STAND BY ME

生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今年もお世話になりました

えー、なずなです。
イラストを最近サボりぎみです。




ブルーバユー



Mystery Circleで年末に、オススメMCという企画がありました。
この一年に 自分がコレ好きだぁ・・と思った作品に☆を二つまで付けられます。
私も色々な方の作品にポイントをいっぱい入れました(笑)


昨年の「オススメMC」の時は全ての回を印刷して せっせと読んで、
プリンターを酷使した上、紙を大量に消費して、家族にヒンシュクをかいました。
でも、紙に印刷されて 目の前にあるものって何だかいいよねぇ。

さて、今回は新たなワザとして 印刷プレビュー100パーセント・というのを使いました。
紙に印刷されたものがいいなんて言いながら、ケチな私は これが案外気に入ってたりします。
老眼ぎみな方には特にオススメです。って・・私ぐらいかね(ため息)




少し結果に触れますと、私の作品の中では「OUR HOUSE」に票を沢山頂いています。
これは めちゃめちゃ意外でした。
この作品にその時頂いた寸評でも、特に評価されるような感じはしなかったし。

大人の恋愛感情とか 夫婦のあり方みたいな話はほとんどMCでは書いたことがなく(MC以前でもほとんどないけれど)かえって印象に残ったのかもしれません。自分の中で、愛着のあるもの、王道っぽい作品は別なものだし、書けたぞっていう達成感のあったのも別のものでした。毎回頂く寸評で、褒めてもらえたのもまた別の作品でした。

でも、とにかくどこか心に残ったとか、コレに☆を・・と思ってくださった人がいる、ってことすごく光栄に思います。
もっともっと沢山の☆を並べて輝いている他の皆さんの素晴らしい作品がMCのサイトに紹介されています。どうぞ、読みに行ってくださいね。
後ね、☆のあるなし、数に関わらず、いい作品が色々あります。読んでみて、あれ、自分はコレが好きなのに・・と思われることがあるかもしれません。
そういう方はぜひぜひ、次回(多分今年の年末もまたあるんじゃないかなぁ)投票に参加してくださいね。


皆勤賞で 頭がヘンになったような私のオチャラケコメントも載せてもらっています。
また、「OUR HOUSE」も加筆、再コメントさせて頂いています。宜しかったらご覧下さい。

ここのblogを覗いてくださった方、拍手、コメント下さった方 MCで交流して下さった方
mixi、「おとなのコラム」でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。

それから最後に追記の形となりましたが、ここにコメント下さった和海さんが,「お話Pod&ラジオデイズ朗読賞2007」というのにエントリーされてます。
ここで私が「決して忘れないこと」のカテゴリーで書いたものを 美しくて優しい声で朗読してくださっています。
何だかものすごく美しく若く優しい「お母さん」の姿が目に浮かび・・(私を知ってる人はちょっと笑うかもしれないけど)ステキな朗読になってます。
他の朗読もステキです。ぜひ聴きに行ってください。


来年も物語、作ります。
イラストとか写真とかも、もう少し鑑賞に値するものにしたいです。

皆さんの2008年が素晴らしい年になりますように!




あと一日で今年が終わります。

スポンサーサイト

アーネスト、舞い降りて

Mystery Circle Vol28参加作品です。
Mystery Circleに参加してから なんと3回目のクリスマスを迎えます。
何だか皆勤賞を下さるそうで、嬉しい限りです。


年寄り、こども、本 創作またはblog・・ そして「名前」へのコダワリとか・・
自分の作品を読み返し、出てくるものが被ってるなぁとつくづく思います。
更に年寄りは「落っこちる」・・というmy ワンパターンで申し訳ないです。ああ。。
来年はもっと別のネタで書きたいなぁ・・と思いつつ
飽きたからヤメレと言われるまで、このまんまかもしれません。

では、皆さんよいクリスマスを!


****

12月のお題:
「無いんだ。世界のさかい目が」 で、始まり
「事故だったんだ。自分を責めるな」 を使って締めくくること

お題の出典:「プラネテス(第一巻)」 著:幸村誠 


 
******







「無いんだ。世界のさかい目が」
トシ子さんの後ろ姿を見ながら 奏子はぼそり、そう言った。


奏子が風邪で寝込んでると聞いた時、あたしの手元には彼女の生物のノートがあった。
このまま休んだら、期末テストに突入してしまう。
ノートもとらずにぼんやり授業を受け、赤点覚悟でへらへらしていたあたしに奏子が無理やり押し付けた。
借りっ放しでテストを受けるのは、いくら何でも気が引ける。
最近奏子が、トシ子さんの話題をあえて避けているのは感じていたから、行っても良いものか少し迷った。
奏子の祖母で、「作家」のトシ子さん。
小学生の頃、あたしたちはよく奏子の家で遊んだ。

「そうこ」。
頭が良くて、しっかりもので可愛い奏子を、からかうネタがこれしかなかったのだろう
小学校入学してすぐの頃、悪ガキたちが「体育ソーコ」「備品ソーコ」と奏子を囲んではやしたてた。
箒を振り回し、キックやパンチでそれを全部蹴散らかし、一人残らず倒したのがこのあたしだ。
身体の大きい高学年の男子を、唇をぎゅっとかみ締め毅然とした態度で睨みつけていた奏子が、
あたしを見て急にくしゃっと表情を崩し泣き出しそうな顔で「ありがとう」と一言 言った。
それが始まり。


和風な佇まいの奏子の家の、その中のこれまた純和風な一室が トシ子さんの仕事部屋だった。
けれど中から漂う薔薇の花の甘い香りと、古いレコードから流れるクラッシックの音色は、
ふすまを隔ててそこだけ別世界のように思えた。
そしてウェーブの掛かった髪とロングスカート、フリルのブラウスというトシ子さんのいでたちは、
彼女の得意とする物語の主人公「架空の国のお姫さま」を思わせた。

「作家ってこういうものなのかと、妙に納得したんだよ」
ふと出た話題であたしがその姿を目に浮かべて言うと、奏子はお弁当に入った小梅を綺麗な箸使いでぽいと口に入れ
「作家・・ねぇ」
ものすごいすっぱい顔をしたまま口を閉じる。
トシ子さんの話題はいつもそんな風に終わってしまうのだった。



「まぁ、フローラ姫、よくいらしてくださいました。お待ちしてたのよ」
ウェーブの掛かった長い髪を揺らし、トシ子さんはピンクの花柄ワンピースで玄関先に現れた。
元気そうだ、良かった・・と思う。
それなりに歳はとっているが、あたしももう高校生だ。お互い様だ。

初めて奏子があたしを紹介した時、トシ子さんはにっこり笑って「フローラ姫ね」と頷いた。
あたしの名前は、トシ子さんのファンだった母が物語の主人公の名前を取ってつけたのだ。
「由花」という少女がファンタジーの世界で「フローラ姫」となって冒険する話で、何度も母が読み聞かせてくれた。
私のこと、覚えていたんだな・・皺が増え、全体にくすんだ感じのするトシ子さんを見て、過ぎた年月を数えてみる。
あたしの視線に気づいたのか、トシ子さんは ぱさぱさした髪を指でつまみ、悲愴な表情を作って言った。
「おぉ、フローラ、すっかり銀色になってしまったでしょう?これも、あの呪いのせい。
この呪いを解くために、誓いを立てて・・ああ、もう何年経ったのかしら」

ドン、と足を踏み鳴らす音。
胸の前で両手を堅く握りしめ、魔女の呪いについてなお語り続けるトシ子さんの後ろに、
パジャマ姿の奏子が仁王立ちしていた。
「何?」
「あ、これ 生物のノート。それと、プリントも持ってきた。風邪・・大丈夫?」
「何てことない。軽くサボりかな。わざわざ持ってくることなかったのに」
そういいながらも奏子の顔色は悪かった。熱もありそうだ。
「まあ、大事なお知らせなのですか?フローラ姫の国でも何か大変なことが・・」
ずいっ。
奏子が酷く乱暴なしぐさで、トシ子さんを押しのけてひとこと
「部屋に戻って おばあちゃん」
「おばあちゃん」を殊更はっきり発音してトシ子さんに 廊下の先を指し示す。

きょとん、とした目で小首をかしげたトシ子さんは、少し間を置いてから
「はあぃ・・お母様 申し訳ございません」
嗄れた声で返事して、叱られた童女のように肩を落とし、すごすごと部屋に戻って行ったのだった。





「『フローラ』に また会いたいんだってさ、来る?」

風で集まった道端の枯葉の山を、わざと蹴散らかしてから、奏子は言った。
テストも無事に終わり、奏子のおかげで赤点も免れた。
12月に入って気持ちはすっかりクリスマスモードに入った日のことだった。
「百合先生が、あたしに?」
「・・『百合先生』なんかじゃないよ、もう」
「だって、うちの母さん未だにファンだよ・・うちには本もあるし・・あたしも読んだ小学校の時。
『カタリナ国物語』とか『伝説の騎士』とか・・」
「何だ、そんなに本読んでたんだ、由花」
奏子は読書家で勉強も出来る。感想文は辛口で、読んだ先生も苦笑しつつも納得する内容だと言う。
あたしはあんまり本を読む方じゃないけれど、名前の由来でもあるトシ子さんの物語は好きだった。

御薗百合というのがトシ子さんのペンネーム。でも、トシコさんの本はもう書店には並んでない。
この前図書館で見つけたものはすっかり古びてページが黄ばみ、借り出す人を待ちくたびれた顔でひっそり棚に並んでいた。
母の少女時代がトシ子さんの作家活動の最盛期だったらしい。
次々に本が出て、シリーズ化したものが今、クライマックス・・というその時に、
トシ子さんは、ぱったりと書けなくなってしまったのだという。。

「『カタリナ国』の挿絵が好きだったなぁ」
あたしが言うと、奏子は
「ああ・・」と肯き
「あの時はその画家が恋人だったんだろうな。そんな話、母さんの前で絶対しちゃダメだよ」
奏子は硬い表情でそう言うと、トントンと弾むように数歩先に進み、また枯葉の山を蹴散らした。
「あのさ、さっきのは奏子のおうちへのご招待?トシ子さんの『お城』への入城許可?」
クリスマス飾りをつけた店のショーウィンドウを覗きながらあたしは聞いた。

クリスマスの時期にトシ子さんの「城」を訪ねるのは楽しかった。
海外で買ってきたというリツリーやクリスマスの飾りは、絵本の中の世界のようで
トシ子さんは キャンドルを灯し 格調高い感じのクリスマスソングのレコードを掛けて迎えてくれた。

今まで話題を避けてた様子やこの間の態度を見ても、奏子がトシ子さんを他人に関わらせたいとは思えない。
奏子は黙って、つま先で乾き切った枯葉を踏んで細かく砕く作業を続けている。
カサコソ砕ける枯葉の音を聞きながら 奏子の返事をぼんやり待っていた。
「私はさ・・」
砕いた枯葉の破片が風で吹き飛ばされて行くのを見届けると 奏子が振り返ってあたしの顔を見た。
怒ったようにぎゅっと結ばれていた口が 徐々に緩んで、寂しげな微笑に変わる。
「私はさ・・母さんみたいにトシ子さんのことで苦労してきた訳じゃないし・・
 本当は迷惑かけられたと思ったことないんだ」
今だってトシ子さんをあのお城に閉じ込めて 誰にも会わせないなんて、そんな風にはしたくはないのだ・・
トシ子さんが勝手に閉じこもっているだけなんだけれど、それで安心している母を見ると 
何となく違うような気がするのだ・・奏子はそんな風に言って、

「あんな婆さんの相手をしに、うちに遊びに来るかどうかなんて 由花の自由だけどね」

「自由」がこんなに難しいとは思わなかった。
あたしたちはもう小学生の頃と同じじゃない。




「あら、いらっしゃい。フローラ」
部屋を覗くと、拍子抜けするくらいしっかりした声でトシ子さんは言った。
「奏子とお勉強?息抜きの時間かしら?」
「あ・・いえ・・」
返事に困る。
俯いて、トシコさんのビーズ飾りのついたビロードの部屋履きを眺めながら、言葉を探す。
何か言うべき言葉はそのへんに落ちてないかな・・。

「良かったらどうぞ、でもがっかりしないでね、まだクリスマスの準備はできてないの」
トシ子さんは襖を隔てた「城」に 笑顔で招きいれる。
懐かしい花の香りが微かにする。小学生の頃、どんなにこの部屋に入るのに胸ときめかせたことか。
きらめくシャンデリア、大きな書棚には金文字の入った背表紙の立派な本たち。
サイドテーブルの陶器のお人形、ガラスのボンボン入れ、洒落たティーカップ、
毛足の長い緋色のカーペット・・
だが、目の前の現実は 文字通りに色あせていた。
明らかに和室の天井、壁、畳。無理やり設えられえた感じの派手な照明器具のガラスは曇っている。
調度品はほこりを被り、カーペットは硬く、すべては時の経過をまざまざと見せ付けていた。
キイキイと擦れた声で泣くような音を立てる揺り椅子に腰掛け、トシ子さんはようこそ、というように
両手を大きく広げて微笑んだ。

トシ子さんは目を瞑り、揺り椅子をゆっくり揺する。
「ああ、懐かしいわ、フローラ姫」
あたしは目の前のトシ子さんの顔に、そっと昔の面影を探した。
作家の百合先生・・若くて綺麗な奏子のお祖母さん、きらきらした世界に住むあたしの憧れの存在。
「お茶はいかが?」
トシ子さんは茶渋の付いたティーカップを優雅な手つきで差し出した。




「奏子も後で来るんだと思ってたのに」
「トシ子さん、私が行ったって喜ばないもん、別にさ」

音楽を聴きながら紅茶を飲んで、ぼんやりしているうちに、トシ子さんはこくっりこっくり眠っていた。
あたしが行って何かが変わったとも思えなかったけれど、奏子は珍しく真面目な顔をして
「ありがとう」
と言った。
「驚いた?何もかも骨董品みたくなっちゃってさ、特に本人」
「いや・・」
ちゃんと普通にお喋りなさったよ・・なんて言うのは失礼なんだろうか・・
上手い言葉が見つからなくて、あたしは黙ったまま首を横に振った。
けれど、部屋で話をした時のトシ子さんは、この間廊下で見た「世界の境目がなくなったトシ子さん」とは少し違っていた。
あの時は ふわふわと幸せな世界で生きている感じがしたのに、
部屋の中で二人きりの時のトシ子さんは何だかひどく切なそうで、頼りなくて寂しそうに見えたのだ。
忘れ去られたお城の中で、孤独に年老いてしまったお姫様。
そして、もう一つ気になったのは、誇らしげに書棚に並べられていた「御薗百合先生」の本がすっかり無くなって
ぽかっりした冷たい空間に変わっていたことだった。
「聞いてもいいかな・・」
「うん、何?」
「いつ、百合先生は自分の書いた本を片付けちゃったの?」



そのことでずっと悩んでいて、誰かにずっと話したかったんだと思う。
その日 送るといいながらあたしの部屋まで付いてきた奏子はそのまま長いこと居座った。

「母さんは、小出しにぽろぽろ愚痴言って、とぼけた顔して面倒見て、
今だってああやって壊れていくトシ子さんが『城』の中で閉じ込もっているの、
黙って世話してるだけで・・・」
おばさんのこと、そんな・・挿もうとする安易な言葉を、奏子は目だけで押し返す。
「やっぱりさ、やっぱり私はそんなの嫌だ。トシ子さんに思いっきり迷惑してるくせに、
トシ子さんの書き物応援してるふりする 母さんも嫌だったけど」
奏子のお母さんは、線の細い感じのする物静かな人だ。
トシ子さんはずっと作家として忙しく仕事をしていたので、奏子のお母さんはほったらかしで
だから、子どもの頃から自分のことは何でも自分でしたという。、
成人すると「今の家に入ってくれる人」という条件で結婚相手を探し、
今度はずっとトシ子さんの身の周りの世話をしてきたという。
何だかトシ子さんの影のような人だ、初めて見たとき、子ども心にもそう思った。

奏子のおじいちゃん、マサミさんについてはあまり知らない。
女みたいな名だと本人が嫌がっていたというから何となく名前だけは覚えていたけれど
あたしが遊びに行っていた頃からもう 入退院を繰り返していてあの家にはほとんどいず、
あたしと奏子が6年生の頃に亡くなっていたからだ。
「職人気質で無口で、冗談も言わない真面目な人だったけど、傍にいたら安心する温かい人だったよ。
何でトシ子さんなんかと結婚したのかね、本当に可哀相だと思ったよ」



小学校の頃奏子とあたしは、お仕事中だからと止められても、よくあの「城」に入り込んでは遊んだ。
後で聞いた話だと、その頃はもう奏子のお母さんが言うような「大事なお仕事」はもう依頼も来なくって
地方紙のコラムや企業PR誌の小さなコーナーに広告を含んだような短編を、頼まれたら書く程度だったそうだ。
それでも、原稿用紙を広げ、資料を積み上げ、細い指で万年筆を走らせるトシ子さんは 
あたしにとっては十分「作家の百合先生」だったのだ。

飾り棚の上のきらきら光るガラスの小さな動物たちは「城」の中でも特にあたし達のお気に入りで、
トシ子さんが書き物に集中している間に並べ替えたり、それぞれに動かして台詞を言わせて遊んだ。
原稿を書いているはずのトシ子さんが急に、あたしたちの台詞を受けて答えてくれたり、
そこから即興で物語を作って話してくれる。それはあたしにとって夢のような時間だった。

「フローラ姫、今日の猫の台詞は素晴らしかったわ。あなた、才能あるわよ」
あたしの考えた台詞についてこっそり耳打ちしてくれた時なんか、飛び上がる程嬉しかった。
トシ子さんの部屋でいつも流れていたクラッシック音楽はさっぱり解らなかったけど、
無茶苦茶に大声で歌いながら走って帰り、寝るまでそのトシ子さんの言葉を 頭の中、何度も何度も繰り返した。
そんな時はもうすっかりあたしは将来の「作家」で、やたらと華麗なペンネームをいくつもノートに並べてはうっとりした。
本当は作文ひとつまともに書けなかったんだけどね。


一度だけ、トシ子さんの「フリン相手」というのを見たことがある。
秘密の呪文でも教えるようなひそひそ声で 今、トシ子さんの部屋にいるのがそうだ、と奏子が言った。
襖の隙間から覗くと、そこにはスーツ姿で眼鏡の、さえないおじさんがいて
「では、頂いて帰ります」
と 原稿の入った封筒を持って立ち上がるところだった。
入り口のあたしたち驚いて、躓きそうになったその男の人は
「いやあ、お孫さんですか、可愛いなぁ」
見え見えの愛想を言いながら そそくさと立ち去った。
奏子のお祖父さんをほったらかしたまま、一作品ごとに新しい恋をして それがインスピレーションの源・・という
子どもながらにドキドキする話は、眼鏡男の出現でかえって色を無くした。

「それでも・・・」
奏子は言う。
作家としての最盛期、奏子が生まれる前は、華やかな恋愛遍歴がマスコミでも取りざたされて
奏子のお母さんは随分嫌な思いをしてきたのだという。
「私たちが見たあの眼鏡男が恋愛対象だったのかどうかは 解らないけど・・」
少なくとも、おじいちゃんの病気の間も部屋に篭って何かを書き続け、
危篤の時でさえ「取材旅行」に出かけていて 最期に間に合わなかったのだそうだ。
「なのにトシ子さんは三回忌の時 急に出てきてお酒をがばがば飲んで へろへろになりながら
自慢げに新しく書いている物語の話なんか始めたんだ」

来ていた親族は、トシ子さんに対して嫌悪感を露にする。
そんな中、奏子のお母さんが間でおろおろする姿が奏子には耐えがたかったのだという。
「ぶち切れちゃったんだ。私」
中学生の奏子はトシ子さんに酷い悪態をついた上、トシ子さんの作品を最低だと叫ぶと
「城」の中に駆け込んで、本棚のトシ子さんの書いた本を全部床にたたき付けた。
「あんたのせいだ」
言葉遣いまで日ごろになく乱暴に、奏子はトシ子さんを責めたのだ。
中学の時、物事が少しずつ別の角度から見え始める頃。
「奇麗事ばっかり書いてさ、あんたのせいでどんだけ周りが迷惑してきたか解んないの?
何が勇敢で向こう見ずな少女だよ、何が何があっても助けに来る翼の生えた騎士だよ、そんな都合のいい話誰が読むんだよ。
最期までほったらかして、お祖父ちゃんが許したって私はあんたのこと許さないから。絶対に許さないから」

奏子の言葉を黙って聞いて、トシ子さんはふらふらと「城」に戻り、それから部屋に篭って一歩も出なかったという。
数日してやっと出てきたと思ったら奏子にぶちまけられた本を トシ子さんは黙々と庭で焼いた。
そして、その日から何にも書かなくなったのだという。

「本を焼く火の音がいつまでもいつまで聞こえてさ
 サイアクなのはアンタだ、サイアクなのはアンタだって、誰かが耳元で言い続けてるような気がしたよ」
奏子はあたしの顔を見ずに一気に話し、
「爺ちゃんとトシ子さんの関係なんて あたしには何にも解ってなかったのかもしれない」
ふはは、と投げやりな笑い方をして奏子は 何故だかぺこりとあたしに頭を下げた。
奏子のゆがんだ笑い顔があたしの目の裏側に貼りついた。



あたしと数時間過ごした日のトシ子さんはとても調子が良いらしい。
「訳解んない台詞繰り返して母さんに迷惑もかけず、母さんの気苦労が減って、
家庭が平和だから 大変よろしい」
奏子が通知表の所見のようなメールを打ってきた。
「だから、有難う。良かったらまた来てくれるかな」
と、メールは続いた。
「いいよ、遊びに行く。あたしは今のトシ子さんも好きだから」
他人だからこんな無責任言えるんだと思う。だけどそんな風に言う方が奏子が喜ぶ気がしたし。



「お邪魔しました」
玄関先に男の人がいる。何処かで見た顔だ。
記憶を辿る。それは以前トシ子さんのところに原稿を取りに来ていた例の出版社の人だった。
あたしはその年月分歳をくった眼鏡男の後を追って声を掛けた。

眼鏡男、いや出版社の中沢さんの話では、トシ子さんの初期作品を復刊する話が持ち上がり
その話をしに来ていたのだという。
「今でも通用しますよ、百合先生のファンタジーは。いや、今だからこそ広く読んで欲しいんです」
この人は語り出したら止まらないタイプらしく、トシ子さんの作品への思い入れを情熱を込めて延々と あたし相手に話し始めた。
相変わらずのさえない顔がこの時だけ、ちょっと輝いて見える。
やっと、話が途切れた時、あたしは聞いた。
「で、トシ子さん・・いえ、百合先生は何て?」
「昔書きかけてらした新作を、完成して頂きたいと思って、お願いに上がったんですがね・・・」
中沢さんは首を横に振りため息をつくと、
「ものを書ける状態ではないようですね」
この人と二人でいる時も、「境目の無いトシ子さん」のままだったのか。
あたしは何となく、トシ子さんが自分で切り替われるんだと想像していた。
それはただのあたしの希望だったのかもしれない。

「お孫さん」だと思ったままの中沢さんに あたしは別れ際に聞いた。
「あなたは、その・・百合先生の恋人だったんですか?」




「不倫なんかじゃなかったんだよ、少なくともあの眼鏡の編集者は」
そして トシ子さんの本にこれ程心酔している、そんな人がいる。
そのことを奏子に伝えながら、あたしには何だかとても嬉しかった。

そして奏子のおじいちゃんの危篤の時の「取材旅行」はひとり旅だったこと、
危篤の連絡が旅先に届いた旅館でトシ子さんは
「死ぬなんて嫌だよぉ、死に目になんか会いたくないよぉ、嫌だよぉ、嫌だよぉ・・」
大声で泣いて子どものように駄々をこね、帰宅が遅れたことも、聞いた通り奏子に伝えた。
中沢さんも そんな話、最近になって知ったのだという。
「私が仕事でお付き合いしていた頃は 書きかけの物語が、どうしても書けないと悩んでおられました。
書くのを諦めて欲しくなくて、何度もお伺いしてたんです。ボクは先生のファンでしたから」

奏子のおじいちゃんが亡くなってから、トシ子さんはさっぱり書けなくなってしまったのだ。
奏子が三回忌でトシ子さんを責めなかったとしてもやっぱり、物語の世界に入り込んだまま、
先を見失って迷子になっていたのだと思う。

それは、やっぱり奏子のおじいちゃんの存在がトシ子さんの創作の支えだったからじゃないのかな。
あたしはそう思うんだ、奏子。

書くのは得意な方になったけど、相変わらず話すのはあんまり上手くない。
言いたいことの半分も伝わったかどうか解らなかったけど、中沢さんに話を聞いた後、全速力で奏子の家に駆け込んで 
ぜいぜい言いながら、あたしは必死で、そんな風に話したのだった。



いつも夢の世界にいるトシ子さん。
創作の世界のまま生きているトシ子さん。
あたしは、そんなトシ子さんと時間を過ごしながら、やっぱりトシ子さんには、また書いて欲しいと思う。
トシ子さんの机の上にはいつも万年筆があり、原稿用紙が置いてある。
最近何度か「城」を訪ねたときも、万年筆を持ったままぼんやりしているトシ子さんを見た。
あたしに気が付いて、慌てて万年筆を引き出しにしまう。
一文字も書かれていない原稿用紙が一枚、床に落ちていた。



「物語、書きなよ」
奏子がトシ子さんの「城」に乗り込んで来て、言った。
足をぐっと開いて立って、怒ったような顔でぶっきらぼうに、奏子は言う。
ちょうど、トシ子さんがお茶を入れてくれようとポットを持ち上げた時だった。

「私のせいで、全部やめちゃったなんて、そんなのないよ。勝手に世界に引きこもるなんてずるいよ。
どこまでもトシ子さんはずるいよ。何で簡単に捨てられるんだよ」
一気に言い切って、荒い息遣いのまま奏子はトシ子さんを見据えた。
奏子を見つめ返すトシ子さんはそのままピクリとも動かず表情も変えない。時間が止まってしまったかのようだった。
静寂を破ったのは、薔薇の柄のポットがトシ子さんの手を離れて床に落ち、硬いカーペットの上でゴロンと音をたてた時だった。
のろのろとした動作でトシコさんはそれを拾い上げ、割れてないことを確かめるように
両手で包み込むようにして眺める。奏子の言葉の意味がまるで解っていないかのようだった。
反応の鈍さに奏子は唇を噛み、拳を握る。
「頭ん中どうなっちゃってるんだかなんて知らないよ。
文字が書けるかどうかも知らないよ。
でも、書きたいんだったら、書きなよ。読みたい人がいるんだよ。
トシ子さんの書いたものが好きだって人が待ってるんだよ。」
半ば叫ぶように言い放って奏子は 大きく肩で息をついた。

「爺ちゃんは・・言ったんだ」
奏子の方を見ず、トシ子さんは黙ったままポットをコトンとサイドテーブルに置いた。
窓の外の風が強くなったのか、コトリコトリと木の枝が窓ガラスを打つ。
終わったレコードがプツプツと小さな音を立てて回っている。
「爺ちゃんは言ったんだ・・書いてるあいつに惚れて惚れて、一緒になったんだから後悔はしとらんって・・
あの時も書きかけのトシ子さんの物語が、ちゃんと進んでるかどうかだけ、心配してたんだ」
トシ子さんは目を大きく瞠り、向き直って奏子を見つめる。唇がかすかに震える。


「アーネスト・・」
長い沈黙の後、トシ子さんはぽつんとそれだけ呟くと ふらふらと仕事机へ近寄り、倒れこむように椅子に座った。
トシ子さんはそのまま、あたしたちに背を向けてピクリとも動かない。
あたしは 涙でぐちゃぐちゃになった顔で立っている奏子の肘を掴んで、そっと「城」を出たのだった。



トシ子さんが物語の続きを書き始めた、と聞いたのは、それから数日後のことだった。
「相変わらず日常も『夢の世界のひと』だけど、書き物してる時は頭はっきりしてるみたいだ。
悪筆がさらに酷くなってるから、私がパソコンに打ち込んでやることにした」
「口述筆記?」
「うん、ま、そのようなものかな」
「羨ましい。じゃ、一番最初の読者だね」
あたしの言葉に照れたように頷き、にっと笑う奏子は何だかいつもより可愛らしくて
長いこと引きずってた錘がどんなに重たかったのかということに、あたしは今更気が付いたのだった。

「でもさ・・、やっぱり進まないんだ。『翼の生えた騎士』がどうしても迎えに来ないらしい」
奏子が物語について、少し心配気に言い出した時、プルルルと着信音がして、奏子の携帯に電話があった。
奏子のお母さんからだ。
「すぐ行く」
奏子は電話を切り、青ざめた顔であたしを振り向くと
「トシ子さんが図書館の窓から落ちた。私行かなくちゃ・・」
事故・・まさか自殺・・?
頭の中にちらりと浮かんだ言葉を頭を振って追い出し、ともかく無事でいてくれと祈る。
奏子のことも心配だったので、荷物を引っつかんであたしも奏子の後を追って病院へ走った。


「もうずっと外になんか出なかったのに・・私が付いていってれば・・」
奏子のお母さんは細い身体をますます消え入りそうにして 震えていた。
「大したことないって。事故だったんだ。母さんが自分を責めることないよ」


古い石造りの図書館は昔トシ子さんお気に入りの居場所で、よく資料を探したり気分転換に行くところだった。
高い天井、飴色に光る階段の手すり、天井近くまである細長い木枠の窓には、ひとつひとつ小さなバルコニーがついている。
そこから懐かしむような目をして外を見ていたトシ子さんは、急にバランスを崩し、何か叫びながら転落したのだった。
「飛び降りる・・とか、落ちるって感じじゃなかった、って見ていた人が言ったらしいよ。どちらかというと・・」
そこで、奏子は言葉を切り
「空に向かって両手広げて嬉しそうな顔で・・まるで昇っていきそうな感じだったそうだ」


「お母さん、お母さん」
手術室の前でトシ子さんの名を呼びながら奏子に寄りかかる奏子のお母さんは、まるで小さな子どものようだった。
この人も色んな想いを抱えながら、それでも「作家の百合先生」を愛してきたのだろう。
寂しかったり 苦労したり、迷惑したりして、複雑な思いを抱えて今まできたこと、想像するのは簡単だけど 
トシ子さんとこの人との間にも あたしも、奏子でさえも測り知れない想いがあるんだろうな。


トシ子さんの手術の待ち時間は随分長く感じられた。
その間、あたしと奏子は廊下の長椅子に並んで座って、ずっと黙っていた。
奏子が何を思っていたのかは解らない。
あたしはぼんやりと、トシ子さんが書きあぐねていたという物語のことを思い出していた。

「アーネスト・・って?」
ふと、ひっかかる。奏子がおじいちゃんの言葉をやっと伝えた時、トシ子さんが一言呟いた言葉だ。

「例の翼の生えた騎士。自由奔放な少女リリィをずっと見守って、支えてた。
でも 物語の途中で消えてしまって、リリィが呼んでも来ないんだ。いつも大事な時には必ず助けに来てくれたのに」
「主人公の少女『リリィ』・・か。百合さんの分身ってことかなぁ」
英語は苦手だけど、百合くらいは解る。
「ねぇ、おじいちゃん、『マサミさん』だったよね、確か。どんな漢字書くんだっけ・・」
「マサミ。『誠実』って書いて、マサミ・・・」
「誠実?」
「そ、誠実。その名のとおりの人だって、それだけが取り得の人だって、よく母さんも言ってた」
「『誠実』って・・」
「誠実」、Earnest・・翼の生えた騎士アーネスト。
そして 図書館はふたりの思い出のデート場所だ。

「今頃気づいたか」
奏子はあたしの顔を見て、ほぉっとため息をついた。



日当たりのいい病室。
ベッドサイドにノートパソコンを持ち込んで、奏子はトシ子さんの口から流れ出る言葉を打ち込んでいく。
足を骨折し、腰と背中を痛めたトシ子さんは、それでも溢れんばかりの創作意欲を見せ、
奏子の打ち込みの遅さに文句を言う程だ。

「フローラ姫」
病室を覗いたあたしに、トシ子さんは顔をほころばせ、優雅に手を振った。
花柄のシルクのガウンを羽織ったトシ子さんは、顔色もすっかり良い。
奏子に持ってこさせた薔薇のポットで、お茶をどうぞ、とあたしに勧めた。
茶渋は綺麗に取れて、皇かな陶器の白地に鮮やかな花柄を浮き上がらせている。
奏子のお母さんも病室にせっせと物を運んでいるらしく、病院の個室はもうすっかりトシ子さんの「城」になっている。
クリスマスの飾りまで、部屋全体に施されていた。

「あ、これ」
キャビネットの上、あたしが気が付いて手を延ばしたのは、小さい頃好きだったガラスの猫とうさぎ。
「由花ちゃんと奏子にひとつずつ差し上げるわ、好きだったでしょ。クリスマスプレゼント」
トシ子さんはあの頃と変わらないあたしの憧れの「百合先生」の声で、そう言った。
ふと見ると窓際に「誠実さん」とトシ子さんが寄り添う写真が置かれている。
背景はあの古びた図書館、バルコニーがしっかり映り込んでいた。



「出版できるような、ちゃんとした作品になるかどうかは、解らないんですがね・・」
談話用のコーナーのソファーに並んで座ると、ガラスのうさぎを手でもてあそんでいた奏子が
うさぎをひよこひょこ動かし、子どもの時みたいに声色を使ってそう言った。 
「そう、なんですか?」
あたしは猫を傾けながら、キイキイ声で答える。でも昔みたいに思うように話が続かない。
奏子とあたしは互いに顔を見合わせて、少し笑った。

「ああ、そう言えば、うさぎ、・・・図書館のバルコニーで、百合先生は何を見たんでしょうかね」
あたしの猫が聞くと、うさぎはちょっと考え込んでからこう答えた。
「『リリィ』が待ちわびた『翼の生えた騎士』がやっと、舞い戻って来たんだと思いますね」
思わず指先の人形から、奏子の顔に視線を移す。うさぎの動きが止まって、声色を忘れて奏子が呟いた。
「『アーネスト』と『リリィ』・・か、トシ子さんらしいベタさだよね、笑えちゃうね」
そんな風に言いながらも、奏子は笑わず、うさぎは身体を少し傾けたままじっとしている。
「あたしは・・」
猫が答えた。
「百合先生らしくて、すてきだと思いますよ」




ガラスのうさぎと猫は窓枠に並んで、夕暮れの景色を眺めた。
クリスマスの飾りつけをした大きなもみの木が病院の中庭にあり、チカリチカリと青いライトを点滅させている。

「きれいだね」うさぎが言い
「きれいだね」猫が答える。

今日は一段と冷え込んで、雪でも降ってきそうだ。
どこかで空から舞い降りる大きな翼の音が、聞こえたような気がした。


天使の落し物~光降る坂道で


Sexual Mystery Circle Vol.2 参加作品
結局テーマにとらわれず、自分の好きなように<少年たち>を動かしてみました。
心込めて相手の幸せを願うこと、真剣に相手を知りたいと思うこと
同性でも異性でも、それは「愛」だと思うから・・なんて かっこいいものではないけど
書いている間中、私がシアワセであったことは事実です(^。^)
珍しく沢山人が出てくるし、長い話になりますが、よろしかったらお付き合い下さい。



ひっそり



お題
「心臓は急激に膨れあがり肋骨を軋ませる程だった」で始まり
「そこには羨望が渦を巻いている」を含む文で締めくくること。

※今回のテーマとして<同性愛>について何かを書くという縛りがありました。(肯定にせよ、否定にせよ)


お題の出典: 『蝶々の纏足』 著:山田詠美




*****


心臓が急激に膨れあがり、肋骨を軋ませる。
激しい急ブレーキの音が、朝の通学路に響き渡った。


「おっはよう、タカトぉ」
足早に渡り切った隆人の後ろ、すでに赤になった信号を無視して
追うように渡ってきたのは、同じクラスの山垣直行だった。
車の窓から乗り出して怒声を浴びせる運転手をにこやかにやり過ごし、
隆人に向けて ぺろりと舌を出す。
「青になったからって 慌てて突っ込むんじゃないっつーの 
こんな狭い道路、そんなに急いでどこ行くんだよ」
直行は、隆人の横で跳ねるようにして話し続ける。

凍りついたような表情で横断歩道を見ていた隆人は、弾かれたように向きを変えた。
直行の前を、一層速度を速めて歩き出す。
一言も発しない。
きつく握ったこぶしが微かに震えているのに 直行は気が付いた。
「へいへい、交通ルールを守らない方が悪いです。何そんなに怒ってんの、お前
・・・おい?」

隆人の前に回り込み、さらに長身の直行は体を折るようにして、顔を覗き込む。
蒼白な隆人の顔。唇も微かに震えている。
「おい、大丈夫か?」
小刻みな身体の震えが止み、虚ろになった目がゆっくり光を宿し、
顔に少しずつ血の気が戻る。
「悪い。先に行っててくれ・・でなければ、
僕がもう少し遠ざかるまでここで止まっててくれ」

背筋のピンと延びた隆人が 中、高等部、二種類の制服に混じって少しずつ遠ざかる。
「一人にしてくれとか お前と歩きたくないとかさ・・
もっと解りやすい言い方があるだろうに」
ひゅうと風が吹き、中等部の生徒が道路の隅に捨てたビニール袋が
ふわりと舞って 直行の足元に落ちた。
指先でつまんで 持ち上げる。
つかつかとその生徒の所に歩み寄ると 
「おい、落し物」
まだ幼さの残る少年たちに 直行は拾ったゴミを突きつけた。
コソコソと肩をすぼめて謝ると逃げるように走り去る。
それでも、今日「新生徒会長に声かけられた」
彼らは誇らしげに吹聴するのだろう。




その視線にずっと気づいていた。
その視線の意味をずっと考えていた。
誰かを思い出す。
でも、その誰かの輪郭を掴もうとすると闇の中に紛れてしまう。
胸の奥にどんよりと霧だけが残る。
霧の中でもがく。
行き場の見えない恐怖で足がぶるりと震えた。
過去の記憶を探る作業は、ぎりぎりと傷をえぐられるような苦痛を伴う。
隆人は目をきつく閉じた。


「やっぱ、タカト見てるぜ、あの坊や」
ひゅう、と口笛を吹いて直行が隆人の肩に手をかける。
気づかない程微かな嫌悪を示し、
できる限り自然に身体を捩って隆人は直行の手を払う。
ひとの手の、その温度までも払い落とすかのようにさらに反対の手で、自分の肩を隆人は拭った。
「何だよ、相変わらず。俺はばい菌ですか?」
直行が顔を寄せて襟首を掴むと
「いや、別に・・そういう意味じゃない。気に障ったら、ごめん」
素直すぎるくらいにすぐ謝る。でも、口だけなのは 直行にも解っている。
「謝んなよ、お前、マジうぜ。直す気もないくせに」
認める、謝る・・会話を続ける気のないときの 隆人のいつものやり方だ。

隆人と直行。
二人が並んで歩くだけで、学内だけでなく、どこに行っても注目が集まった。
通学途中で出会う女子高生だけでなく、学内の同性の後輩からも、
熱い視線で見られるくらい、二人には慣れっこのことだ。




「静也、行くぞぉ」
離れていく隆人の背中をじっと見つめていた桐谷静弥は、
鷺澤草太の明るいトーンの声に振り向いた。
「何、見てたの?ああ、島崎先輩と山垣先輩だ」
絵になるよな、ほんと。何かタレントみたいだよなぁ、
指でフレームを作りながら二人を眺め、素直に褒める友人に
静也は笑いながら歩み寄る。
「あの二人って親友なんだ?」
「んー、兄貴に言わせればさ、島崎先輩って物凄いバリヤーあるらしいぞ、
周囲にこーんくらい」
草太は両の手をいっぱいに広げて見せ、ちょっと渋い顔を作って笑った。
「本気で親友なんて 作るかね」

草太には、隆人たちより一学年上の高等部3年の兄がいる。
三兄弟の一番上の兄もここの卒業生で、親もそうだというから、情報通なのも肯ける。
入学してすぐに入った新聞部でも先輩以上に色々知っているのが自慢で、
古株の先生たちとも、周りがわからない会話で盛り上がっていたりする。
学園の生き字引、中等部一年にして、このあだ名だ。
どんなに近づいても表面上の情報しか集められそうにないタイプの島崎隆人は、
苦手な一人なのかもしれない。

「で、何? ホレちゃったとかぁ?」
からからと笑いながら草太が言うと、何だかそんな話題もさして特別な感じはしない。
「まー、難しい恋になりそうだね。いくら静弥でもさ」
「いくら・・って何、それ、どういう意味?」
「おや、何の自覚もないとは言わせませんぜ、自分のビジュアルにさ。
 そこまで純真無垢ってわけでもないだろう、お前」
能天気でお喋り、がさつそうな見た目の草太だが、案外カンはいい。
「下手に近づくと、嫌われるだけじゃ済まないぞ。憎まれたりしてさ」
「憎まれる?」

「マジな顔すんなー。何となくそんな気がしただけ。失言、失言」




「きゃぁ・・」

乗り換えの駅で電車を待っていると、数列後ろの女子高生が甲高い声で叫んだ。
苦しそうな息をして、その場でしゃがみ込んでいるのは隆人だ。
電車待ちの列にいた静弥が、振り返って様子を見ようとすると、
後ろにいた男性が迷惑そうな顔をした。
「大丈夫ですか?」
おそらくは そんな風に声を掛けている女子高生の後姿と青ざめた隆人の横顔が
人ごみのすきまからちらりと見える。
しかし、何があったのか、助けようとした女子高生の友人が、
なお苦しそうにしている隆人に向かって
きつい調子の言葉をあびせ出した。ホームのざわめきで何を言っているのかはよく解らない。
間もなく駅員が駆け寄ってきて隆人を支えて救護室に連れて行った。

「あの態度はないよね、春香。ほんとに何て男なんだろうね。
ちょっとカッコいいからと思って」
春香と呼ばれたその子が、隆人を心配して助け起こそうとしたのは遠目でも解った。
「ほっといてくれ・・だもんね、失礼なヤツ」
友達が自分のために怒っているのに春香はただぼうぜんとしている。
不自然な雰囲気が気がかりで、電車待ちの列から出て人を掻き分け近づくと、静弥は春香たちに声をかけた。
「島崎先輩が何か失礼なことしましたか?」
「島崎?・・ああやっぱり やっぱり『しまざきたかとくん』だったんだ・」
「何、春香、知ってる子だったの?」

「ねぇ、キミはたかとくんのこと良く知ってるの? あんな風に・・よく倒れるの?」
春香が静弥に詰め寄る。その真剣さに気おされる。
「いえ・・僕は」
そんなに付き合いもなくて・・。静弥は言葉を濁す。
中等部に入学してまだ、1年も経っていない。高等部2年の隆人と接点がないのが普通だろう。
「たかとくん」?・・知り合いなのか。
「どうしよう・・きっと、わたし・・わたしたちが あんな話してたから・・・。」
「何よ、春香、どういうこと?」


春香と少し話をして、自分の名を告げメールアドレスを渡し、静弥は救護室に向かった。
「・・『大天使』様だったとはね・・」
図らずもメンバーが集まってきた・・不思議な吸引力、それこそ誰かのお導き?
「どこに導いてもらえるのやら・・・」
静弥は自嘲的に笑うと隆人の後を追った。



片手で春香のアドレスを打ち込みながら、救護室のドアを開けた。
長いすに静弥はゆっくり近づき傍まで行くと、隆人の白い顔をそっと覗き込む。
静弥は隆人の前髪に手を伸ばし、ふわりとかき上げた。
「何するんだ!!」
眠っているかと思われた隆人が、青い火花でも散るかのような激しい声を上げた。
ついたてで隔てられただけの駅員室全体の空気が一瞬凍りつく。
二人の間に予期せぬ緊張が走り、周囲の人たちが息を止めて見守る。
事情が全く飲み込めない。気まずい沈黙の後、やっと駅長が声を掛けてきた。

「そ・・そんな大声が出るようなら、もう大丈夫かな?
 キミは同じ学校? 一緒に学校まで付き添ってくれる?」
隆人は起き上がり、身支度をするときちんと毛布をたたみ、
「ありがとうございました。もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
駅長に隙のない笑顔をみせると、くるりと向きを変え、
静弥に一言も言わせないでひとり部屋を後にした。

「何だか不思議な子だね。キミを置いてっちゃったよ。先輩?」
ひとの良さそうな初老の駅長は残された静弥に気を遣って、話しかける。
「はい。生徒会の副会長です。でも・・彼は僕のこと知りませんから」
「助けようとした女の子の手も 思いっきり振り払ったんだって・・。
 礼儀正しそうな子なのにねぇ・・」
なおも、納得がいかないと首をかしげる駅長に、静弥はにっこり笑って答えた。
「先輩が女子に興味ないのは知っていましたけど・・
あの様子では、ボクの気持ちにも応えてくれそうにないですね」
唖然とした顔の駅長にぺこりと頭を下げ、静弥はホームに駆け出した。

前髪の下に隠された傷。
静弥はじっくりとその形をなぞるように 思い浮かべる。
─たかとくん・・僕はずっと、あなたを見ていたんだよ。




「何でダメかね、真面目にするって言ってんのにさぁ」
昼休みの中庭で直行がぼやく。
「お前も説得付き合えよ、いい案だと思うのに」
隆人は直行をひとり 喋らせたまま 本から目を離さない。

「せんぱーい」
あれから学校で 静弥はよく近づいてきて、休み時間を直行と喋って過ごしたりする。
「おう 駅長室で置き去りにされた少年と、生き字引か」
静弥と草太が手を振ると、直行はこっちこっちと傍に呼んだ。
「直行先輩、何か イライラしてます?」
カンのいい子だな、と思う。
気づくと静弥の視線がいつもこちらを向いていた。髪をかき上げられたのは何故だろう。
触れられたくない傷をわざと見た、と感じるのは考えすぎだろうか。
隆人はどうしても 静弥に苦手なものを感じて、避けてしまう。
今も、直行が相手しているうちに、立ち去りたい衝動に駆られた。


「何が問題なんですか?」
「クリスマス祝賀会だよ。生徒会の出し物」
「あ、知ってます。毎年生徒会の先輩方が聖歌隊とかやって下さるんでしょ。
 お祈りと園長先生のお言葉、神父様のお話、クリスマスっていっても 楽しみがないって親の世代は文句言ってて・・卒業した先輩が作った一つだけのお楽しみが 生徒会の出し物なんだ、そうですよね?」
「さすが 生き字引」
得意そうに鼻を膨らます草太の頭をぐりぐりと撫ぜて 直行はからからと笑った。
 
「そこでだな、今年は趣向を変えて、と・・・オレは考えた」
間合いを取って、直行は二人の興味を引く。
「幼稚園で練習の声が聞こえたんだ、コレだ、と思ったね」
「聖劇ですか?」
「正解。静弥も聖親幼稚園?」
静弥はなぜか、ちらりと目線を外し、ゆっくりと隆人を見た。
隆人は本に目をやったまま、微動だにしない。
「いえ・・僕は違います。その頃は他県にいましたから」
「僕は卒園生。クリスマスの伝統です。数十年来同じ台本でやっていて
・・先輩、あれをやるつもりなんですか?」
「男のマリアさまはちょっとねぇ・・って教頭に物凄く嫌な顔されて、ボツ、かも」
静弥がプッとふき出し、草太は少しほっとしたような表情を浮かべる。
「いい案だと思ったのになぁ・・もう 歌も覚えちゃったのに」
─御子の生まれし清きこの夜、みんなでお祝いいたしましょう・・
直行が歌いだすと かき消すように予鈴が鳴った。
本をパタンと閉じて 隆人がつぅと立ち上がる。
「おい、待てよ」
またな、と二人の後輩に手を上げて、直行は慌てて 隆人を追った。


その幼稚園は、なだらかな坂の途中、教会の敷地内にある。
テスト期間などで、帰りが早い時、直行は駅からゆっくりと坂を下りながら、
幼稚園から聞こえる幼い子ども達のざわめきを聞くのが好きだった。
カトリックの私立幼稚園だが、最近は信者の子だから・・というのも 案外少ないそうだ。制服がかわいいとか、行事で綺麗なドレスが着られるとか、そんな入園理由もあると聞く。
クリスマス祝賀会は最大の行事のようで、可愛らしい練習の声が聞こえてくる頃は、お迎えや、交通安全の旗当番に来て、立ち話する母親のテンションも高い。
配役へのあれこれ、わが子の衣装の話、無邪気な歌声の響く中、母親たちの関心は少し別の方向を向いているみたいだ。

系列の小学校はないので、一旦卒園生はばらばらになるが、
同じカトリック系で場所も近く、雰囲気を同じくするこの学園に息子の入学を希望する親も多い。
卒園生の再会する場。ただし男子校なので、初恋の「彼女」との再会はあり得ないんだけれども。

幼稚園の入り口に立つ。今日はもう園児たちも帰った後で 園庭は綺麗に片付いていた。
門は閉ざされているが奥で枯葉を掃いている中年のシスターと目が合った。
「あの・・」
とっさに直行は声を掛けた。



「聖劇を・・ですか?」
柔らかい微笑みを絶やさずに、シスター姿の園長は直行に紅茶を勧めた。
「はい、ふざけた意図ではないんです。でも教頭先生のダメ出しもあって 実現するかどうかも解らないんですが・・」
「ダメ出し?」
「あ、はい。男のマリアさまはちょっと、って」
「そうね、男子校ですものね」
園長は尼僧の装束に包まれたふくよかな身体を揺らしクスクスと笑って直行を見た。
「お笑いにするつもりはないんです。女装だってダメならやらないし。だいたい笑われるようなものをやるなんて言ったら、隆人が絶対反対するし」
隆人の名前が出たとたん、園長が笑顔を曇らせた。
「隆人って・・違ってたらごめんなさい・・まさか『しまざきたかと』くん?」
「そうですが・・?」

隆人が全然無関心な様子だったので、聞きそびれていた。
卒園生だったことも知らなかった。それならば聖劇経験者だということも 簡単に想像ついたはずなのに。中等部からもう5年一緒に過ごしてきたのに、隆人のことは実際はよく知らない。そんなことに今更ながら気が付く。
真面目で、誰にでも公平に優しくて、物静か。誰もが認める優等生。
今、電車通学だということは、あれで通ってきたのだろうな。
窓から見える園児送迎用の天使の絵のついた小さなバスに目をやりながら、直行は幼い隆人の姿を想像してみた。幼児らしくはしゃいだりダダをこねたりする隆人の姿など、到底想像できない。

「・・・・元気にしている?」
暖房が効いた部屋なのに、まるで急に寒くなったかのように両手をすり合わせ、
俯いたままの不思議な長い沈黙の後、かすれた声で 園長は直行に聞いた。
「はい。オレが無理やり引っ張って、彼が生徒会の副会長で・・」
そう答えながら、園長の表情を窺う。卒園生のひとりひとりを、先生っていうものはそんなに覚えているものなのだろうか?
「そう・・」
何か言いたげになった口もとが、少しの間をおいてきゅっと引き締められる。微笑みが消えると、随分厳格な印象になった。
丁度廊下から園長を探す声が聞こえ、続いてドアがノックされた。
「はい、今行きます」
園長は直行に目礼すると立ち上がった。

「聖劇はクリスマスの意味を伝え、心を清らかにしてキリストの降誕をお祝いするもの。ただのお芝居ではないのよ。
 私たちがとても大切に伝えてきたものだってことも、解っていて欲しいですね」
ドアノブに手をかけながら 園長は穏やかだがきっぱりと言い、壁に掛けられた幾枚もの写真に目をやった。
直行も同じように 目を向ける。
マリア、ヨセフ役のこどもを中心に多くの園児たちが衣装を着けた集合写真が、古くて黄ばんだもの(おそらくは親の世代からの)ずらりと並べて掛けてある。

「また、いつでもいらっしゃい」
許可とも拒否とも取れない言葉だけ返して、園長は部屋から先に立ち去った。




嫌な夢をまだ見る。

少女が自分に向かって駆けて来る。
立ちすくむ。 金縛りにあったように身体は動かない。
大きな擦る音。叫ぶ声。何かがぶつかる鈍い音。
目の前が真っ暗になって少女の姿が闇に消える。

落ちていく。
落ちていく。

こめかみ近くの傷がうずくような感覚を残し、目が覚める。
後ろの側溝に転落して、あの時できた傷。
「あの瞬間」からの後のすべてを見届けずに済ませた「都合の良い」傷。



髪をかきあげ、もう痛むはずのない傷を鏡で見ていると、こちらを不安そうに見つめる母の奈津子の姿が鏡の奥に映った。振り向くと奈津子はもうそこにはおらず、キッチンで皿を洗う音がした。
「おはよう」
先ほど鏡の中でお互い姿を見たことなんか なかったように声を掛け合う。
朝食を食べ、制服のジャケットを羽織ると奈津子がいつものように眩しそうな目をして隆人を見た。
「いってきます」
物言いたげな母ににこりと笑って見せ、隆人は家のドアを開け、いつものように駅に向かった。女子高生の前で倒れた日から、隆人は家を出るのを30分早くした。
枯葉を巻き上げ、冷たい風が吹き付ける。
道路の先、横断歩道と信号の点滅が視界に入ったとたん、首の後ろに冷たいものが走り、隆人は堅く目を瞑った。
─どうしたら、忘れることができるのだろう。


「タカト先輩」
駅から出ると 声をかけてきたのは静弥だった。
思わずこめかみに当てた手をぎこちなく下ろした。
「電車、30分も早くしたんですね」
人懐っこい笑顔、まだ少年のような声。
改札を出て歩き出す。何でお前まで、また同じ電車?疑問を言葉には出さず、隆人はあいまいに会釈して先に行く。
坂は二手に分かれていて、大きくなだらかな坂が正門に、小さく急な坂が裏門に通じている。目指す校舎や部活動場所、自転車置き場が近い方など 中高関係なく入り乱れてどちらかの坂を登って登校している。隆人が正門に向かう坂に足を向けると、静弥が追ってきた。
「隆人先輩は、ずっとこっちの坂を使ってるんですか?」
小さな静弥が隆人に歩幅を合わすと小走りのようになる。
「正門から入る方が好きなんだ」
隆人が答える。できれば一人で歩きたかったが、静弥はお構いなしに後ろを追いかけてくる。
「・・・・幼稚園ですね」
道路の反対側に幼稚園の門が見え、第一便の通園バスが門の中に入っていくところだった。ちらと見ることもなく、隆人は足を速める。
「クリスマス祝賀会の聖劇、」
静弥がぽそりと呟く。
「僕、歌えるんですよ、マリアさまの歌」
びくりと肩を震わし振り返る。静弥は真っ直ぐ隆人を見返す。
静弥は澄んだまなざしで見つめ、ふふ、と目を細めて笑う。
「10月から練習してるじゃないですか。聞いてると覚えちゃいました」

風に乗って、園児たちの歌声が聞こえてくる。
─いざ行かん 明るき星に導かれ、救い主は今こそ生まれぬ
隆人の胸が またきりきりと締め付けられるように痛む。



「納得できないなぁ」
直行がまたぶつぶつ言いながら 隆人の周りをうろうろする。
「お前、澄まして本ばっか読んでないで、何か意見出せよ。どうなの、反対?賛成?」
劇に関して 全くノーコメントを通してきた隆人に直行がそろそろじれ始める。
「おかしいじゃないか、誰に聞いても反対も賛成もしないって 何で?
 この話出すと、皆何にも聞こえなくなっちゃうみたいでさ、どうなってんの?
これ」
隆人は本から目も上げない。
「嫌なら嫌、ダメならダメであきらめもつくさ。例年通りの聖歌隊でも構わないさ。
 でも、変じゃない?何で 無視よ、訳わかんねぇ」
「先輩!」
途中から傍に来た草太が、直行の腕を引っ張る。
「お前さ、説明してくんない?この疎外感は何?オレ何か空気読めないことやってんの?」
「直行先輩!ちょっとこっち来て下さい。」
小さな草太に思いっきり腕を引っ張られ、直行はしぶしぶ 草太に付き合ってその場を後にした。


「何だよ 生き字引。よそ者のオレに何か教えてくれるっての?」
「先輩は、ここの中学に入る前 他県から引越しして来られたんですね」
「そうだよ、だからよそ者なんだろ。地元ったってあちこちの小学校から集まって来てるくせに 
 何だよ、もお。オレだけのけ者みたいな雰囲気にしてくれちゃってさ」
直行は子どもみたいにむくれて、ドカンと中庭の芝生に座り込んだ。
少し離れたところに 静弥の姿もあった。
「静弥も引越し組なんだろ?変だと思わないか?この雰囲気」
「僕は・・」
静弥が何か言いかけたのに気が付かなかったのか、草太が話し出した。
「先輩、みんな事故のこと、言い聞かされて育ってるんです。みだりに話さないようにって。
 それに隆人先輩は一番辛い立場だし」
「事故って?隆人が何?」




「こんにちは」
坂道を駆け下りて、直行は幼稚園の園庭のエプロンの先生に声を掛けた。
「園長先生にお会いしたいのですが」
体調不良と偽って早退届けを出し抜けてきた。まだ、園児はバスを待って三々五々園庭で遊んでいた。
マフラーを頭から被って、台詞の練習をしている女の子、聖劇の歌を歌っているグループ。
同じ部屋に通された 直行は改めて、壁の写真の額をひとつひとつ見て行く。
××年度、××年度・・・・。
丁度直行たちが年長児だった年度が抜けているのを 直行は確認した。
この空白が隆人の胸の錘として迫ってくる。
静かにひとつ大きな息を吐き出すと、ソファに座り 園長を待った。

「事故のこと 聞きました」
園長と向かい合って腰をかけると、直行は切り出した。
園長室には緩やかな初冬の日差しが差し込んでいる。園庭の幼子たちのざわめきも、窓ガラス越し、遠くに聞こえてくる。
「たかとくんは、今どんな?・・私ね、その頃、まだ新人で、たかとくんの担任だったんです」
よく覚えています。賢くて、誰にでも親切で、おしゃべりで活発なこどもだったわ・・
園長は静かに 隆人のことを語りだした。
「おしゃべりで、活発ね・・」
こちらから「知ってます」と切り出さなかったら、決して話してはくれなかっただろう。
悲しい交通事故のことを、亡くなった園児のことを、軽々しく話さない・・
亡くなったその子と悲しみに沈む家族のために祈ることだけ、幼稚園では徹底して幾度もお話があり、
素直な子ども達にその教えは 浸透し、刻み込まれた。
話渋る同学年の卒園生や草太たちに、あらかじめ聞き出しておいて、正解だったな・・と直行は思う。
「そう、優しくて、穏やかで 真面目で・・・いいヤツです・・ただ」
「ただ?」
「本心が見えないっていうか・・僕は中学からずっと一緒のクラスにいて友達のつもり、なんですが」
「事故のことなんかは全く?」
「知りませんでした。小学校が同じだったヤツから聞いた話では、この時期になると体調を崩し、欠席が増えたそうです。
 事情を知っている者は、まさかここの近くの中学へわざわざ受験して入るなんて思わなかったそうで・・」
「もう 5年も通ってるのね、まだ、そういう状態は続いているの?」
「いえ・・。意地でも休まないっていう感じで・・坂も絶対 ここの前を通る正門側を使います」
「彼なりに 避けず、乗り越えようとしている?」
「はい。でも、それがかえって痛々しくて。隆人は他人には苦しい顔見せないし」
つなぎ合わせれば気が付く。
この5年間でも数度、隆人の青ざめた顔を見た。震える唇を、堅く握り締めるこぶしを見た。
誰にでも優しい顔の後ろに、決して他人を入れないバリヤーも感じてきた。
季節になると体調に出ていた頃の方がきっと解り易かったろう。
もう「おしゃべりで活発」でない隆人。
不自然までに過去の話をしなかったのは隆人自身がまだ何かを引きずっているからではないのか。
幼稚園で同じ学年の女の子が 横断歩道で車に跳ねられ、死んだ。
信号は赤で、道路の向こう側にいたのは、ほんの5歳の隆人。
少女は隆人に向かって駆けた。
だから?だから何だ?
「隆人とその子・・めぐみちゃんは そんなに仲が良かったんですか?」

「とても 大人しい子だったの。主役にするなんて、私も考えていなかった」
園長は少しの間、直行を見つめ、そして隆人の年度だけ抜けた記念の集合写真に目をやった。
「たかとくんは・・彼は早くからヨセフ役が決まっていてね、私聞いてみたの。
マリアさまは誰がいいと思う?って」
隆人は、大人しくて目立たないめぐみの名を挙げた。
とても綺麗な声で歌うのを聴いたことがある、めぐみちゃんがいい、5歳の隆人はきっぱりと言った。
子どもをマリア様役にしたい母親 やりたいという女の子は他にも沢山いた。
例年のことなので、歌やバレエを習わせて わが子をマリアさまに、と入園当時から力の入った親もいる。
何故、あの子が・・嫉妬と羨望に満ちた目で練習を見つめられ、めぐみちゃんは更に緊張する。
何度言われても舞台の上で声が出なくて 毎日毎日泣いていたのだという。
そんなめぐみちゃんの手をいつもきゅっとつないで、励まし、庇い続けていたのがヨセフ役の隆人だったのだ。

「事故の当日は 何かあったのですか?」
幼い隆人が 目立たない一人の女の子を励まそうと一生懸命になる。
穏やかな表情に反し、触るだけでびりっと電気が走るように振り払うあの隆人が、
つないだ手に力込め、周囲のプレッシャーから女の子を守ろうとする。
それが、もともとの隆人なのかもしれない。
そんな隆人のいる道路の向こう側へ 駆けていく少女。直行は目を閉じて想像する。




「母さん、この前ね、大天使に会った」
幼い少女の写真に花を供える母、美幸の後姿に、静弥は声を掛けた。
「え?」
「何でもない。行ってきます」

美幸は伏目がちに微笑んで、
「電車、随分早いのに乗ることにしたのね、今までのでも十分に間に合ったでしょうに」
まだ同じくらいの身長しかない息子の肩のほこりを払って、
「いってらっしゃい」
と手を振った。
「母さん」
「何?」
「今年の命日も・・自分で花は供えられない?」
言ってしまってから、静弥は少し後悔する。
母の表情がみるみる曇り、唇がもう小刻みに震えたのを見てしまったからだ。
「ごめん・・」
一言言うと静弥は後ろ手でマンションの玄関扉を閉め、足早に階段を駆け下りた。

大天使だけでなく・・ヨセフさまも身近にいるんだよ。
悲しさは比べることはできないかもしれないけれど、同じように傷ついたヨセフさまがね。
マンションのエントランス脇の大きな木のイルミネーション。
「お祝いしましょうクリスマス・・か・・」
静弥は母の手渡したマフラーを無造作に首に巻きつけた。


「草太」
坂道を登りながら、静弥は前を行く草太に呼びかけた。丁度幼稚園の前に差し掛かった時のことだ。
「何だよ、いきなり。深刻な顔しちゃってさ」
「・・あの事故が起こった日はさ ちゃんと歌えたのかな」
草太がきょとんとした顔で振り向く。
「あの日 リハーサルがあったんだ、聖劇の」
意味を取りかねて 草太は首を傾けたまま静弥の言葉を待った。
「母親・・マリアさま役の女の子の母親はさ、見ることができなかったんだよ。
 赤ん坊の弟がぐずるから、廊下に出ててね・・。だから・・・」
「そんなこと、何で静弥が?」
「めぐみの・・僕の姉さんの最期の日、リハーサル終わった時に出来栄えを聞いてもやれず 僕を泣き止ますのに必死だったそうだ。
 赤になった信号にも気づかずに、隆人くんに向かって駆け寄った時、どんな表情で 何て言いかけてたのか・・
 母には解らないんだ。誰にも聞けなくて」

めぐみを亡くした後、母は自分を責めたのだ。
弟の世話が忙しいと言って十分構ってやらなかったこと、
弟を抱いていたために、飛び出しためぐみを助けられなかったこと。
人見知りで臆病で、付き合いの下手なのは 母だったのだ。
大役を貰って喜んであげるべきなのに周囲にばかり気を遣って小さくなっていた。
「無理だわ、役変えて貰おう」
母はめぐみに何度も言ったのだ。けれどめぐみはそれだけは譲らなかった。

めぐみの死後、嘆くばかりの母を心配して、父は別の土地でやり直そうと引越しを決めた。
めぐみのためにいつまでも悲しむより、静弥のために笑って生きよう、そしてまた新たな命を授かろう。
そんな慰めが余計に母を苦しめ、痛めつけた。母の闇は深い。
悲しみの癒し方が、乗り越え方がお互いに違いすぎて、せっかく父の思いやりも母の心に届かなかった。
きっと、誰も悪くないのに。
やがて、母は、めぐみがまだあそこにいる・・とうわごとのように言って、元の地に戻り、やがて夫婦は離婚した。
「桐谷は母の姓なんだ。小学生の時、自分の意思で母の元に来たんだよ。
小学生なりに、あのまま、母をひとりにしておくわけにいかないと思ってさ」
静弥は草太に向かって、淡々と喋った。
「そのくせさ、母は結局、事故のあった場所に花ひとつ供えに行くことができないんだ。
命日だとちょうど聖劇の練習の声も聞えてきたりしてさ、仕方ないんだけどね」

今まで誰にも言わなかったことだ。
止まったものが少しずつ動き始めている、静弥は思う。

「誰も悪くないっていうのはさ・・」
草太は考え、考えながら答える。今、どんな言葉が必要だろう。
「何だか 辛いよな」



「次の年、どんな風にクリスマス祝賀会や聖劇をやるのか悩んだのよ、私たちも。でもね・・」
次の年も、その次の年も、そして今までずっと、同じ劇は続けられたのだ。
いなくなってしまった女の子のため、未来を生きる子どもたちの幸せのために、
祈りを込めて。

「たかとくんに何か言って上げることができたらと、いつも思っていました。
でも、彼はまだ、園に足を入れることはできないみたいね。
きっと・・・あと少しのことだと思うのだけれど」
そう言うと 園長は直行をじっと見つめた。

─そして、気がかりは、もう一人・・。
めぐみちゃんの命日にずっと、お母さんの代わりに花を供えに来てくれる少年。
めぐみちゃんには、その時まだ、赤ちゃんだった弟さんがいるんです。
静弥くん・・と言ったっけ。


「静弥くん」・・園長の話を直行は頭の中で繰り返し考えていた。
やたらと周りをうろうろすると思ったけれど、静弥は最初から隆人のこと、解ってて近づいてきたんだろう。
隆人に何を告げるため? 隆人から何かを聞きだすため?
ちくしょう、アイツ、下手なこと言って隆人を傷つけたら承知しねぇ。
直行の荒っぽい歩き方に、駅前広場の人馴れした鳩も驚いて一斉に飛び立った。
白い鳩が一羽、後に残って小首をかしげて 直行を見た。



「静弥ちょっと来い」
中等部の教室に直行が顔を出すと、生徒たちの視線が一斉に集まった。
「何ですか?」
いつもの静弥の笑顔が、今日は素直に可愛いと思えないのも仕方がない。
中庭まで連れて行って 直行は静弥に問う。
「俺は、コソコソしたり駆け引きしたりするのが苦手だ。
お前の傷にも触れる覚悟して聞く。めぐみちゃんの弟なんだな、お前」
静弥はまるで、こういう事態を予測してでもいたように、落ち着いた声で
「ええ」
と、素直に答えた。
「では聞くが、お前が隆人に近づくのは何故だ?逆恨みなら・・」
直行の言葉を黙って聞く、静弥の真っ直ぐな視線に直行も戸惑った。
「ごめん、こんな風に言うつもりじゃなかったんだ。何だか頭に血が上っちゃってさ。
何にも知らずに隆人の横で『聖劇、聖劇』って騒いじまった俺がさ、情けなくて。
ヤツあたりだよな。ほんとごめん」
静弥は首を静かに横に振った。
「毎年花を供えながら、お前はずっとどんな風に思ってきた?・・俺はただ・・
生きてる者が・・隆人だけじゃなく、お前も・もっとすっきりと単純に幸せになれないものかな・・と思うんだ」
「僕も・・?」
「お前もだよ」
勢いで静弥を呼び出したことを直行は今更ながら後悔していた。

「僕がこちらに帰って母と暮らし出した時、隆人先輩はもうここの中等部でした」
「命日にもう一つ、必ず先に花束がありました。隆人先輩が供えた花でした。
普段はその坂を上りながら、決して立ち止まらず、幼稚園の方を見もしない
そのひとが『たかとくん』だと知ったのは、その後でした」

ずっと、隆人の姿を探して見つめてきた。
このひとも「本番の日」が来ないまま足踏みしているんだ・・。
「生きてる人が すっきりと単純に幸せに・・僕もそう思います。直行先輩。それから、そこの草太」
後ろを振り返ると、ただならぬ雰囲気に、心配して着いてきた草太がいた。





「素晴らしい出来だったのよ」
ファミレスの明るい窓際。静弥と草太、春香は向かい合って座っている。
「いつもは声が出なくって、泣きながら練習していためぐみちゃんが
 リハーサルで高々と歌って、立派に台詞を言い、最後までやり遂げた」
「あなた、めぐみちゃんの弟だったんだ・・」
春香はゆっくりとジュースをストローでかき混ぜると、飲むこともせず氷をつついて考え込んでいた。
「隆人くんがあの日、 何かの用事があってバスに乗らず、お母さんと帰るようにしてたんだと思う。
そういう子は皆より先に帰ることができて・・だから 隆人くんだけ園から出て」
「横断歩道を渡っていた?」

草太が納得したように何度も頷く。
「なるほどね。だからその時間、外にいたのが隆人先輩たちだけだっわけだ」
「姉は・・めぐみは その日ちゃんとできたんだ マリアさまの役」
静弥は首を伸ばして顔を上に向け、目を閉じて静かにふぅと息を吸い込む。
「ほんとはね、私もマリアさまがやりたかったの。
大天使だっていい役よ。でもね、マリアさまは特別。 台詞も多いし、一人で歌う歌もある。
それに・・私もたかとくんのこと大好きだった。人気者だったのよ」
春香は少しずつ、その頃のことを思い出しながら 語りだす。
「だから、歌えなくて怒られて泣いてるめぐみちゃん見て、私、笑ってた。幼稚園児だって、嫉妬する。
でもね、リハーサルの日は、素直にめぐみちゃん、凄いって思った。たぶん皆同じだったと思う」
静弥がゆっくりと視線を落とす。
「・・ありがとう。じゃあ、いいリハーサルが出来たんだね」
春香が一度小さく肩を震わし、そしてこくんと肯いた。


直行に連れられて、隆人がその店に間もなくやって来る。




「笑顔だったのか」
直行が聞く。
「・・・ああ」

何度も夢に出てくるのは、その子の姿だった。
次の瞬間からもう 未来が消えていくのに、自分は何もしてやることができないのに
笑顔で駆け寄って来る女の子。・・・静弥は その子の弟だったのか。
不思議とすんなり納得がいった。
見つめる目が誰かを思い出すと思っていたのは間違いじゃなかった。

あんな風に終わってしまうのに、本番なんてもうないのに、何であんなに毎日辛い思いをして
練習させてしまったのか。
「役を変わりたい」とめぐみちゃんが言えなかったのは、僕のせいだ。
そういう風に、ひとに関わって、自己満足で応援して励まして、
結局 何もできないまま 逃げた。

「逃げたなんて・・」
春香がキッと顔を上げ、隆人に言った。
「事故を目の前で見たら誰だってショックだわ、たかとくんだってその時倒れて大怪我したんでしょ」
「たとえどんなに ショックだったとしても・・」
テーブルの上に乗せた手を強く握り、首を横に振る隆人。
隆人の言葉を制して、直行が口を開いた。
「俺は・・・隆人が自分を責めることなんてないと思う。
俺は、あの世も神様も生まれ変わりも霊とかだって、信じちゃいないけど・・
俺がめぐみちゃんの立場だったらって考えてみた」
直行は ひとりひとりの顔を順番に見やり、そして続ける。
「考えたけど、こんなに皆がいつまでも拘ってるのってやっぱ おかしいと思う・・」
そう言ってから 静弥の方をもう一度見て
「ごめん・・こんな言い方は 静弥のご家族には悪いかもしれない」
静弥が苦しげに目を逸らす。

「僕は・・」草太がやっと声を出した。
「自分が聖劇をやった幼稚園の頃を考えてた・・ああ、不用意なこと言ったらすみません」
前置きして草太が話す。
「たかが5歳じゃないですか。そんな頃の自分たちを責めてどうするんですか?
静弥のお母さんだって、お父さんだって何にも悪くないし 不幸な事故で亡くなっためぐみちゃんには
何を言ってあげたらいいか、確かに僕も解んないけど・・」

「姉はマリアさまをやり遂げて、笑ってたんだ」
窓の外に目をやっていた静弥が 視線をテーブルに戻してぽつりと言った。

「『明日も一緒に 頑張ろうね』・・たかとくんに駆け寄って、そう言いたかったんだと・・僕はそう思う」






「これ、見つかったから」
母の奈津子が隆人の顔を不安げに見る。
隆人の方が随分背が高くなった。見上げるという方があたっている。
もし叱らなければいけな事があったとしても、これじゃあ迫力ないな、と思う。
叱るなんて もうずっと何年も隆人に関しては必要なかったことだけれど。

「本当に、これ観るの?」
「うん」
「当日、母さんも来る?」
高校のクリスマス祝賀会の日が近づいて、珍しく隆人は奈津子に頼みごとをした。
もう観る事もないだろうと思っていたビデオテープ。それでも何故か捨ててしまえずにいた。
「めぐみちゃんのお母さんと弟さんに観せてあげたいんだ」
「あなたは・・大丈夫なの?」

あの日・・ビデオを探しながら奈津子は思い出す。
あの時は、ただ誇らしい気持ちで一杯だった。
「三博士役の方が歌は長いのよ。それに二人のシーンでも、やっぱりマリア様の方が目立つしね。
 そうそう、マリア役の女の子大人しい子でね、隆人がそれは一生懸命サポートしてるの、わが子ながら感心しちゃった」
見舞いに行くたびに自慢げに話す奈津子に、入院中の隆人の祖父はいつも静かに微笑んだ。
本番の日のビデオは業者が撮って、出来上がって手元に来るのは年を越す。
リハーサルの様子を撮る許可が出たので、その日奈津子は張り切ってビデオカメラを持って行ったのだった。
マリア役の子のお母さんが小さい弟をあやしながら廊下で不安げに立っていた。
声を掛けようかと思ったが、人付き合いの苦手なひとらしく、いつも赤ん坊を抱いて、隅の方にいる。
他のお母さんたちがちらちらと、奈津子とめぐみの母に目をやりながら通り過ぎる。
「そこには羨望が渦を巻いている」・・ちょっと大げさな気がしたが、何かの本の一節を思い出した。
嫉妬と羨望を受けて立つ自分の状況を思っても、自然と浮かんでくる微笑を隠せなかった。

明るい性格だった息子があれから無口になり、クリスマスの時期になるときまって傷がうずくと言い出した。
どうしてやればいいんだろう・・見守るしかないんだろうか。してやれることのなさに奈津子も何度も泣いた。
だから隆人があの中学を受験したいと言い出した時、かなり戸惑ったのだ。

「大丈夫だよ」
母の肩をポンと叩き、
「探し出してくれてありがとう」
ビデオテープを鞄に入れて、また以前出と同じ、30分遅い時刻に家を出た。



長い校長の話と神父様の祈り、聖書の話が続く。来賓の席には幼稚園の園長の姿も見えた。
隆人に促されて、母の奈津子が父兄席に着いた。OBである草太の家族も並んで座っている。
舞台袖で静弥は時計を確認する。もう来ないかと思った美由紀が講堂の入り口に現れた。
「大天使、来れなくて残念だったなぁ」草太が静弥に耳打ちする。
春香は朝のホームで「しっかりね」と隆人に告げ、自分の学校に行った。
静弥にも同じようにメールをくれた。
「生徒会長からの挨拶」・・アナウンスが入り 直行がステージに出る。

「えー・・どんな説明より、このビデオを観て貰うのが一番なんだけど・・
幼稚園の子どもたちが精一杯心込め、キリストの降誕劇を演じます」
直行は一息つき、ステージ脇にいる隆人と静弥、客席の静弥の母を見た。
「予定外なんだが・・少し説明 加えるな。
 マリア様役の女の子は 恥ずかしがり屋で練習中も泣いてばかりいたそうです。でも、支えてくれる仲間がいて、
 見守ってくれるお母さんがいて、だから、ここまでやり遂げたんだと・・・俺は思う」

「この年、残念なことに本番はできませんでした。だから今ここで・・」
直行の言葉に、波のようにざわめきが起こる。静かになるのを待って、直行は続けた。
「ごめん、悪い。上手く言えねぇや・・・もういいから映像出して」

電気が消え、古い映像がスクリーンに映し出された。
少女の歌声は澄み渡り、周囲を圧倒する。
多くの子ども達の中にはユーモラスな動きをする者もいるし、音程が外れた声も聞こえてくる。
悪気のないクスクス笑いも間に起きたけれど、会場全体が小さい者たちへの温かい気持ちで満たされた。
よくここまで覚えるものだと素直に感心する者、思い出の曲を口ずさむ者。
暗がりの中、静弥は母の姿を探す。

─御子の生まれし清きこの夜、みんなでお祝いいたしましょう
フィナーレで、映像の子ども達が歌いだすと、直行は、舞台袖に行った。
「ほら、来いよ」
直行は、静弥と隆人を両手で包むように後ろから腕を回すと、舞台中央まで連れ出した。
歓声が上がる。
「歌えるんだろ?」
二人の肩を抱いたまま、直行が静弥の耳元で囁く。
「おふくろさんに届けてやりな。ボーイソプラノの美声、後何年も持たないぞ」
この日の準備のために、生徒会室でビデオを編集しながら何度も皆で歌った。

ごくん、と唾を飲み込み、一歩進み出る。
ビデオの少女の声に、よく似た澄んだ声がぴたりと重なった。
頬を上気させた笑顔のめぐみが スクリーンに大写しになる。
しっかり手をつなぐ、小さなヨセフも笑顔だった。

拍手。

紅潮した頬で、静弥は舞台袖に戻る。
「やった、やった」
「最高!」
草太がふざけて小躍りし、直行がガッツポーズで叫ぶ。
手伝ってくれた他の生徒会役員たちも皆 笑顔で迎えてくれた。
明るくなった講堂の客席で、美幸が顔をくしゃくしゃにしながら微笑んでいた。

立ち止まり、振り向く。カーテンの陰でまだ舞台を見つめる隆人がいた。
直行が声を掛けようと一歩出る前に、静弥が隆人に駆け寄った。
「ありがとう、『たかとくん』」
隆人の両の手を握り、歌ったときと同じ澄んだ声で 静弥は言った。
「『たかとくん』、マリアさまはね・・」
「ん・・?」
静弥を見下ろす隆人の瞳が、一瞬不安そうに揺れる。
「マリアさまはね・・ヨセフさまが 大好きだったんだよ」
背伸びした静弥が 隆人の耳元に顔を近づけて小さな声で告げた。
一瞬隆人は顔を引いて、静弥を見つめる。
「めぐみはリハーサルのあの日、最期まで、本当に幸せだったんだよ、きっとね」
コトン・・講堂の舞台裏に乾いた音を立て、
隆人はそのまま崩折るようにして床に膝をついた。
両の手で顔を覆い、そのまま膝を抱え込むようにしてうずくまる。 
「泣いてるの?」
隆人に優しく問いかけながら、静弥は隆人の髪にそっと触れ
そのままふわりと抱きしめた。


「何か妬けますねぇ」
つん、と草太が直行を肘でつつき、
「ばーか」
直行がげんこつを草太の真上から落とす。



天使たちがの囁きが聞こえた気がして、直行は光射し込む天窓のステンドグラスを見上げた。
横断歩道の傍に供えられた花束には きっと穏やかな日差しが降りかかる。


Merry X'mas





 | HOME | 

Monthly

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
コメントOKです。
舞い上がって
喜びます。

FC2Ad

管理者ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。