FC2ブログ

STAND BY ME

生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

祭壇画のロキュ 〜 刃の上

第74回 Mistery Circle 参加作品

お題 
●今が正にその時だ。あなたは運命の鋭い刃の上を渡っている。 で始まり


●あなたのうちに住むあなた自身は見えぬらしい、そして非は私にあると言う。 で終わる

お題出典:「 オイディプス王 +アンティゴネ 」 著:ソポクレス 





──今が正にその時だ。ディートフリート、お前は運命の鋭い刃の上を渡っている。

 目を凝らしても延々と続く冷たく深い夜の闇だった。さっきまで煌々と辺りを照らしていた月はどこへ隠れたのだろう。王宮の中央のバルコニーに出て 王子エーベルハルトは、やがてその先に現れる弟の姿を待っていた。弟のディートフリートは闇に紛れ括られた惨めな姿で、たった一人の兵に連れられて来るはずだった。命じた兵士には連れてくるべき「罪人」の身分については明かしていない。おそらくディートフリートは、剣を突き付けられ手に縄を掛けられようと無礼を甘んじて受け、行き先が自分のところだと解ると大人しく従うことだろう。剣も縄も必要無いことはエーベルハルトが一番よく知っていた。



 エーベルハルトの命で国境(くにざかい)の教会に向かったのは、褐色の肌を持つトーゴと呼ばれる兵士だった。夜の帳の降りる中、礼拝堂はひっそりと静まりかえっている。集っていた謀反人を捕らえるために兵士達が踏み込み、勢いに任せ破壊したのは一週間ほど前だ。破れたステンドグラスの窓から細い月明りが差し込み、床にゆらゆらと儚げな色を映している。気配を殺して男の居る祭壇の方に近づこうとしても 崩れた壁の欠片や焼け落ちた木製の椅子の残骸が足元でそれを阻んだ。先日の謀反人達とは異なり、今夜捕らえるべき男の手には絵筆が握られ、足元には絵具が広げられている。
 トーゴは、男が向きあっている祭壇の絵を見上げた。初めて男がそれ描いているのを見たのは、警備の任が巡ってきた日の朝だった。瞬時に目を釘付けにされたのは何故だったろう。自分でもよく解らない衝撃がトーゴを襲った。破壊された木像の代わりのつもりなのだろうか、男は壁に直接絵を描いている。背後の風景はない。緞帳を下したようにも見える深い紅色を塗りこめ、中央の高みには十字架に磔となった男、その足下、左右の位置に対を成して、悲しみに沈む母親と弟子が描かれている。この国の人々の信仰は解らない。こんな磔にされた傷だらけの惨めな男の姿をどんな気持ちで崇めるのだろうといつも思っていた。だがその絵を見た瞬間、きりきりと刺すような痛みと悲しみと、言葉にならない何かが胸に迫って来る気がした。
──このひとを見よ
誰かが自分に呼びかける。
──このひとを見よ
誰かが胸に呼びかける。
突き上げて来る形容しがたい震える思いにトーゴはただ立ち尽くしていた。

 壊された祭壇に絵を描いている妙な男がいることは、隊の中でも噂話になっていた。トーゴを始め、一度見た者は再び任務が巡ってくるのを楽しみにさえしていたのだ。噂がエーベルハルト王子の耳にいつ入ったのか その日トーゴは呼び止められ詳しいことを聞かれた。自分には信仰も芸術もよく解らないけれど、良い絵のようだ──その不思議な感動を伝える言葉が上手く見つけられず、トーゴは情けない思いで唇を噛んだ。まさかその夜に、その男を捕らえよと自分が言いつかるなどとは思ってもみなかったのだ。

「こんな時間にどうされましたか?」
男がトーゴに気がついて振り向いた。あれからもずっと一心に絵を描き続けていたのだろうか。髪は解れ、身に着けているものは破れて、手は絵具で汚れている。今まで見た罪人の顔つきとは全く違い、男の目は優しい。声は柔らかく響き、どこか育ちの良さと人を惹き付ける内面を感じさせた。
「あるお方からお前を捕らえて連行するように言われている。抵抗はしない方がお前のためだ」
剣を突き付けられた絵描きは、濁りのない澄んだ瞳でトーゴを見た。
「あるお方?」
「『今が正にその時だ。お前は運命の鋭い刃の上を渡っている』と言えばわかると仰っている」
「そう伝えよと?……その方が?」
相手は伝えられたその言葉を小さく繰り返し、何かを思い起こそうとするように少しの間目を閉じた後、全てを理解したかのように顔を上げ、微笑みさえ浮かべて答えた。
「もちろん抵抗などしません。連れて行ってもらいましょう。ただ……」
絵描きは静かに両の腕を差し出し縄を掛けよと促した。こんな穏やかな罪人をトーゴは見たことが無い。
「ただ?」
必要の無さを感じつつも腕と腰に縄を掛け、顔を覆うフードの付いた黒いマントを被せながら トーゴは絵描きに聞く。
「ただこれだけは納得して終わりたかった、と。あと少しだと思うのです。何かが足りないのです。それが解らない。間を置かずまた戻ることはできるでしょうか」
「さあな、俺は言い遣ったことしか知らぬ 」
戻れるとも戻れぬともこの先は判らない。トーゴもまた、不思議と離れがたい気持ちを感じつつ教会を出て、絵描きと共に城に向かう夜道を急いだ。

 命じられた通りにトーゴは絵描きを王子の部屋まで連れて行った。エーベルハルト王子は、戒めの縄を解かせると、厳しい表情のまま、軽く手を上げてトーゴを控えの間に下がらせた。



「兄上、お久しぶりです」
縄を解かれ、二人きりになると安心しきった様子でディートフリートは言った。
「ようこそ、画家の先生。ディートフリート、いや、『ロキュ』と言う名の方が馴染むのかな」
「懐かしいです。王宮もこの部屋も。たくさんお話したいことがあるのです、兄上。兄上のお取り計らいで多くの貴重で素晴らしい体験をさせて頂きました」
「何故罪人扱いを、とは聞かないのだな、お前は」
明るい声で話し始める弟の言葉を遮り、エーベルハルトは冷めた目のまま言った。
「私のために一部の民が混乱し、誤った道を歩もうとしたと聞いています。気楽に帰国する立場ではないことは解っています」
「ふん、捕らえられる覚悟もあった、ということだな」
「でも、貴方はこうして内密に私を迎え、縄を解いてくださった」
「縄を解き二人きりになったとて、絵筆しか持たぬお前の腕では私を倒すことなど到底できん」
 幼い時から二人で剣術の練習をした。争いごとを好まず、絵筆を持つことの方をずっと望んでいたディートフリートは 剣ではエーベルハルトに全く敵わなかった。どんなに厳しく追い詰めても悔しがるでもなく、相手を褒めて笑っている弟が歯がゆかった。国を出て絵を学ぶことを許した時も、何の疑いも持たず、歓喜に満ちて感謝の言葉を告げる弟の顔を、エーベルハルトは苦々しく思い出す。
「『運命の鋭い刃の上を渡る』は、貴方と観たギリシア悲劇の台詞ですね。忘れはしません。芝居の台詞を使って色々遊んだこと。貴方はいつも私の傍に居て、たくさんの知識と身を守る術を教えてくださった。異国での絵の勉強に勤しんだ日々も、どんなに兄上と父上にお会いしたいと思っていたことでしょう」
「成程、芝居の台詞だったか。幼き日、お前が些細な事柄でも大仰な言葉を使っては一人で面白がっていたことだけは覚えていた。辟易したからな」
ディートフリートの弾んだ言葉に答えるエーベルハルトの言葉は冷たくそっけない。
「恵まれた出会いもあったのですよ。尊敬できるマイスターや兄弟子、気の良い旅芸人の一座。一番驚いたのは幼い頃ここで遊んだことのある少女と再会したことです。聡明で美しい女性に育っていました。彼女を描きこんだ祭壇画を描くことができたのは最も素晴らしい経験でした」
頬を染め、目を輝かせ勢いよく話し続けるディートフリートに一瞥もくれず エーベルハルトは窓の外を見続けていた。
「何年も勝手をさせて頂いて感謝しています、兄上」
エーベルハルトの沈黙と無表情が続き、流石にディートフリートも戸惑いに言葉を途切らせる。
「申し訳ありません。私ばかり喋ってしまって。兄上はその間大変な思いをして国のために尽力されておられたのですね。父上のご病気はいかがですか」
──父上にお会いしたい、父上はどこに?
ディートフリートがそう続けると、エーベルハルトは初めて窓から離れ、鋭い靴音を立ててゆっくりと近づいて来た。
「それを聞くのだな。知った者は二度と自由にはさせぬ。誰一人、ディートフリート、お前でもだ」
エーベルハルトは刺すような視線を向けると、そのまま顔をぐいと近づけ、ディートフリートの耳元で囁いた。
「教えてやろう。父上は死んだ。王は居ない」
「え?」
「亡き王のたっての願いは国が纏まることだ。民が一つになることだ。それ故今は王の死は世に知らしめるべきでは無い、そう判断した」
「父上が亡くなった」
驚きと悲しみが一度に押し寄せてディートフリートは立っているのがやっとだった。老王の体調が芳しくなく、エーベルハルトが政を任されていることは異国にいても伝え聞いていた。そんなエーベルハルトを排し自分を次期王座に就けようとする者達が居るとも聞いた。ずっと友好的であったはずの隣国との不穏な雰囲気、国内に燻る内乱の気配、何よりも民の心が荒み、重く淀んでいると聞いた。政に不向きな自分でも国のために何かできないだろうか、自分の存在が民の心の纏まりに影を落としているのだとしたら自分にできることは何だろう。自問自答を繰り返し続けた末、画家のロキュとしての幸せな日々を捨て、ディートフリートは故国の土を踏んだ。異国までディートフリートを探して国の現状を告げに来てくれたのは幼馴染のコンラートだった。
「そうでしょうか。父上の崩御を民と共に悼み、兄上の王位継承を皆で祝い、国の平和と栄光を皆で祈る、それでも国が纏まらないと?」
エーベルハルトの目がきらりと光り、ディートフリートの肩に手を掛けた。その手に自分の手を重ねようとした瞬間、ディートフリートの身体は強い力で突き飛ばされ壁に打ち付けられた。
「罪人として連れて来られたことを忘れるな。そうだ、お前はいつもそんな風に清く正しく優しいことを言う。愛と情に満ち、汚く暗い感情など知らぬふりをする。いや、それは違うな。それが『ふり』で無いことがお前の罪。教えてやろう、私がそんなお前を見ながら、どれほどの妬みと憎しみに満ちて生きて来たのか」
エーベルハルトの淡い菫色の瞳をディートフリートは驚きを持って見つめ返す。父が亡くなっていることばかりでなく、兄が自分を憎んで来たという言葉がにわかには信じ難かった。
「聞き知っているはずだ。お前の、お喋りな、『幼馴染のコンラート』から。私を信じぬ者たちが密かにお前を担ぎ上げ 私を追い落とそうと画策していたことを。コンラートも言ったか?私には国王の責務は果たせぬと?私には民の心は掴めぬと? 父上もまた可愛いお前を次期王に望んだと?」
エーベルハルトは倒れたディートフリートの顎を鋭い靴先で持ち上げ、燃え上がるような敵意を込めた目で見下ろした。窓から差し込む月明りがエーベルハルトの蒼白になった顔を更に青白く照らす。
顎に当てられた靴先から逃れるように顔の向きを変え、苦し気にディートフリートが言う。
「コンラートは『私たちの』大切な幼馴染ではありませんか。私のことだけでなく貴方のことも心配しています」
大臣の息子、幼い頃から常に一緒だったコンラート。ディートフリートが名前を変え身分を隠して異国で絵の勉強をしている間も この身を気遣ってくれたのはコンラートだった。エーベルハルトの心の陰りを、心配してくれていたのもコンラートだった。
「幼馴染、幼馴!幼馴染!!幼き日から傍に居て何もかも解り合って、一番心が通じ合う?幸せな時間を分け合った、思い出深い相手?そうか、さっきお前の言った異国で出会った女というのも言ってみればお前の『幼馴染』なのかな」
「いえ、あの人は……」
最初は気づかなかったのだ。花のように美しく成長した彼女は、異国で貴族の奥方になっていた。生まれた国と訪れたことのある王宮の話を懐かし気にするのを聞き、それと解った。だがディートフリートは彼女にさえ本当の名を名乗らずにおいた。身分を隠し別の名を名乗ることが、国を出る時のエーベルハルトとの固い約束だったからだ。
「もう一つ教えてやろう。その『幼馴染』とやらがどんなに私と母を苦しめて来たか。知らないとは言わせない。父上の幼馴染、お前の母親がいつも父上の心を占めていた。母上が王妃として迎えられ、私を身ごもり、産んでからも、そうだ、ずっとだ。母上は苦しみと悲しみに心と身体を蝕まれて亡くなった。さぞ喜んだことだろうな、お前の母親は。これで二人の結びつきを邪魔する者はいない。だが神も見捨てたものではない、お前を産んでこれもまた直ぐに死んだ。父上は余程妃に縁が無いらしい」
乾いた声でエーベルハルトがくつくつと笑うのを凍り付くような思いでディートフリートは聞いていた。母を侮辱されることも耐え難かったが、瞬時に頭を過ったのは大事な親友の運命だった。
「コンラートは、無事で?」
「かろうじて生きてはいるぞ。知ってはならぬ事を知った者に未来は無い。謀反に加担する者は生かしてはおかぬ。私の邪魔は誰にもさせない。私が王位に就くのは亡き母上の悲願だからな」
敵意と憎しみに燃える目を向け エーベルハルトはそう言い放つと、呼び鈴の紐を引き控えの間のトーゴを呼んだ。
「北の塔に連れて行け。錠を下せば決して出られぬ。見張りは無用だ。お前は普段通りの任務に就き、日に二度、自分の食事を分けて運べ」
北の塔には幽閉用の部屋があるとは聞いている。今までの罪人は見せしめのように引き回されて地下牢に繋がれた。エーベルハルト王子の、この絵描きへの扱いは 他とは全く違う。その目に宿る怒りの色も 他の者に向ける時とは別の何かが混ざっている。理由など解るはずもない。トーゴは黙って従うより他には無いことを知っている。
「心配するな、お前の食事の量は増やすよう言いつけておく。だが万一この者の存在が誰かに知れることがあれば その時はお前の命も無いと思え」
行け、とトーゴに顎で示しながら、エーベルハルトは絵描きの肩を抱き、その耳元で 抑揚のない低い声で言った。
「『鋭い刃の上をお前は今 渡っている』、お前はその警告を聞いてなお、のこのこやって来た。覚悟はあるはずだ」



 王子の命を受け 城の北の突端にある塔の小部屋に絵描きを閉じ込めた。小部屋の重い扉には鉄格子の嵌った覗き窓があり食事を差し入れる時だけ出入が許される。食事を運ぶ際は誰にも見とがめられぬようトーゴは細心の注意を払った。
絵描きは塔に連れて行く間も全く抵抗する様子も見せなかった。王子と二人きりで何を話していたのかは想像もつかない。トーゴは城に戻るまでのこの男と歩いた夜の道のことを思い出していた。壁画の印象は強烈にトーゴの心に残っている。何故か男にあの磔の救世主の姿が被って見えた。
「何というお名前ですか。お生まれは南の国ですか」
丁寧な物言いをされ却って戸惑う。
「縛って連れて行かれるのに、相手に名前や故郷なんか聞くのか、あんたは」
「話をするのに、名前が解らないと。ああ、私はロキュといいます」
「皆は俺のことをトーゴと呼ぶ。長い名前があったがもう忘れた」
故郷もだ……トーゴは思う。親は俺を売り飛ばして食うことを選んだ。あんな所に懐かしさも未練もない。
「あのお方が奴隷のようにこき使われていた俺を救い出して下さった。同じ部隊の仲間も皆同じような者ばかりだ」
「そうですか……良かった。ではその方は 多くの人に愛され慕われてるんですね」
自分を捕らえその命運を左右する相手の話だというのに このロキュという男は顔を上げ微笑む。嬉し気に輝くその表情は、自分がまるで愛され慕われているとでも言われたかのようだ。可笑しな奴だとトーゴは思う。
「恩義、忠誠。俺たちの感じているのはそういったものだ。それが愛とかいうのと同じなら そうかも知れん」
「そうですか」
ほっとしたような穏やかなロキュの声が小さく闇の中に溶けた。



 何をしているのだろう。トーゴが小窓から覗くと、どこで見つけたものかロキュは石の小さな欠片をで壁に何か描いている。その姿は初めて教会で見た時を思い出させた。あの時見た横顔は歓喜に溢れていて どんな場所でも絵さえ描ければ幸せだというようだった。俺は何をしている時 あんなに幸せな顔ができるだろう、そう思った。
「絵を描いているのか、こんな暗闇で」
そっと中に入り、粗末なテーブルに小さな燭台と食事を置いた後、つい声を掛けてしまった。部屋に閉じ込めてから初めて口をきく。声に驚いた様子で、ロキュは振り向いてトーゴを見た。あの時のような目の輝きは無く、どこか遠くに行っていた心が一瞬呼び戻されたような、そんな表情だ。
「ああ、トーゴ。そこに居たのですか。気が付きませんでした」
「上手いもんだな。こんなに暗くてよく絵が描ける」
蝋燭の小さな灯りに照らされて壁や床に描かれた絵がぼんやりと浮かび上がる。
「ずっと心の中にあるものをそのまま写し出すだけです。目を瞑っていても描けます」
数日ですっかり痩せ、頬のこけた顔に穏やかな微笑みを浮かべロキュは答えた。
 また別の日トーゴが塔の部屋に入ると ロキュは隙間に穿たれた小さな明り取りの窓から僅かに見える外を見ていた。
「教会が見えますね」
「そうだな」
「トーゴ、貴方はあれからあそこに行きましたか?」
「あの周辺の警備は俺たちの仕事だからな。相変わらず女や老人が石を積みなおし板を打ち付けて、祈りの場所を取り戻そうとしている。あんたは……」
あの絵のところに行きたいのだろう、そんなことは聞くまでも無い。ここに幽閉されてもう一週間以上経つ。王子からはその後何の指示も無い。永遠にこの絵描きはここを出られないのだろうか。自分の描いた祭壇画を、もう一度観ることは無いのだろうか。
「あと少しだと、まだ何かが足りない気がすると、そう言ってたな」
ロキュというこの絵描きが何の罪なのかも知らない。王子に逆らい国を覆すような恐ろしい企みをしたという罪人たちは捕らえられた。あの者たちが集っていた教会の、壊された後の祭壇に絵を描いていた、それが罪なのだろうか。
今でもあの祭壇画を見るたび不思議な気持ちになる。この十字架の男に対して自分は何の信仰もない。なのにその前に膝まづいて許しを請い、祈りたい気持ちになる。悲しみに沈む弟子の肩を抱いて共に嘆きたい気持ちになる。「聖母」の姿を見ていると故国の母の笑顔と涙を思い出し 幸せだった幼い日々が胸の中に蘇る。憎しみが満たしていた心の中に少しずつ何かが取り戻されていく。恨みや憎しみを消しきれぬ自分にも 許し許され救われる日がいつか来ると信じられる気がした。ロキュがどこにあと少し手を加えたいのかはトーゴには解らない。だが塔から出ることのできない無念だけは日々 強さを増して伝わって来る。
床や壁の絵は日ごとに増え 部屋を埋め尽くそうとしている。ロキュはほとんど食事もとらず水も飲まない。このまま狂い死んでしまうのではないか、そう思うとトーゴの胸は痛む。エーベルハルトの命に背き 食事を運ぶ時以外にも日に数度、トーゴはロキュの様子を見に行くようになっていた。



 トーゴの気持ちが決まったのは 兵士仲間のうわさ話を聞いた日だった。その男は仲間のうちで最も貧しい国出身だと聞いた。家族からも虐げられて育ち、他人を信じず粗暴で残忍なところがあった。例の教会に謀反人を捕らえに行った時、憑かれたかのように全てを破壊しようとした。信仰の対象の像を倒し、木製の長椅子に火をつけた男だ。その男が今日、ロキュの描いた祭壇画の前で長い間立ちすくみ、やがて咆哮をあげて頽れ、座して涙したのだという。ロキュに続きを描かせてやろう。あの絵はどんな困難をも乗り越えて完成させるべきだ。もう迷いは無かった。
「絵のところに行きたいのだろう?目を瞑っていても描けると言ったな、夜の暗がりの中でも良いなら行かせてやる」
人目を忍んで塔の部屋に行き、ロキュにトーゴが声を掛ける。眠りもせず壁を埋め尽くす絵を描き続けていたロキュは、夢から醒めたように顔を上げ周囲を見回した。消えかけていた目の輝きが徐々に戻り、頬に赤みが差した。
「邪魔する者は全力で止める。さあ 早く」
トーゴに深く頭を下げて丁寧に礼を言ったその後の、ロキュの行動は驚きだった。扉の外に出るとロキュは導くまでも無く歩み始め、城の中を見張りの目の届かない通路を選んで進んた。トーゴも知らない秘密の通路や階段が壁の向こうに続いている。



 来た時より暗く人の通らぬ道を、ロキュは選んで急ぐ。城の中も国の隅々までも 何故こんなにも詳しいのかトーゴには不思議だった。一体この男は何者なんだろう。
「『刃の上を』何とか言ったな。あれは今みたいに命が危ないことをやるって意味なのか?さしずめ『危ねぇ橋を渡る』ってとこか」
教会が坂の上に見える。二人は大きく息をついて振り仰いだ。
「幼い時、家族とお芝居を観ました。ある国で兄弟の王子が戦い、刺し違えて双方が死んだ、その後の物語でした。」
「何だ、いきなり芝居の話か?」
「王はすでに亡くなっており、世継ぎになるはずの二人の王子を一度に失ったため、王子たちの叔父が王位に就きました。叔父は兄の王子を丁重に弔い、弟の方は他国と結び国を裏切った者として野ざらしにします」
「酷い話だな」
「国を守るために良かれと新しい王が考えた結果です」

教会に向かう広い坂道を行かず、裏の草原の斜面を這うように上りながらロキュは続けた。夜露が顔を濡らす。秋の風が草を揺らして吹き抜け 見上げると空には満月が青白く輝いていた。トーゴはロキュに目で合図して見張り番の仲間の目を逸らしに入口の方に進んで行く。
 聖堂でロキュは絵の具を広げ、久しぶりの絵筆に心を震わせる。月明りを頼りに、ただ祈りを込めてロキュは今、祭壇画に向き合っていた。



 ディートフリートが塔の小部屋まで戻り着いた時には 朝焼けが空を淡い紫に染め始めていた。鍵を下していたはずの扉は押しただけで開いた。一歩踏み入れて息をのむ。未だほの 暗い部屋の入口に、エーベルハルトが立っていた。
「やはり戻ってきたか。何を驚いている、お前の逃亡に気づかぬほど私は愚かだと思っていたか?」
エーベルハルトは手にした短剣をディートフリートの首筋に突きつけ、扉を閉めると部屋の隅に追い詰める。
「ふむ、こんな場所でも絵を描くとはな。これは幼馴染のコンラートやお友達というわけだ」
淡い朝の光に、背後の壁に描かれた野辺に遊ぶ天使のような子供たちの姿が浮かび上がる。エーベルハルトは低く笑った。
「幸せに遊ぶ子供たち。穢れ無く、人を疑い憎むことを知らぬ、お前のような?」
「幸せな子供の時代にはいつも貴方がいました。強く正しく優しい貴方が傍に居たから 私はいつも安心して過ごせました。貴方は私の規範、進むべき道を示す光でした」
エーベルハルトの青ざめた頬に赤みが差す。
「そうやってお前はまだ、綺麗ごとを言う。泣いて命乞いをするがいい。憎しみを産んだお前の母親と父に恨みごとを言え、ディートフリート。非の無い自分を助けてくれない神を呪え」
「私の母が貴方に悲しみを与え、私の存在が貴方をずっと苦しめた。なのに気づきもせず貴方を慕い、貴方の傍で笑っていた。非は私にあります」
「解ったような口をきくな。慕う?下らない思い出話は沢山だ。お前に非を認めさせて私が喜ぶとでも思うのか」
エーベルハルトが言い終えたその時、風に飛ばされた小枝かそれとも哀れな鳥か、何かが外壁に当たって大きな音を立てた。音のした方向に振り向いたエーベルハルトは そちら側の壁の絵を認めると一瞬視線を漂わせ、そのまま見入った。そこにはあの祭壇と同じ十字架の救世主が描かれている。明り取りの窓から差し込む朝の光が緩やかに角度を変えて部屋を満たすと、壁と床いっぱいに描かれたロキュの絵が救世主の姿を優しく包み込んだ。
 長い沈黙が流れた。ディートフリートは刃を向けられたままエーべルハルトの横顔を見つめている。エーベルハルトの目に何が映っていたのだろう。その心に何が投げかけられたのだろう。弟の首筋に刃を当てていた右手がゆるゆると力を失い、垂れた。ディートフリートは壁を背にもたせたまま 膝を折り床に頽れた。
「兄上、私はどうなっても構いません。この国のこれからのために私が害悪ならばどのようにでも排除してください。お願いです。父上の葬儀と貴方の戴冠式を執り行い、捕らえられた者たちを恩赦で解放してやって下さい」
エーベルハルトは壁の聖画を見つめたまま微動だにしない。ディートフリートはその足に縋るように頭を垂れると繰り返して懇願した。
「兄上、お願いです。私は絵描きのロキュとしての生活に浸り切り、国や民を思う心など全く無くなってしまったのだとコンラートに手紙を書きましょう。私は国を捨てた裏切り者。王子を名乗る資格も無い者だ、と」
「自分を悪者にして……か?」
ディートフリートの顔を凝視してエーベルハルトは問いかける。
「父上と兄上に会いたい、民のために何かしたいと思って戻って参りました。ですが、壊された祭壇を見て、私にできるのは嘆く人のために絵を描くことだと思いました。その後は何もかも忘れ、絵を描くことしか考えておりませんでした。絵を描いていればただ、幸せでした」
「お前はどこまでも画家だ、ということか」
「民が頼り愛するべきは貴方だけだと 世に知らしめてください。恩赦を与えた者たちの中に貴方に尽くしてくれる者もおりましょう。トーゴのように貴方が救った兵士たちも貴方に忠誠を誓っております。父上の代からの善き相談相手の臣もいます。どうぞ大切になさって下さい」
エーベルハルトは、俯いて額に手を当て、低く声を上げひとしきり笑うと、急に表情を硬くして向き直った。
「甘いのだ、お前は。そんなことでは国を治めては行けぬ」
エーベルハルトはそう言い残すと、上衣の裾を翻し足早に部屋を出て行った。荒々しく錠を下す音の後、遠ざかるエーベルハルトの足音が塔に響いていた。



 数日の後、遅い朝食を運びに来たトーゴを扉の前で待っていたのは 王子エーベルハルトだった。あの日からいつ咎めを受けるのかと怖れてはいた。だがロキュを再び絵に向き合わせてやったのは間違いではなかったという不思議な確信が心に満ちている。責めも咎めも受けよう。絵描きには絵描きの、王子には王子の正義がある。そして自分にも、だ。それだけに数日間のエーベルハルトの無言は却って重苦しくトーゴの心に圧し掛かっていた。
「トーゴ、と言ったな」
扉に背を持たせ 腕を組み斜に構えたままエーベルハルトは言う。ああ、ついに来た、トーゴは身体を固くした。
「お前の手引きで完成した、例の祭壇画とやらが見たい。同じ道で私を連れて行け」
感情を圧し殺したようなその顔からは、王子の気持ちは汲み取れない。後ろから刺されても仕方ないと腹を決め、トーゴはロキュが進んだ細い秘密の通路を先に立って案内した。エーベルハルトの静けさが逆に不気味でもあった。死をも覚悟しているつもりだったが 冷たい汗がトーゴの額を伝った。



「よくあのような通路を覚えていたものだな」
塔の部屋にエーベルハルトが入ってきて、トーゴの案内で祭壇の絵を観て来たことを告げた。あれから三日後の夜だった。
「子供のころは全てが遊び場でした。壁に隠れた秘密の通路、道なき道」
「林の中の隠れ家に秘密の基地、か」
エーベルハルトが小さく後を続けた。
「祈りをこめて色を重ね、絵に語り掛け、絵の声を聴いて参りました。あのような時間が持てたことを神に感謝しています」
ディートフリートが静かに言葉を継ぐ。
「ずっとここで絵を描きながら 何が足りないのかを考えていました。そして久しぶりに向き合って思ったのです。この先は訪れる人と時間に託されるのだと」
「託す?」
「多くの人の祈りをあの祭壇の救い主が受け止めます。ステンドグラスを通る日の光は背景の紅色に揺らぐ色と深みを重ねます。月の光は救世主や聖母の姿に優しい陰影をつくるでしょう。時間を経て多くの人を癒し、絵は深みと重みを増していきます。それはもう描いた画家だけのものではありません」
壁に、床に、ディートフリートの描いた絵をつぶさに眺めながら、エーベルハルトは部屋の中をゆっくりと歩く。
「救いと癒し、か。絵で人を幸せにするのが画家になりたい理由だったな」
エーベルハルトは十字架の絵の前で立ち止まり、呟くように聞いた。
「お前は 自分がどうなっても構わぬと言った」
「はい、命を奪われ、野に捨て置かれても」
エーベルハルトは弟の言葉を聞いて、聖画の描かれた壁に身体を預けると こつんと額を当て俯いたままで小さく笑った。



 その翌日のこと、トーゴがロキュのところに行くと、エーベルハルト王子が、扉の前で待っていた。
「絵描きのお守は今日で終わりだ」
意味を測りかねて黙ったまま トーゴは次の言葉を待った。自分かロキュの身に何が起きるのかと一瞬不安も心を過ったが、エーベルハルトの菫色の瞳はその日、不思議と穏やかだった。
「除隊を命ずる。生まれた国にでも帰るんだな」
ぽいと投げるように金貨の入った袋をトーゴに渡し、
「港まであの絵描きも連れて行け。そして二度とこの国の地を踏むな。二人ともだ」
トーゴの目を真っすぐに見つめそう言い残すと、エーベルハルトはくるりと向きを変え、靴音高く歩き出した。



「何処へ行くつもりだ?」
南行きの船に乗る列に並び、トーゴはロキュに聞いた。
「そうですね……誰も知らない遠い遠い所へ」
「追放か。それで良かったのか?」
トーゴの問いかけに、ロキュは涼しい目をして微笑んだ。
「ええ、絵はどこでも描けます。あなたも故郷で幸せになれますように」
「あんたに会えて嬉しかったよ、絵描きの先生」
「こちらこそ。あなたに神のご加護がありますように」
ディートフリートはトーゴの手を心を込めて握り、出港を見送った。

──兄上は、ご自身の中に住む清さ、優しさが見えておられないのです。もっとご自身を愛して下さい。
ディートフリートは最後に兄に掛けた言葉を、心で繰り返す。 国外へ追放を言い渡した後、ずっと無言だったエーベルハルトは、ディートフリートの去り際に 呟くように言った。
──『刃の上』を歩いているとお前に言った。だが、迂闊にも忘れていたようだ。物語の中、予言者が警告した相手は他でもない、『王』の方だったのだな。

 命に背いて、野ざらしの遺体を丁寧に葬ろうとした王子の妹を王は許さず、岩の牢に閉じ込める。神の怒りに触れたのか、以降、国の災いが続き、予言者は王に進言するのだ。頑なだった王が彼女を許したときはすでに遅く、彼女も、王の息子であるその恋人もその母である王妃も嘆きのうちに死んでしまう、そんな話だった。

あの芝居を観た幼き日、「王様の判断が間違っているなんておかしい。王様の意志は神の声なのではないのですか?」と、納得できず父王を困らせたのはディートフリート、「何故みんな死ぬのだ。何故皆幸せになれない」と怒って泣いたのはエーベルハルトだった。 ディートフリートはそのことを忘れてはいない。



 エーベルハルトの平和な治世は数年間続いた。だがそんな時代も、隣国の侵攻により儚く終わる。国境の守りにおいて肌の色や故国の異なる勇敢な兵士たちの働きは目覚しかったという。エーベルハルト王は、傷が深くなる前に隣国に和平を求め、自ら王位を辞したが、幽閉された後、果てた。民の平和と安全だけを望み、もとより民族を同じくする二国の統一を願うという英断は、多くの民を救ったのだった。エーベルハルトは、かつての国境の教会墓地に埋葬され、今でも彼の死を悼み、祈りを捧げる者は多いという。
祭壇画を描いた絵描き、ロキュの行方は誰も知らない。
スポンサーサイト

 | HOME | 

Monthly

Categories

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Appendix

すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
コメントOKです。
舞い上がって
喜びます。

FC2Ad

管理者ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。