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生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

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さよなら さくら

 父と「琵琶湖ぐるっと桜名所めぐり」に行ったのは4月13日でした。旺太郎くんの残念なツアーはそのまんま その時のお話です。「悲劇」とまではいきませんがね。


第72回 Mistery Circleお題
●彼の悲劇が避けがたいものであったことを彼女は悟った。 で始まり
●彼女は不意をうたれたように目を大きくひらき、足をとめた。 で終わる こと。

お題出典:「 シリウス 」 早川書房 著:オラフ・ステープルドン 訳:中村能三
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旺太郎の悲劇は避けがたい、と決まっていたのかもしれない。

 従妹から借りた軽自動車を緊張した面持ちで運転しながらも、旺太郎は時々ミラー越しにちらりと後ろを見ては口元が綻ぶのを隠せない。大学受験がやっと落ち着いたと同時に旺太郎は最短で免許を取った。この日のためのその涙ぐましい努力の日々を私は知っている。
「告白するの?」
身を乗り出して聞いた私に 十八歳男子にしては小さい身体を更に小さくして旺太郎は首を横に振ったのだ。
「いいの?」
「いいんだ、大学生になってからも時間はあるし」
「大学生になったらって……きっと周りはライバルだらけになるよ。彩音はもっともっと素敵になるだろうし」
「俺だってこのままじゃないし。四年間で背が伸びてイケメンになる……予定だし」
彩音の志望した大学に共に合格したものの、彩音は入学より別の道を選んでしまった。「背が伸びてイケメンに」なる野望も達成できる気がしなかったが、その痛々さに私はため息しか出ない。このドライブを最後に 彩音は明日東京に旅立って行く。
折角だから彩音を助手席に座らせようという気遣いをよそに、旺太郎はお願いだから二人で後ろに座ってくれと言う。緊張しすぎて事故でも起こしたら大変だから。未来の人気女優、佐倉彩音の将来を心から応援する者としては こんな時間を頂けるだけでまたとない幸いなのだから。


「お、桜だ、桜。見ろ、見ろ、千紘、佐倉。ほら、あっちにも」
「うん、綺麗だね、本当に」
一応名前を呼ばれたので私が面倒くさげに頷くと、彩音は道路沿いの風景の中に花を探して首を巡らせ、見つけた山桜に目を細めて律儀に返事する。開けた窓から入る風は心地良い。シャンプーの香りをふわりとさせて彩音の艶かな髪が揺れる。薄桃色の柔らかそうな唇、白いすべらかな肌、黒目がちな目、すらりと伸びた手足。整った横顔を眺めながら 本当にこの子は綺麗だな、と思う。奇跡の造形美。

今年の桜は異例の早咲きで、その分散るのも早かった。ソメイヨシノはもう散って葉っぱだけだ。
そんなことは最初から解っていたはずなのに、今にも降り出しそうな曇天の今日「旺太郎セレクト地域の花見名所ぐるっと巡りツアー」を決行したのは 多忙な彩音を思って早くからこの日に決めてしまったからだ。
「日程が無理なら行先だけでも変更しないの?桜、全然ないかもよ」
そんなことを私が言ったら 旺太郎は悩むばかりだ。彩音のために一生懸命考えたコースだったみたいだし、予定が変更となってこのドライブ自体が無くなってしまう方が旺太郎には痛手だろう。
「大丈夫よ、遅咲きの桜だってあるし、それより私、二人とドライブっていうだけでずっと楽しみにしていたんだもの」
彩音が屈託のない様子で微笑みながら言う。「二人と」のところで旺太郎の目はきらきらと輝いた。もちろん慌てて向こうを向いた旺太郎の頬から耳の辺りがほんのり赤くなったのも私は見逃しはしない。

 佐倉彩音は高校入学式当日から学校中の噂になるほどの美少女だ。他のクラス、上の学年からもわざわざ彼女を見に来る生徒が後を絶たず、今までに何度もスカウトに声を掛けられたとか、街に出れば必ず雑誌のスナップに載るとか、一度に何人もから告白されて断ったことがあるとか 出所不明の伝説は数知れない。最初こそ傍に群がってきた男子も互いに牽制し合ってだんだん近づきがたくなり、女子の中でもどのグループに属す間もなく、どこか一線を引かれた風になってしまっていた。そのうち「伝説」の出所なんて本人しか有り得ないと女子の誰かが言い出し、次第に裏の顔があるとか実は性格が悪いとか陰で言う者も増え、ぽつんと一人でいる姿を見ることが多くなっていった。そんな立場の彩音と仲良くなるのは私にとっては当然の成り行きだ。女子のそういう感覚が私は小さい頃から気持ち悪くて仕方ないのだ。遠巻きに見て「抜け駆けは許さない」とかいっている男子共も同様だ。幼馴染で私の「弟分」の旺太郎を仲間に引きずり込んだのもそういう意味では自然な流れでもあった。

「引っ越し準備とか、本当は忙しかったんじゃないの?ありがとね、今日は付き合ってくれて」
私が言うと 彩音は車窓の方を向いたまま、ううん、と首を横に振った。
「私ね、ずっと思ってた。今日こんな風に二人と一緒に過ごしたらもう、」
簡単には会えなくなるんだね、きっとこれからは……彩音の言葉に続けて言いかけると
「離れたくないって、決心が揺らいでしまうかもしれないって」
そんなに大事な関係に思ってもらえていたのか、と少し驚く。自分たちと彩音の繋がりは三年を経てもまだまだ浅いように感じていた。告白さえしていないものの、旺太郎の一途な好意はもちろん感じてくれていたとは思う。男子が苦手と言いつつも旺太郎のことだけは拒否することもなくいつも笑顔で傍にいた彩音。男として意識さえされていないのだ、と他の男子からはやっかみ半分で見られていた旺太郎。
「大学に合格できたのもちゃんと卒業できたのも 千紘と旺太郎くんのノートと個人授業のおかげだよ。有難う。」
「俺?いやいや俺なんて そんな……」
運転席の旺太郎が声を詰まらせる。涙もろくてすぐ感動するのが旺太郎らしい。
「千紘の字が酷すぎるからさ、俺は清書しただけだから」
「千紘の字……確かにね」
彩音がくすくすと笑う。なんて素敵な笑い方なんだろう、いつものことながら彩音の笑顔の横顔をほれぼれと見つめる。

 何事も大雑把な私の字が、自分にしか読めないレベルで酷いことは自覚している。旺太郎は長年の慣れで解読できるため、ノートを貸して彩音を助けたいと言った時「清書」を自ら申し出た。理系で授業内容の異なる旺太郎にとって、内容を理解してノートを作る作業は新たな勉強でもあっただろう。
ピアノやバレエ、ダンスのレッスンに通っていた彩音が 授業中によく居眠りしていたことに気づいたのは何故かクラスの違う旺太郎が先だった。彩音もスカウトの内容に興味を示したこともあったそうだが、親は全く認めなかった。それらのレッスンについては「学校を休まないこと」「大学受験をすること(もちろん合格すること)」を条件に、「趣味として」続けることを許してもらっていたことは後から知った。
「あたしの部活よりよっぽどハードだし。よく続くよ。尊敬に値する」
帰宅部の旺太郎に、私がそんなふうに言うと旺太郎は何度も肯きながら激しく同意した。

「元は引っ込み思案な私の性格を思っての親が薦めた習い事だった。でも私はそっちばかりを自分の世界にして 学校での友達作りを諦めてきた。線を引いていたのは自分の方だって、解っていたの」
属する「グループ」にこだわらず彼女に近づいた私と仲良くなってから 彩音は明るい笑顔を見せるようになった。その変化も、旺太郎はしっかり見ていた。
「佐倉だけのせいじゃないよ。女子の『グループ』って やたら怖いもんな」
いつも彩音を庇う旺太郎の言葉の優しさにまた、なかなか叶うことの無さそうな彼の想いを感じて言葉に詰まる。いつもだったら からかったりしながらも 旺太郎の良さをアピールして片思いの恋心を後押ししてみたりするのだが、今日は黙ったまま 外を見た。彩音の手が そっと腕に触れる。寂しい想いは同じなのだろうな、もう一方の手を彩音の白い手に重ねた。

 最初に車を降りたのは 小さな湖のほとりだ。遠くに線路が見えるけれど電車が走るのを見るのはラッキーと言っていい。玩具みたいな小さな電車。咲き始めの菜の花が道の脇にちらほらと見えるだけの 特に何という場所でもない。釣りの客も来ないのか閑散とした湖畔には ペンキの色褪せたボートが数隻浮かんでいるが 傍の小屋にも係りの人が居る気配もない。休館日の札の掛かった小ぢんまりした建物は湖と地域の自然や歴史を扱った写真パネルなどを並べた資料館であるらしい。
ここに連れてきて 彩音に何を見せたかったのかは解っていたが 残念すぎてもう、言葉が出ない。
「えっと……小学校の遠足で、来たことあったかな」
ため息交じりに言葉を探すと、先を歩きながら彩音は 
「静かでいいところね。緑が綺麗」
 両手を大きく広げ、首を伸ばして深く息を吸い込むようにする。高校入学と同時にこの土地に引っ越ししてきた彩音にとってはこんな地元感満載の地味な場所も目新しいのかもしれない。
「地域の花見の定番なんだ。あそこからここまで真っピンクに染まる」
旺太郎が手を伸ばして走りながら教えるけれど そこには花はもうほとんど無い。
「満開の時期には、ね」私は小声でつけ足した。

 旺太郎が彩音に一目惚れした瞬間を、私は知っている。入学式の日、桜の花びらが降るよう風に舞っていたその中に彩音が居た。隣を歩いていた旺太郎が急に立ち止まり、固まったように動かない。あの時の旺太郎の顔は忘れようったって忘れられない。制服のブレザーとネクタイが全然似合ってない、まだまだ幼さを残したままの旺太郎。その旺太郎がかつて一度も見たことのない真剣なまなざしでその女の子を見つめている。まるで知らない男の子のようだった。旺太郎はその日一日ずっと無口で、話しかけても上の空のまま、目は彩音の姿を追っていた。彩音は私と同じクラスに、旺太郎は隣のクラスになった。旺太郎が何かと理由をつけてうちのクラスに来たことは言うまでもない。

「千紘、最初は男子だと思われてたんだっけな」
桜の時期にはいつも思い出すことがある。話しかけてもよそよそしい彩音にいい加減いらついたこと、それでも意地になって余計に声を掛け続けたこと。体育の創作ダンスのグループ分けで、「一緒に組もう」と誘ったことで、私が「女子」だと気づいた時の彩音の驚いた顔。自分の勘違いが可笑しくて笑い出した時の弾けるような笑い声。初めて一緒に笑った日。
「ガサツだからなぁ、お前は」
「制服着ずにジャージばかり着てたからでしょ。男子と混ざって喋っていることも多かったし」
「女らしさとか皆無だからな。佐倉とは違って」
「いちいち うるさい。ちゃんと前見て運転しろ、旺太郎」
私が文句を言うと旺太郎は話を逸らす。言い負かされるのが解っているからだ。
「次の目的地は桜並木の『花のトンネル』。あそこは遅咲きの桜なんだ」
「この様子じゃ遅咲きって言っても、もう終わってるよ。きっと」
「湖畔に広がる景色もいいんだ。秋の紅葉も綺麗で観光バスもたくさん来る」
「秋の話なんかしてもさ」
「遅咲きの桜なら、八重桜もある。八重桜ならちょうど見ごろかも」
「あの桜餅みたいなやつね。あれ、いっぱい咲いてると胸やけしそうになる」
「食う訳じゃないし。千紘には風情というものが解らないからなぁ。ほら、花が散った後こそ、花の美しさを想う……とかさ、そういうのも……」
ガラにもなく長く喋るので 旺太郎は舌がもつれそうだ。声もだんだん小さくなる。
「ま、遠足でも花よりお弁当だったのはあんたも一緒じゃん」
旺太郎と私の応酬を彩音はいつも楽しそうに聞いていた。
「羨ましいな。二人は本当に仲がいいよね」
まぶしそうな目をしてそう言う彩音を見ると、慌ててしまう。彩音を含めて楽しい雰囲気を作っているつもりが 彩音に疎外感を感じさせてしまっているのかもしれない。旺太郎と私が仲良しなんてそんなことは全くどうでもいい。少しでも旺太郎を彩音が見て、旺太郎の良さを解ってくれたらと思う。どこが良いかと言われたら難しいけれどもね。
「幼馴染の男の子、私にもいたら良かったのにな」
人付き合いが苦手な彩音は中でも男子がダメらしい。今までずっと男子と気軽に喋れたことがないと聞く。
「旺太郎なんか いつでも差し出すよ。どうにでも使って」
そもそも私のものでも無いのについそんな言い方をして また反省するのだ。

「花のトンネル、残念っ」
どこまでも「緑のトンネル」を車を降りて通り抜けてみる。「花も無いんだし、次に行こう」と言う私に、それでも彩音が少し歩きたいと言ったからだ。見上げても葉の間からは曇った空の鈍い色しか覗いていない。
真ん中に彩音を挟んで歩いていると 彩音が両手を伸ばして二人の腕に手を掛けた。
「球技大会の時 本当に嬉しかったな。こんな風に二人の間で支えられて」
「無茶するんだもんな、佐倉。いやぁ、あの時の千紘はマジ『オトコマエ』だった」
馬鹿、私を持ち上げる話してどうすんだよ、と旺太郎を睨んだ。旺太郎は全然気にしない様子で思い出に浸っている。二年の冬の球技大会の日、彩音は熱が高いのに競技に参加していた。「佐倉が辛そうだ」と先に気づいて私に言ったのはやはり旺太郎だった。慌てて見に行くとチームのメンバーは労わるどころか面白がってふらふらする彩音にボールを回しているようにさえ見える。
「お姫様抱っこでもするいい機会だったのにね」
コートで倒れた彩音の傍に一番に駆け寄ったのはもちろん旺太郎だ。なのに旺太郎はおろおろと彩音に声を掛けるだけで、私が来るのを待っている。球技大会など最初からサボるつもりだったメンバーがいたせいで彩音が抜けたらチームの人数が足りないらしい。
「そんなこと 知るか。この子、熱あるじゃない」
「旺太郎、さっさと そっちも支えて」と声を荒げ、それでも不満げなメンバーに「私が代わりに出てやるから 試合中断して待ってろ」と怒りのあまり震えながら言った。ついさっきまで別の競技に出ていて まだ汗も引いてなかったのだけれど。

 旺太郎企画の最後の予定地は比較的大きな公園だ。戦国武将のゆかりの地とかで大河ドラマ景気に沸いた時もあったが、今はすっかり落ち着いている。もちろん目当ての「桜で覆われる」石垣や城跡の階段も花の一欠片も見当たらなかった。雲行きも怪しい。「だめだね、ここも」私が言いかけた時
「あっ、見て 千紘」
彩音の指さす方向を見ると 公園の遠い片隅にピンクの塊が見える。一瞬息をのんだ。旺太郎も声を上げる。
「枝垂桜だ。すっげぇ」
曇天をバックに、そこだけくっきりと華やかに際立つ花が咲いた樹があった。大きな木とは言えないが、重たそうにしだれた枝に、濃いピンク色の花を満開に咲かせている。そこだけ季節が違うみたいだ。彩音が走り出した。
先にたどり着いた彩音が桜の前でくるりと振り向く。追いかける旺太郎の足が急に立ち止まったせいで 背中にぶつかった。旺太郎がよろける。
「馬鹿、そんな大げさによろけないでよ」
背中を叩くが反応が鈍い。まさか、と思って顔を覗き込むと 旺太郎の目は見開かれ、僅かに潤んでいた。肩が震えている。
「ほらほら、何してるの。行くよ」
旺太郎の背中を押して彩音のところに行くように促す。
「そうだ、写真撮ろう。二人並びなよ」
私が言うと、撮ってやる、撮ってやる、とまた旺太郎はカメラマンに徹しようとした。渋る旺太郎に彩音とのツーショットを撮ってやり、三人の記念写真も撮った。バックに桜をちゃんと入れ、旺太郎が苦労してせっかくフレームに収めるものの、誰かの顔が変だったり切れていたり、手ブレしてたり、喋っているうちに足元を続けて何枚も撮ってしまったりして、なかなかいい写真が撮れない。それでもここに来てからというもの私たちのテンションは上がりっぱなしで、どんなささいなことでも可笑しくて、お腹を抱え、涙まで流して笑い続けていた。私たちはずっとこんな風に笑いたかったんだ。最後の場所で迎えてくれた奇跡のような枝垂桜が本当に有難かった。

「ラスト一枚な」
時計を気にしながら旺太郎は言う。明日早朝に出発する彩音のこと思って帰る時間も決めているらしい。
桜の下の私と彩音を撮ってくれた後、近づいてきた旺太郎に両手を伸ばした。
彩音がそっと旺太郎の手を握ると、旺太郎は見るからにうろたえて 固まってしまった。
「今日は 有難う。絶対忘れないね、旺太郎くん」
この至福の時間の中に旺太郎に少しでも長く居させてやりたい。桜を別の角度からも眺めるふりをして、少しずつ二人から離れる。手を握り返すこともできないまま 照れながら旺太郎は これからの彩音を応援すると約束の言葉を口にする。離れていても旺太郎の緊張しつつも幸せそうな様子が伝わってきた。

 離れたベンチに座って待っていると、程なく手を振りながら彩音が私の方に駆けて来て ベンチの前で立ち止まった。
「千紘、有難う。ずっと一緒にいてくれて、本当に嬉しかった」
「私もね。これからも頑張ってね。応援してる」
彩音の唇が震え、伏せた目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。こんな彩音を見るのは初めてだった。
「私、私ね……」
座った私の両肩に手を掛けて、潤んだ目が真っすぐに私を見つめた。彩音の髪がさらさらと私の頬の周りで風に揺れた。


 佐倉彩音の名前を雑誌やテレビで見つけるのを、私と旺太郎はいつも楽しみにしている。彩音とのラインは細々ではあるが続いているし、ネットで彼女の綴る近況にはいつも「大事な故郷の友だち」への感謝と変わらぬ友情が読み取れるのがうれしい。
「彩音、頑張ってるね」

 今年の桜はちゃんと季節を間違わずに咲き誇っている。桜の頃になると旺太郎はあのドライブの思い出を語りたがる。三人だけの大事な思い出として秘めておこうと心に決めているらしい。
「千紘とだけは心置きなく懐かしい話ができるはずなのに、何かいつもノリが悪いよなぁ」
不満顔になる旺太郎の気持ちも解らないではない。けれど この日のことを思い出すと私はどうしても額のあたりがくすぐったいような落ち着かない気持ちになって、上の空になってしまうのだ。

 彩音は、あの日ずっと何かを言い淀み、迷っているような様子だったが ベンチに座る私の傍に近づいて来る時、決意したように振り向いて、後ろから追う旺太郎に声を掛けたのだ。
「旺太郎くん、お願いがあるの。少しの間だけでいいの。そこで目をつぶって待っていて」
「さっ…佐倉のお願いなら何でも聞く」
言われるまま旺太郎が目をつぶってその場に留まった。
「私、私ね……」
彩音はベンチに座った私の肩に両手を掛け、身体を折り曲げるようにしてその綺麗な顔を近づけた。不意を打たれ、何が起こったのかよく解らなかった。一瞬の強い風に枝垂桜の花びらが舞う中 彩音の唇が私の額に軽く触れたのだ。
「千紘のこと、本当に大好きだったよ。一生忘れない」
耳元で彩音に囁かれ呆然としていると さっきの場所に立ち止まったままの旺太郎が、間延びした声を出した。
「佐倉、そろそろ目を開けてもいいかなぁ」

 額にキスというものが あの時の彼女にとってどういう意味だったのか、私にはよく解らないままだ。旺太郎が、言われたとおりに本当にずっと目を瞑っていたのか、瞑っていたのならその時何を思っていたのか聞いてみたくなる時もある。けれども大学生になっても背の伸びない旺太郎を見るにつけ このままそっと私だけの心に留めておこう、と思い直すのだ。

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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

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