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生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

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茉莉花の家 (さかなの目6)

第69回 Mistery Circle参加作品

もう書き切って終わったつもりだった千波とおとーさんの話ですが また出て来てしまいました。と言っても初めて読む方もいらっしゃるだろうと、少し「今までのお話」も書きこんでみました。(全部続けて読むと、若干設定が「?」なこともあるのは秘密です)。
いつから書いてるかって・・・?
確認したいキトクな方はこちらへ。
http://nazunashortstories.blog12.fc2.com/category22-1.html
http://nazunashortstories.blog12.fc2.com/category22-0.html



引きこまれる。

写真の束は、押し入れの奥の紙箱の中に 無造作に入れられていた。
一枚一枚並べてみると、どれも皆、寂れた場所や建物、その一部分などだ。写真の四角い枠の中、時計の針を止めて息を潜めているみたいだ。それでも目に映る以上の奥行きや広がりを感じるのはきっと、そこがただの「死んだ場所」とはどこか違うからだろう。中に入って目を凝らし耳をすませば、気づかなかった密やかな息遣いが聞こえてくるのかも知れない。
「引き込まれる」。その言葉だけは その写真を目にした瞬間千波の中に生まれて、間違いなくすとんと落ち着いたものだった。

「結局、ちっともお片付けになってないじゃない」
部屋のドアのところに立ったまま 笑いながらお母さんは言う。「お片付け」なんて子供に言うような言い回しは相変わらずだ。お母さんも身に覚えがあるのだろう。大掃除や片付け、なんて言いながら たまたま手にした懐かしいものに見入ってしまう。気づいた時は時間だけが吃驚するほど過ぎていて、結局その日は懐かしいものを見られたことに満足して、散らかしただけでみんな元に戻してしまうのだ。
でも、今回の千波の場合は少し違っていた。

「そんなところに残っていたなんてね」
そう言いながらお母さんも部屋に入って来て千波の横に座り、写真を一枚一枚手に取って見る。
「誰が撮ったの?」
「誰だと思った?」



「ここに行ってみたい。お母さん、どこだか解る?」
一番心惹かれたのは うっそうとした樹々の中の洋館の写真だ、壊れかけた鎧戸、丈高い草に覆われた蔦模様の門扉、それでも屋根の風見鶏はその日の風向きを示し、ステンドグラスの丸窓は木漏れ日を受けて輝いている。繁みをかき分けて進む小道の先は静かに光る海、そんな風景の連作だった。
千波が聞いた時、お母さんは「写真を撮ったお父さん自身」に場所を教えてもらえばいいと、拍子抜けするほど軽い調子で言った。
千波が中学を卒業するのと同時に二人は離婚している。その後のお母さんは随分と生き生きとして、趣味に仕事に忙しく過ごしている。それまでの中途半端な父親不在の日々がお母さんを苦しめていたことを千波はその時改めて気づかされたのだ。自分のために結論を先延ばしにさせたと、その頃は随分申し訳ない気持ちになった。二人が別れてからも、連絡も取れるし会うのを止められているわけではない。けれど、だんだんお父さんと疎遠になってしまっているのは確かだ。
千波にとって「優しいお父さん」は他の女性にも優しかった。会社の部下という女性が家に来て、夕食を共にした日のお母さんの固い表情と凝った手作りのメニュー、幼い千波でも感じた気まずさと緊張感は忘れることができない。結局お父さんはその女性のところに通うようになり、だんだん帰らない日が増えた。
あれから何年経ったんだろう。


一人で行く、と電話で言ったのに お父さんは駅で待っているようにと言って聞かなかった。
「女の子の一人旅なんて心配だし…千波、父さんが案内するよ」
「いいよ、心配ないよ。場所だけ教えてくれたらいい」
そう言ってもお父さんは も三十年近くも前の写真だから住所もはっきりしないし、色々変わっているかもしれないし…と ぐずぐず言い続けた。そして結局この人は自分で勝手に決めるのだ。
「一緒に行こう。うん、それがいい、そうだ、そうしよう」
「じゃ、行かない」
子供時代の拗ねた自分は卒業したつもりだった。けれど、相変わらずお父さんと喋ると 素直な言葉は出てこない。不貞腐れた言い方しかできない。勝手に離れて行って、寂しがらせて、「色々と悪かったな」で済ませてしまえるこの人の神経の太さには何度も呆れさせられている。メールも電話も大歓迎だと言って憚らない。手放した娘と久しぶりに会うのも怯まない、皮肉も拒否の言葉も全然聞こえていない。でも、お父さんにはもう、新しい「家族」がいる。

時計を見ると、約束した時間の少し前だ。お母さんだったら絶対に来ている時間だな、と思う。お父さんはきっと遅い。強引に待ち合わせを決めたくせに。

「とおるさんを待っているんですよね」
いきなり声を掛けられた。中学生くらいの女の子。あの人を「とおるさん」と呼ぶのを聞いて思い当たる。高校三年の夏、探し当てた先でお父さんが一緒に暮らしていたのは、若い部下でも派手な化粧の女性でもなく、地味な酒屋の女店主だった。まだ幼い姉妹を女手ひとつで育てている人だとお父さんは説明した。偉い女性だ、と。
「電話で話しているの、聞きました。一緒に旅行…ですか」
何かを決意してやって来たという、意気込みが見える。しっかりした子だと思う。いきなり近くまで訪ねて行った時、ちらとすれ違っただけなのに、一瞬こちらを真っすぐ見た、その目を覚えている。お父さんに甘えて、「おとうたん」と呼ぶ幼い妹に「『とおるさん』だよ」と訂正した。あの頃はこの子だってまだ小学生だったはずだ。
何と答えたらいいのか千波が迷っていると、後ろからお父さんの姿が見えた。
「おう、千波 待たせた…かな?」
まだ暑いのにジャケットに黒い細身のジーンズ。サングラスなんか掛けて、お洒落して来たのかと思えば足元は履き古したサンダルだ。千波の横にいるもう一人の姿を認め、笑顔が一瞬固まった。動揺しているのが解る。それでもさすがに気持ちの切り替えは早い。
「あれ、ナツじゃん。今日は部活じゃなかったっけ?」
ナツっていうのか、千波が名前を確認しながら少女を見直す。「ナツ」はお父さんの声を聞いて、いきなり弱気になったみたいに俯いている。お父さんはお父さんで、慌てて話を繋げてこの場の空気を軽くしようとする。この人はいつだってこういう人だ。
「なぁんだ、なんだ?あれれ、二人、仲良しになっちゃってるわけ?父さんの知らないうちに。いやぁ、参った、参った。千波 お姉さんだもんな」
何が 参った 参っただ、馬鹿みたい…千波は横を向き苦笑いする。ナツは生真面目に表情を崩さない。
「ナツも一緒に行くか?大歓迎、『おとうたん』企画のミステリーツアーだぞ」


何だか微妙な空気のまま、電車に乗り込む。最初のうちは車内もそこそこ混んでいたので、なるべく離れて立った。けれど、お父さんが買った切符の行先はずっと先で、駅ごとに乗客は降りていくばかりだ。席が空いたとしても自分だけ離れて座ろうと思っていると、お父さんが大げさに手を上げて呼ぶ。
「こっち、こっち、ほら千波、ナツ」
進行方向に向かって二席ずつ並んだ座席の1組を指して ナツと千波を座らせようとしている。あの子はどうするだろう、千波が振り返ると、勧められた席の窓側に迷う様子も無く座った。その横の千波の席を空けたまま通路を挟んで隣の空いた席にお父さんは腰を下ろす。
「ごめん、窓側、替わってもらっていいかな」
ナツに声を掛け、席を替わってもらった。外が見たいわけじゃない。二人の間に入りたくないだけだ。

よくこれだけ用意したと感心するほど、お父さんの鞄からはお菓子や飲み物が出てくる。何種類目かの飴玉が「千波の分もね」と言いながらナツに差し出された時 千波はとうとう口を挟んだ。
「もういいよ。そんなに次々食べられないし。ナツ…ちゃん、困ってる」
断りの言葉も言えず 次々と千波の分まで受け取るナツを見かねてのことだ。この二人の関係は未だにこんなだったのだろうか。こんなに気を遣い、遠慮しながらナツはこの人の入って来た家庭で暮らしているのだろうか。

「寝ないでよ、行先だって知らないんだから。降りる駅も解らないし」
お菓子を断られてちょっと拗ねた顔して黙り込んだお父さんが 目をつぶるのを気にして千波が声をかけた。
「ばーか。こんな楽しい旅行で寝るわけないじゃん。可愛い娘二人と一緒なんてさ。ああ、リクも来たかっただろうなぁ。誘ってやればよかったな。なぁ、ナツ」
聞こえないふりなのかナツは答えない。大きな声で通路を挟んで喋るのでお父さんの隣に座った若い女性は迷惑そうだ。さっきお父さんは飴を薦めて断られた。当たり前だ、千波は思う。

窓外の景色はだんだん田園風景だけになってくる。いくつかの長いトンネルも抜けた。心地よい揺れに案の定お父さんは小さな鼾をかいて眠り始めた。自分も眠ってしまおうか、このまま皆眠ってしまって終点まで起きないで、目的地にも行けないまま引き返してもいいや、そんな気持ちにもなった。
本当のところ隣のナツの緊張が伝わって眠れやしない。待ち合わせの場所にやって来てどうするつもりだったんだろう。何を考えて付いてきたんだろう。窓の外を見ているふりをして考えていた。

「やっぱり仲がいいんですね。」
ナツがぽそりと言う。
「待ち合わせの約束をしている電話の様子で、きっと相手は千波さんだと思いました」
そんなの解らない。新しい浮気相手かもしれないじゃない、あの人は相変わらずそういう人なんじゃないの?それとも幾分は落ち着いたのかな──少しだけ意地の悪い問いかけをしたくなる。そんな思いを振り切って そうだ、私はこの子より「お姉さん」なのだ、と思い直す。もちろんただの「年長者」という意味で。
「夏休みだし、ちょっと片付けものをしてたらね、押し入れの中からこの写真が出て来たわけ」
鞄からクリアファイルに纏めた写真をナツに見せた。受け取ってナツは一枚一枚黙って見つめている。
「あの人が若い頃写真が趣味だったってこともすっかり忘れてた。どうしてここにあるかとか誰が撮ったものかとか考えるより、いきなり、こう…『引き込まれる』って、そう感じた」
「『引き込まれる』…ですか」
ナツの横顔からは何の感情も読めない。ただ一心に写真を見つめている。
「廃墟とか、さびれた場所とか、そういうの、お好きなんですか?」
長い沈黙の後、ナツの口からやっと出た言葉がそれだ。
考えたこともない、どんな場所が好きだとか、心惹かれるとか。好きで、大好きで、居心地のいい自分の場所が壊れた時なら知っている。お父さんが居てお母さんが居る家族の場所。それはもちろんナツたちの母親とあの人が出会うよりずっと以前の話だ。彼女たちには何の罪もない。千波もちゃんと知っている。
「なんか、この写真見ていると とおるさんってどんな人なのかまた、解らなくなります」
置き去りにされたものや壊れていくものに優しい目を向ける、慈しむように丁寧に心を込めて残す、そんな写真。それを撮ったのがあの人だ。
「私も解らないよ」
「そうですか?凄く解りあっている親子って感じがします。絆ってすごいなぁって。私にはどうしようもないなって」
千波が返事をせず黙っていると また長い間をおいてナツが話し出した。きっとこういう話を自分としたくて来たんだろう。解決できないもやもやした感情を千波自身もずっと持て余してきたのだ。ちょうどこの子くらいの年齢の頃からだ。
「一緒に旅行の計画なんてたてて とおるさんを取り戻すつもりなんですかって。今更リクから、お母さんから、あの人を取り上げないでって…言おうと思っていたんです」
そうか、そうだよな。この子はこの子で自分の家族を守ろうとしているのだ。
「リクちゃんはあの人に懐いてる?『おとうたん』って相変わらず?」
「大好きですよ、妹は。出会ったのがまだ小さかったし」
それは、自分だけがどうしても馴染めない、打ち解けられないっていうことも言っているのだろう、千波は思う。
一体どんな形なら家族全員が幸せになれるのだろう。お父さんはちゃんと考えているのだろうか。せめてこの家族のことだけでも。

「ああ、よく寝た。おお、千波、ここどこだ」
いつの間にか窓側の席の女性はいなくなっている。足を投げ出して寝ているお父さんの前を抜けて、席を立つのは大変だっただろう。気が付かなかったのは千波も少し眠ってしまっていたからだ。浅い眠りの中でお母さんやお父さんやナツやリク、ナツとリクの母親の由美子さん、隣の家の達也まで出て来て 凄く普通に喋ったり笑ったりしている夢を見ていた。そんなことはありえないのに…。まだぼんやりした頭で千波は考える。

うっかり乗り過ごすことも無くちゃんと降り、ローカル線に乗り換えた。お父さんは張り切って停車中に、走って出て駅弁を三個買ってきた。乗客もまばらな電車内でお弁当を広げる。
延々続く田園風景。離れて建った家々。ところどころにこんもりとしたお宮の森が見える。その先の遠く、一列に並んだ樹々の隙間からきらりと光るものが見えてきた。海だ。


「降りるぞ」
お父さんの掛け声にナツは手際良くゴミや荷物を纏めている。千波ものろのろと立ち上がった。
「いいところだろ。なっ」
「うん…まあ、そうだね」
物寂しい田舎の風景を見に来たはずなのに、駅前は小ぢんまりとはしているもののそれなりに観光地の駅らしい雰囲気だ。レンタサイクル屋に小さなコンビニ風の店、ペンキ塗りたてのような白い交番の前、お年寄りがベンチでおしゃべりしている。古民家はハンドメイドの店やカフェになっていて 若いカップルが店内でくつろいでいるのが窺えた。
「何か、変わったなぁ」
お父さんも口をぽかんと開けたまま右左を見回している。
「ここから 遠い?歩くの?」
千波が聞くと、
「いや…うーん…そうだな、そうそう、バスだ、路線バス」
今思い出したように言う。
行ったことがあるとはいえ、随分昔のことだ。駅周辺の変化だって当たり前かもない。地図や経路の再確認とか、せめて今その場所がまだ同じにあるのかとかすら 調べても来なかったようだ。
「だってさ、俺にとってもミステリーツアーにしておきたかったし。却って面白いじゃん、結果がタイムトリップみたいじゃなくたってさ」
ああ言えばこう言う。反省なんてしない。言い訳の達者さは相変わらずだ。

──正確に言えば二十七年前だぞ、二十七年。だって父さんは今の千波と一緒の大学生で、母さん…ああ、千波の母さんな、その、母さんも大学生で。
そこまで言って ナツの表情をちらりと確認する。気にするくらいなら話題にしなきゃいいのに。
お父さんの強引な勧誘でそのサークルに入ったとは以前にお母さんから聞いた。
「誘っておいて、出てくるのはイベントとか旅行の当日だけだし、勝手にカメラ持って別行動するし、ほんと、迷惑な人だと思った」とお母さんは言っていた。
何でそんな人と恋愛して結婚したの?という千波の質問には「なんでだったかなかなぁ」と 笑ってとぼけられたけれども。


だんだんと細くなる田舎道をバスは走り続けている。あれだけ騒がしかったお父さんが無口になっている。お母さんと付き合っていた頃のことを思い出しているのだろうか、それとも期待通りの風景を千波たちに見せられるかどうか 密かに気にしているからだろうか。
確かここだ、降りた場所は目の前にただ田畑が広がっていた。離れて建った家々は、それぞれの庭先に洗濯ものが揺れている。軽トラックの出入りが見えたり、小さい子供用の三輪車が置かれたりしていて穏やかだけれど確かな生活が営まれている、そんな村の風景だった。
「いいところですね」
「だろ?ナツも気に入ると思ったんだ」
景色に見とれているふりをしながらお父さんは考えている。記憶とどこか違うのか、戸惑っているのが解る。
「で?」
「まあ千波 急かすな、そうそう…こっちだ」

海の近くのはずなのに、まだ海は見えない。確か電車の窓から見えた感じでは 降りた駅の方が海に近かった気がする。
「海の近くじゃなかったっけ?」
千波が問うと、
「ああ、そう、そうなんだ。千波はよく知ってるなぁ。うん、でも、まだちょっと遠い…かな」
何とも頼りない。それでも、方向を定めてお父さんは歩き出す。ぽつりぽつりとあった民家も遠くなる。千波とその少し斜め後ろをナツが付いて行く。
「コンパとかテニスとかボーリング大会とか色々、ちゃらちゃら遊ぶ、大学によくあるサークルだったけどな、たまに行く旅行の行先だけは少し変わってたんだ。過疎の村とか田舎によくある「ナントカ銀座」めぐりとか「ナントカ富士」捜しとか。誰の趣味だったのかな」
歩きながらお父さんが思い出話を始める。千波は今までにも聞いたことのある話だ。
「あの頃の母さん、可愛かったぞ」
「そんな話はいいよ」
自分のことを気にしての千波の言葉だと思ってか、
「私、聞きたいです。とおるさんの…若い頃の話」
ナツが珍しく大きな声で口を挟んだ。一瞬の沈黙。二人に振り返られてナツの耳のあたりが赤くなり語尾が少しずつ小さくなった。
サクサクサク。舗装された道が細くなりやがて無くなった。歩くと草を踏む音が聞こえる。世界の中で自分たちだけが動いているような感じだ。沈黙に耐えられないのか、話が途切れるとお父さんは鼻歌を歌う。昭和の歌謡曲とかフォークソングの類だ。ナツは特に質問も挟まず、かと言って先を促すこともせず、お父さんのとりとめのないサークルの思い出話を聞いている。話はオチがないままでなんとなく終わったり、どこが面白いのか解らないのにお父さん一人で笑ったり、途中で続きが本人にも解らなくなって途切れたり、いい加減この上ない。ナツにとって面白い話なのかをお父さんでも少しは気にしているのだろうか。まさかね、そんな気遣いのできる人じゃない。

「あの写真の場所は、たまたまオレが見つけたんだけどさ。一人で勝手に遠くに来すぎて迷子になっちゃったんだな」
「サークルみんなで来たとかじゃないの?」
「さっきの駅から反対側に行った、海の近くの民宿に泊まってたんだ。一人でふらっと出て 海沿いに歩いてさ、ここまで来て、たまたま見つけた」
「迷子なんて…大学生のくせに。じゃあ海沿いに戻れば帰れたんじゃないの」
「それがさ、そうでもなかったんだな。戻ろうとしたのに気づいたら海からも離れてたし。当時ってケータイ無いじゃん?ああ、どうしよう、困ったなと思った時 探しに来てくれた母さんの姿が見えた。」
いやあ、女神様に見えたなぁ…この調子でお父さんの話は続くのだろうか、と思った時
「あっれぇ」
お父さんが素っ頓狂な声を出し立ち止まった。
「ここ、ですか?」
ナツもきょとんとした顔のまま立ち止まる。「少し感じが違いますね」

鬱蒼とした樹々の中の写真以上に朽ちた洋館、それとも、もう跡形もない、そんなことも想像していた。新しい家が建っているとか、周辺一帯がどこにでもあるような住宅地に様変わりしているということだって考えられた。けれど目の前の景色は想像のどれとも違っていた。

「WELCOME ようこそ ふれあいサロン茉莉花へ」
掲げられた手作りの木彫りの看板、門から敷地内はすっきりと整えられ、手作りの花壇、寄せ植え、ガーデニング雑貨で飾られている。よく見ると建物自体の造りは写真と同じだ。明らかに違うのはあの空気感だ。
玄関までのレンガ道に沿って沢山の白い小さな蕾をつけた鉢がいくつも並んでいる。風に乗ってふわりと花の香がした。
「あ、いい香り」
千波が言うとお父さんは嬉しそうに屋敷の方に鼻をひくひくさせる。
「おお、コーヒとクッキーだな」
ナツは花の傍まで寄り、開いた花に顔を寄せた。
「ジャスミンですね。マツリカの花。夜になったらもっと沢山開いて香りも強くなります」

「『WELCOME』ってんだから、歓迎されてんだよ。中入ってみよう。「サロン」って店か何かかな」
さっきまで口をあんぐり開けていたくせに お父さんはもうドアまで進み、ノブに手を掛けて中をのぞいている。
「あら、珍しい。若いお客様」

人影に気が付いたのか中からドアを半分開けて 白髪の女の人が顔を出した。お父さんが招かれるままに中に入る。目の前に左右に分かれた大きな階段、赤い絨毯。白い花をモチーフにした窓のステンドグラスはあの写真と同じだ。通されたリビングでは、黒光りする大きなテーブルを囲んで数人のお年寄りがお茶を飲みながら折り紙や手芸を楽しんでいる。洋館にふさわしい雰囲気の先ほどの老婦人とは違い、ごくごく普通のお年寄りたちだ。所狭しと飾ってある手芸作品もちりめん細工や木彫り人形、着物の生地で作った袋物、焼き物の湯飲み、折り紙やチラシを利用した小物入れなどで 洋館の内装に合っているとは言い難い。老婦人がお茶を運んできて 窓際の小さなテーブルに三人を呼んだ。大きなテーブルから絶え間ないおしゃべりの声とひときわ大きな笑い声が聞こえる。
「賑やかでしょう?皆地域の方たちなの。今日は沢山来てくださって」
地域のお年寄りの集会所、「ふれあいサロン」として 自宅を開放していると老婦人は説明し、柔らかな笑顔で付け足した。
──たまたま通りがかった人にも気軽に休憩所として使って貰っているの。お客様は大歓迎なのよ、今日みたいに、ね。
はあ、はあ、そうなんですか、それは素敵ですね…あいまいな相槌を打ちながらお父さんは片手で鞄の中を探っている。古い写真投稿誌を持って来ているのは知っていた。その投稿誌に月間賞作品としてあの写真が掲載されていることも千波は聞いている。お父さんのことだ、すぐに自慢げに言い出すのかと思ったがそうではなかった。

三人のちぐはぐな服装や荷物をちらりと見て老婦人は穏やかに笑いながら言う。
「遠くから来られたの?旅行、っていう感じでもないわね」
三人の関係を問われたら何て言えばいいのだろう。微かな不安を感じながら千波は壁に飾られた幾つもの写真を見ていた。
「素敵なお住まいですね。」
落ち着いた声で切り出したのは意外なことにナツだ。
「洋館はお好き?中をご案内しましょうか?」
はい、はい、ぜひ…鞄からカメラを出してさっさと立ち上がろうとするお父さんをナツが小声で「とおるさん」とたしなめた。

千波の視線が家族写真らしい一枚に向けられたままなのに気づき、老婦人が写真立てに入ったものをテーブルまで持ってきてくれた。
「この小さな女の子がわたし」
黒髪のおかっぱの小さな女の子が難しい顔をして立っている。そのそばの大きな肘掛け椅子に西洋人の紳士が座り、女の子の傍らにやはり西洋人の女性がこちらを見て微笑んでいた。
「養女だったの。優しいお父様、お母様。でも、ちっとも打ち解けることができなくてね。」
隣に座ったナツの身体がほんの少しだけれど固くなるのが千波に伝わった。
「打ち解けないまま、私は遠方の学校を選んでここを出たの。あなたくらいの歳から。」
老婦人はナツの方を見て言う。
「二人には、亡くなるまで寂しい思いをさせたままになってしまったわ。結局私、甘えていたのね、この人達の優しさに」
また大きなテーブルの方からひときわ大きな笑い声が響いた。中心には人慣れした猫がいる。三人が黙り込んでいるのに気が付いて 老婦人は少し慌てた様子で明るい声を出した。
「ごめんなさいね。歳をとると、つまらない昔話をしたがるもので。」
「いえ…でも、あなたはここに戻ってこられたんですね」
ナツが老婦人に対し「あなた」という言葉が言いにくそうなのを気遣って
「茉莉、皆さんには『マリー』って呼んでもらっています。父と母がそう呼んだから」
漢字ではこう書くの、マリーさんはテーブルに指で『茉莉』と書いて見せた.
「ジャスミン、マツリカの茉莉ですね?」
「よくご存じなのね。庭の鉢植え、お気づきになった?もともとは父と母が私の名前にちなんで庭に植えたの。そしてあれもね」
指さされたのはあのステンドグラスだ。家の中から見ると中心の茉莉花の白い花と周囲の赤や緑の硝子が光を通して一層美しい。

お父さんの手が 話の間ずっと鞄の中の雑誌に触れていて、出そうとしたりひっこめたりを繰り返しているのが千波の席からは見える。
「その写真誌、私も持っていますよ」
マリーさんがお父さんの方に向き直って言った。お父さんの手元に気づいていたのだろう。
「驚いたわ。私の家が写っているんだもの。雑草と蔦、破れかけたガラス窓。打ち捨てられた姿で、それは寂しげで。私、泣けて仕方なかった。」
同じ一枚の写真でも被写体の中に取り返せない思い出と そこにはもう居ない誰かを想う人がいる。白い花に、ステンドグラスに、大切な想いが込められている、千波は自分があんなにも「引き込まれた」理由が解ったような気がした。

「ずっと戻らないうちに荒れ果てていたわ。肝試しに使われたり落書きされたり泥棒にあっていたり…。」
「そっ、それって勝手に撮られた写真が雑誌に載ったから…ですか?」
明らかに焦っている。お父さんの顔が珍しく引きつった。
「その前から荒れて廃屋みたいになっていたのでしょ?その人はたまたま見つけただけで」
お父さんの顔を真っすぐ見るマリーさんはちゃんと解っている。そしてにこやかに付け加えた。
「いい写真ね。写真のお陰で改めて解ったの。この家がどんなに素晴らしいか。どんなに大切か」
叱られた時みたいに縮こまっていたお父さんは、許された子供みたいにほっとした表情を隠さない。解りやすい人だ。
「大事な場所を手放したままにしたことを悔やんだわ。だけどね、よく見ると庭の花が、茉莉花が写っていて、生きているのが解ったの。寒さに弱い花なのに。戻ろう。戻って人の集まる温かい場所にしよう、身寄りのない私を引き取って幸せにしたかった、両親のその気持ちを今度は私が誰かに届けよう…」
だから、と言ってマリーさんは少し間を置き、お父さんにもう一度向き直って、明るい表情を見せた。
「写真を撮ってくれてありがとう。って、ずっとあなたに言いたかったのよ、『とおるさん』」


帰りのバスと電車ではお父さんは疲れたのかずっと眠りこけていた。様変わりはしていたけれどちゃんと屋敷はあったこと、思ってもみなかったけれど自分の写真がきっかけとなり家が活気を取り戻したことに とても満足した様子だ。歩きながらずっと鼻歌まじりで、「良かった、良かった。」を繰り返していた。迷子にもならず、娘たちを無事に連れて行けたことに安心したのもあるだろう。

座席はたくさん空いていたが、ナツが窓際に座り、隣の席を千波に、通路を挟んで隣をお父さんに薦めた。うとうとと船をこぎ始めているお父さんに声を掛け、ナツは鞄を貸してほしいと言った。眠そうな目のお父さんが「何?」と聞きながら千波越しに鞄を渡す。
「雑誌見たいです。今日撮った画像も。あと、お菓子もらいます」
「いいよ、好きにして。ナツになら何だってあげちゃうよぉ」
眠いと更に調子よくいい加減なことを言うのだ。知らない人が見たらほとんど酔っ払いだ。
鞄を受け取るとナツは膝の上に一個ずつ確認しながらお菓子を出して並べた。場所が足りなくて、千波の膝も使う。
「よくこんなにたくさん持ってきましたね」
「まるで遠足のこどもだね…ああ、遠足のおやつならこんなに買えないか」
ナツが頷きながら微笑む。千波も笑う。

別れ際、マリーさんは、「お願いが一つだけあるの」とお父さんに言った。「幸せな家」の写真を撮って欲しいの。
カメラを鞄にしまい込んだまま、お父さんは一枚も写真を撮っていなかったのだ。ステンドグラス、茉莉花の花を入れることはもちろん、ご婦人たちのはじけるような笑顔に向けてお父さんはシャッターを切る。屋敷の前でマリーさんに促されるままセルフタイマーで撮った写真には、お父さんと千波とナツも写っている。

千波が手を延ばし、例の投稿誌を取ってページを探す。確か、賞を取ったあの写真には若い作者の名前と短いコメントが添えられていたはずだ。
「結果オーライってやつかな」
「そうですね」
ナツが声をたてて笑った。

まだまだ夏だと思っていたのに窓外の景色はどこか季節の終わりを感じさせ、太陽の光には僅かに秋の角度がついている。千波たちの住む町に列車が近づくより早く、夕焼け色に染まった空にだんだん藍が広がっている。間もなく優しい夜がやって来る。
ナツが静かな寝息をたてはじめた。傾いたナツの頭が千波の肩にこつんこつんと当たる。顔にかかった黒い艶やかなナツの髪を、千波は指先でそっと直してやる。
ジャスミンの香りがふわりとしたような気がした。
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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

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喜びます。

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