・・忘れてくれ。
静流さんに申し訳ないや。ひどい話さね。


「聖女」の噂を耳にしたのは 僕がシズルのマンションを出て何年も経ってからのことだった。




あれから僕はシズルに会ってない。
公園や簡易宿泊所、病院などを探してみたが 一度も会えなかった。
一緒に住んだ部屋も もう別の人が住んでいる。

シズルは今もどこかで 孤独なひとの最期に立ち会っているのだろうか。
僕があのまま孤独に生き続けたら、最期のときシズルは会いに来て
泣いてくれたのかな。

ねぇ、シズル? 
僕は 呼びかける。どこかにいる彼女に向けて。

「聖女」でいるのに飽きることはないの?




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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
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舞い上がって
喜びます。

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