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生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

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祭壇画のロキュ

第73回 Mistery Circle

お題 ●弓や剣より、いつのまにか口のほうが達者になったようだな。
    ● 同盟は激烈な同士討ちを起こした。

   《 出典:「 王都炎上―アルスラーン戦記〈1〉 」 光文社文庫 著:田中芳樹 》




「弓や剣より、いつのまにか口のほうが達者になったようだな」
がっくりと地に膝をつく弟のディートフリートを見下ろしエーベルハルトは剣を収めた。
「兄上には勝てません」
柔らかな亜麻色の髪を乱し、苦し気に肩で大きく息をつきながらも いつもの人懐こい笑顔を見せてディートフリートが言う。
「簡単に負けを認める、か。なんと嘆かわしいことだ」
エーベルハルトは相手を射貫くような薄い菫色の瞳で弟を見返しながら 嘆息を漏らした。
「でも、僕は弓も剣も要らない。美しいもの 善きものを思うままに描ける絵筆こそ必要なのです」
「そんなものが何になる。お前は私の肩腕としていずれは国を治めるのが務めではないか」
「何度でも申します。僕のなりたいのは画家なのです。民を幸せにして、世の中を素晴らしくするのは弓や剣だけではありません。決して」
「愚かなことを。絵描きは、我々力ある者の依頼で描くもの。お前の好きな教会の祭壇画もまた、強い後ろ盾がなければ描けはしない。有難く民が拝むのは権力と金を持つ者あってこそ。絵描きはただの職人に過ぎん」
 いらいらとした時にいつもエーベルハルトは癖のないその金色の髪を何度もかき上げ、靴先で地面をコツコツと突く仕草をする。頭脳明晰で武芸にも優れた美しい若者で、父王自慢の長子ではあったが、折に触れもっと他人の心を掴むことのできる心豊かな者になれと、よく戒められていた。兄は王に、弟は忠実な右腕になるようにと育てられてきた。ディートフリートはそれを当たり前のことと信じ、決められた将来にも格別 不安や不満を感じたことはなかった。けれど肖像を描きに来たある画家の、奇跡のような絵筆の動きを観た幼き日の、震えるような感動を忘れることはできなかった。
 ディートフリートはその画家が来るたびに傍に行って、画布の中に吹き込まれ、育ち、広がりゆく世界を飽かず眺め、様々な幼い質問を投げかけた。気さくで子供の好きな画家は幼い王子と画家という身分を超えて 親しく絵画について語り合い、城を辞する前のひと時、彼に絵の手ほどきもしてくれた。そして教えたこと全てを吸収して目覚ましく伸びる幼き王子を心から褒め、嬉々として絵を描く姿に目を細めるのだった。

 その頃、この国と周辺の諸国では、成功した画家といえば、肖像画と宗教画の職人的存在であり、多くが「親方」の工房に属していた。マイスターの技術を学びながら、工房の中の一人として依頼人の求める絵を製作する。宗教画の多くは依頼者の、民の歓心や尊敬を獲得せんがためのものでありまた、寄進した者とその家族の天国行を保証する切符の如く思われていた。国一番の大聖堂の新しい祭壇画はいつ見ても美しく憧れではあったけれど、眺めれば眺めるほどディートフリートの違和感は強くなっていく。
 磔刑の救世主の足元に跪き祈るのは寄進者夫妻。聖なる場面のまさにその場に居るように寄進者を描きこむのが最近の流行であるとはいえ、彼らはこの時代の衣装をまとい、顔を見せるようにやや身体をこちらに向けている。その豪奢なマントや装飾品、艶の良い顔は何としても大いなる嘆きの場でもある刑場の丘には似つかわしくはない。聖母、若い愛弟子、嘆く女性の表情とそのポーズはやや芝居がかった感じがするし、救世主の腰布を翻らせる風の動き、暗く重い空の下に広がる豊かな遠景の風景描写は描き手の技術を誇示するかのようだ。
「違う」
ディートフリートはつぶやく。素晴らしい絵だ。素晴らしい技術だ。けれど、違う、違うのだ。祭壇にあるべき絵はこのようではないはずだ。

 ディートフリートが十八歳を迎えた春のある朝、エーベルハルトが自室にディートフリートを呼んだ。エーベルハルトは成人を迎えて間もない頃から、ずっと政務に関わり父王や重臣たちの信頼を得ている。父王も最近はめっきり老いて体調を崩しがちで、何かとエーベルハルトに頼っているように見える。大事な決断も王の判断だけでは覚束ないと、エーベルハルトに再度意見を求める者さえあると聞く。ディートフリートはそんな兄を変わらず敬愛していた。
「お前はまだ絵描きになりたいと言っているのだな」
「はい。私には政治は不向きに思えます。世の人々を明るくするも暗くするも政の如何、けれど芸術と信仰もまた大切な心のよりどころ。私は人々の心を絵を通じて癒し、救いを与えたいのです」
いつもはそんなディートフリートの言葉を制し、その道を正そうと意見するエーベルハルトが その日は違っていた。
「では迷わず国を出よ、ディートフリート。修行をして絵描きとして成功を収めるがよい」
「お許しいただけるのですか?父上は何と?」
「私から説得した。お前はまだ若い。見分を広め、他国の政治や経済の情勢を知って欲しい。いずれ帰った日にはそれらの経験を我が国のために役立ててもらいたい」
ゆっくりと肘掛椅子に座り直す兄の声は、いつもの鋭さを抑えて温かみを感じさせた。
「身の回りの持ち物は華美なもの高価なものを避けるように。名前を変え身分を隠すが良いだろう。万一 絵の勉強中に政情が変わり、お前が危険な目に遭ったり、人質となって国に帰れないことがないように。幸いお前はその歳になっても未だ、他国の使者にも顔を見せていないからな」
「ご心配有難うございます。決してこの国に迷惑をかけるようなことは致しません」
「お前の描いた絵が大きな教会を飾るのを楽しみにしているぞ」
エーベルハルトはそう言って弟の肩を抱き寄せる。ディートフリートは兄に感謝の言葉を告げ涙を浮かべた。エーベルハルトの指図で秘密裏に出発の手筈は整えられ 異国を目指す旅の始まりはは人気(ひとけ)のない闇夜の港だった。

「本当に行くのだな」
彼を送り出したのは重臣の息子で二人の幼馴染みのコンラート一人だった。旅立ちに期待しか無いといった様子のディートフリートに対し、コンラートはずっと重く口を閉ざしていた。
「身体に気をつけて。落ち着いたら便りをよこして居場所を教えてくれ」
「きっとそうするよ。心配性のコンラート。父と兄にも必ず近況は伝えよう」
コンラートの背中を軽く叩いてディートフリートがそう言うと、コンラートは耳元で囁いた。
「連絡はまず僕にだけして欲しい。国の様子を伝えよう」
「心配性のコンラート」
肩を抱いたままディートフリートが悪戯っぽく笑っても、コンラートは硬い表情を崩さない。
「今は何も話せないが、とにかく身の回りに気をつけろ。無事でまた会えるように」

程なく「ロキュ」と名乗る身寄りのない旅の青年が、いくつもの山を越えた国のマイスターの門戸を叩くことになる。


「ロキュ、腕を上げたな」
マイスターが目を細める。ロキュは今回の公会堂に飾る大作の背景の一部を任されている。遠景は色彩を淡くしぼかして表現するのが主流であったが、ロキュはそれに加えてきちんとした遠近法を独自に学んで会得していた。子細に描かれた遠い町の家や樹々は歪みや不自然さもなく 本当に遥か遠くに広がっていくように見える。自分にはここまで描けるだろうか、兄弟子やマイスターまでもが密かに自問し ロキュの描いたものを見つめていた。無事に公会堂の大作を納めると 次に依頼が来たのはロキュが心から描くことを望んでいた祭壇画だった。
 依頼主のアルベルト公は芸術に理解があると評判で、マイスターとも懇意にしており、幾度か工房にも訪れている。ロキュは公が大層若く美しい女性を伴っているのを見たことがある。娘だろうか、いや若い夫人か、もしかしたら愛人かもしれない、そう思いながらもあのテレシアと呼ばれていた美しい女性の姿を祭壇の絵の中に描きこむことを思うと ロキュは胸が高鳴った。

「ご夫妻の肖像のことだが、ロキュ、今度は人物像も描いてみるか?」
期せずしてマイスターがロキュにその話を持ち掛けた時の驚きと喜びは言うまでもない。マイスターと共にロキュはその後幾度も公の城を訪れ、その美しい女性を画布に写し取ることに胸躍らせた。マイスターはすっかりロキュの腕を信用しており、絵は早々にロキュに任せ、館の主と酒を酌み交わしながら隣室でくつろぐことが多くなっていた。政治や経済の話ばかりではなく女性絡みの自慢話まで、声の大きな主の話が筒抜けなのは気になったが、夫人のテレシアは花香るような微笑みを顔に刻み付けたまま、眉ひとつ動かさなかった。ロキュにとっては彼女を目の前にして制作に励むその時間はかつて味わったことのない至福の時だった。

 テレシアがロキュに直接話しかけたのは 祭壇画製作用の肖像画がほぼ仕上げに差し掛かったころだった。
「お国はどちら?ここでお育ちではなさそうだけれど」
離れていてもいつも国のこと父や兄、臣や民のことを思っていた。もちろん旅立ちに際しての兄との約束を守り、身分を隠して誰にも悟られたことはないはずだった。ロキュは黙ったまま制作に打ち込むふりをし続けた。
「あなたの言葉を聞いた時 私の生まれた国の訛りがあるような気がしたの」
親しく話しかけるその声はロキュが思っていた以上に若く明るく、幼くさえ感じられた。
「あちらこちらを旅して参りました。様々な国の出の者と親しくしております」
「工房に入る前、諸国を旅をしていたというのは聞いています」
「はい。親切な旅の一座と共に過ごした日々も大切な思い出です」
それは嘘ではなかった。国を発ってからは苦労の連続だった。騙されて僅かな金さえ盗み取られた。物乞いのように人の情けにすがり、冷たくあしらわれたこともあった。自分の世間知らずを思い知らされたが 城に居ては知ることもできない市井の人の優しさや逞しさにも触れた。
「旅の一座?では 踊りや歌もお得意?ぜひ見せて頂きたいわ」
椅子から乗り出して目を輝かせてテレシアは言う。
「残念ながら 私は絵しか能がありません。彼らのために絵を描きました」
親切に心から感謝し、共に旅をしながら友情を育んだ。懐かしく愛おしい人たち。だが そんな彼らを蔑む者は多い。貴族や金持ちばかりではない、身分に関わらず相手を見下し、傷つけても何とも感じない、人を人とも思わない、そのような場面も嫌というほど見て来た。この人も同じ人種ならば悲しい。ロキュの心配をよそに、彼女のロキュを見つめる目には変わらず温かいものが感じられた。
「揶揄っているのではないわ。気分を害されたのなら謝ります。私は生まれ育った国と、この屋敷の周りしか知りません。様々な人と出会い、自由に旅してきた貴方が羨ましい」
この人も異国から来たのか、ロキュは静かな親しみを覚えながらも 感情を表に出さないように画布に集中しようとする。
「父は国で屈指の資産家だったの。貴族の方々とも親しく、王様のお傍にも上がることも度々あった。もう遠い昔の話だけれどね」
ロキュは思わず彼女の輝くような面に目をやる。それは僅かな瞬間だったにも関わらず、彼女は何か受け取ったように思えた。ロキュの返事を待つ様子もなく、まるで独り歌でも歌うようにテレシアは続けた。
「私、一度父に連れて行ってもらったの。お城の広いお庭で迷子になった時 池のほとりで絵を描いている少年と出会った。お喋りして仲良くなって かくれんぼして駆けっこして遊んだわ」
ロキュの心に幼き日の自分が蘇る。爽やかな風、花の香、ふいに茂みから現れた可愛い客人の少女。逢った時から懐かしい感じがしたのは同じ国のひとだったからか。そしてかつて会ったことのある人だったからなのか。
「後から知ったのよ。その少年が王子様だったって」
ロキュの手が微かに震えた。口元には甘やかな微笑みをたたえたまま テレシアは真っすぐロキュを見つめた。その視線が一瞬、心を見抜くような強い光を帯びていたように感じたのは思い違いではないだろう。
「何だか懐かしいことを思い出してしまったのはこんな香る風の吹く季節のせいかしらね。お喋りが過ぎて疲れたわ。マイスターのお弟子さん、貴方のお話も少しは聞かせて頂戴な」
童女のような好奇心を煌めく瞳に宿し、甘えるような柔らかな声でテレシアはロキュに言う。一瞬でも動揺した自分を戒めながら ロキュは堅い表情に戻って静かに答えた。
「お話するほどの身の上ではございません」
程なくマイスターと主の話は終わり、促されるまま画材を片付けて屋敷を後にした。夫妻の肖像はその日を完成とし、屋敷に訪ねるのは最後となった。今度はそれを下敷きに、工房で祭壇画を仕上げる作業が残されている。


 絵に集中していると周りの音がすべて消える。ロキュは今何もかも忘れて描き出す世界の中に居た。祭壇画は観音開きの大きなもので、開いたその中央に磔の神の子が居る。がくりと垂れた頭部は茨の冠に傷つけられ血が流れる。手足の傷も生々しい。浮き出る血管や痩せた痛々しい肢体のリアルな表現もまた時代の要望に応えていた。ここに敬虔に祈りをささげる公爵夫妻の姿を描きこまねばならない。それが依頼人のたっての希望であることは知っている。だがロキュの絵筆は先に描いてきた肖像画に目をやったままぴたりと止まっていた。光沢のある布の深い紅や真珠の首飾り、金の縁飾り、血色の良い美しい肌。ロキュはずっと逡巡していた。

「思うようにお描きになればいいわ」
急に背後から声を掛けられてロキュは強張った。肖像画のテレシアを見つめすぎて、絵の中から声まで聞こえるほど呆けてしまったのかと一瞬たじろいだのだ。衣擦れの音にまだ信じきれぬまま振り向くと ロキュのすぐ後ろで腰を屈めて絵を覗き込むその人の姿があった。袖のレースが肩に触れ、香水の香りが鼻をくすぐる。
「近くまで来たので。今日は私ひとり」
「絵の具で裾が汚れます」
「大丈夫よ、衣装にはこだわらないたちなの。夫とは違ってね」
テレシアはまるで悪戯な子供のように口を尖らせ、夫の表情を真似て眉間に皺を寄せて見せる。もう一度ロキュの描きかけで止まった人物像のところを眺めくすりと笑った。
「私も変だと思うわ。そこに自分が今の姿のままで居たりしたらね」
思っていたことを言い当てられてロキュは内心どきりとした。
「でも、それは……」
「大丈夫よ、私が主人に言うわ。豪華なドレスを着て、顔を見せている私たちでなければ良しと思いにならないのですか、私はこの神聖な場に居合わせさせて頂くだけでも満足です。後世の人が誰と解らなくても一向に構わない。多くの過去の祭壇画のように扉の外の面に別に描いて頂いたって有難いわ、と」
テレシアの物おじしないきっぱりしたものの言い方にロキュは驚く。


 完成し教会に収められたその祭壇画は依頼主の不満足をよそに随分と巷の評判を呼んだ。画面にはしっとりと違和感なく馴染んで まさにその場面に居合わせたかのような夫妻の姿がある。描かれた姿は依頼主の深い信仰心と、誠実で控えめな人柄を感じさせ、地味な衣装で顔を伏せる夫人の様子も好感を持って受け容れられた。そしてその結果、公もしぶしぶではあるがその出来の良さを認める形となった。

「そうね……私も素晴らしい祭壇画だと思う。評判も上々。マイスターの弟子のロキュといえば皆その腕を褒めるわ」
自らの描いた祭壇画を確認しにロキュが教会に寄ると そこには幾度となくテレシアの姿があった。自分の名が工房を離れて世に知れ渡っていることはロキュ自身も知っていた。
「でも貴方は納得していない。これでもまだ、思う通りでは無いという感じね」
祭壇画を見つめるロキュの隣に立ったテレシアはいつもながら鋭い。近頃は人目も気にせずロキュの仕事場に一人で立ち寄ったり、話しかけたりもする。そんなテレシアの解き放たれたような自由さを喜ばしく思っていいものかロキュには解らない。彼女のことを想うとき心の奥から沸き起こる熱いものを、ただひたすら絵筆を動かすことで鎮めようとしていた。
「聞きたいわ。何処が気に入らないの?貴方の目指しているものは何?」
「解りません。ただ 本当に跪いて心から神に祈りを捧げたくなるのはどの画家が描いたとか、技術がどうだとか そういうものとは別のものだと思います」
「腕が良いと評判になるのは不本意?それとも『ロキュ』が有名になるのが困るのかしら?」
思わず振り返ってテレシアを見た。
「夫が貴方の身元を調べさせています。気を付けた方が良いわ」
耳元でそう囁くとテレシアは裾を翻してロキュの元を去った。甘い香水の香りだけが ロキュの周りに残った。国から来た使者が父王の重篤な病状とエーベルハルトの対外政策について報告してきたのはつい先日のことだった。

 国では父王の病状の悪化で兄のエーベルハルトがすべてを任された形になっている。隣国との交渉が決裂したのち、戦いに備えてエーベルハルトは隣国を囲むような形で周辺の諸国と同盟を結ぼうと図っていた。しかし、父王の時代から隣国とは友好が深く、商売だけではなく婚姻も多い。友人や親族が居る民も多かった。民の反発だけでなく、官僚や兵士の中にもこの政策に不満を持ち、争いに反対する者も数えきれず居たのだ。この国を含め同盟を持ち掛けられた国々の態度も未だ不安定で、いつ味方が敵に替わるか解らない。少なからずエーベルハルトの人間不信の気持ちも周囲に影響しているようだった。
国に帰って微力でも兄の力にならねばならない。でも自分に何ができるのだろうか。ロキュが思いを巡らしている時、コンラートが訪れ、思いもかけないことを告げた。
 国内でエーベルハルトのやり方に不満を持つ者たちが、次期国王にディートフリートを望んでいる。父王も元より兄のエーベルハルトではなくディートフリートに目を掛けていたのだというのがコンラートの言い分だった。
「まさか。そんなはずはない。そんなことがある訳がない」
「気が付かなかったところがお前らしい。他人に厳しすぎるエーベルハルトよりご自身に似た優しい性格のお前の方が為政者としての資質があると王は感じておられたんだ。そもそも、画家の修行をせよと国を追い出したのは誰だ?」
「決して追い出されたわけではない。兄は父を説得したと、見分を広めて来い、と そう言ってくれた」
「説得?王は何も知らされてはいなかったんだぞ。愛する息子が自分と国を捨てたと 王はそう思っておられる。そして混乱の今、それでも尚お前が居ればと、病の床の中でお思いになっている。そしてそれを一番感じていたのがあのエーベルハルトだ」
「何かの間違いだ。兄はそんな卑怯者ではない」
「今まで生きていられただけでも喜ぶんだな」
「父にお会いしたい。変わらぬ真心をお伝えしたい。今すぐにでも帰らねば」
「待てディートフリート。今、うかつに国に足を踏み入れるのは危ない」


 自分の部屋でロキュは画布に向かっていた。誰に依頼されたのでもない、自分のための一作を密かに描き続けてきた。磔の救世主の後ろに広がる風景は描いたのち消し、緞帳が下されたように深い紅の色に塗りこめられている。その前に立ち、嘆きのポーズをとる聖母の面差しはどこかテレシアに似ていたが、俯いて手で顔を覆い、色彩も極力抑えられ、肌や布の質感さえ彫像のそれに近かった。聖母と対をなし、弟子のひとりがこれもまた抑えた悲しみの表情で立ち尽くしている。筆を加えれば加えるほど、悲しみの弟子も磔の救世主も不思議なほど自分自身に似てくる。もっと神聖なものが描きたいのに、もっと自分を消して描きたいのに。どうしても描けない自分が悔しかった。

「お前の描きたかったのはこういったものだったのだな」
振り返るとマイスターが腕を組んで立っていた。尊敬する師匠の悲しそうな表情がロキュの心に影を落とす。先の祭壇画で夫妻の描き方に大幅な変更を加えたことを、マイスターは依頼主に責められたという。夫人のとりなしと事後ではあるが評判の良さで怒りは収まったものの今度は夫人がロキュと親しくする姿を見とがめられてしまった。そのようなことでマイスターは一言もロキュを責めはしない。いつも弟子を信頼し誠意を尽くして相手に語り、どんな時も自分たちを守ってくれることは兄弟子からよく聞かさていれた。
「誰よりも美しい風景を描けるお前が、誰よりも柔らかで温かな血の流れる人間を描けるお前が、それでも描きたいのはこのような祭壇画だという……」
ロキュはただ頭を垂れる。父や兄と勝るとも劣らぬ深い愛情と尊敬をロキュはこの老いたマイスターに感じていた。
「お前が正しいのかもしれないな。ロキュ」
そう寂しげに言うマイスターはその画布と、その先の片隅に小さく纏められた荷物を見つめていた。
「お世話になりました。御恩は一生忘れません、親愛なるマイスター」
今、ここを自分は離れなければならない。これ以上留まれば、マイスターにもテレシアにも迷惑が掛かるに違いない。ロキュは老マイスターと別れを惜しみ、心を込めて抱き合った。

* 
 故国は不安が蔓延し、民の心は荒んでいた。反逆者の疑いを掛けられた者は捕らえられ、密告する者を恐れ、すべての民が心安らぐ時のない日々を過ごしていた。
コンラートの言うのが正しいのなら国に還って父に会う前に捕らわれてしまうかもしれない。きっと兄は今、辛く苦しい立場に立ち、混乱しているのだ。話せば誤解は解ける。兄の力になる努力はできても代わりになることなど到底ありえない。自分は政に口を出す器ではないと知っている。けれどまず病の床にいる父に会い、今日まで勝手をしたことを詫び、決して国や父を捨てたわけでは無いと心を込めて伝えたい。そして兄に決して王になりたいなどと思っていないことを解ってもらおう。自分を担ぎ上げて兄を追い落とそうなどと考えている者が居るとしたら そんな考えは間違いだと正さねばならない。エーベルハルトのやり方が誤っているとしたら、「弟のディートフリート」として共に正しい道を探そう。きっとそうしよう。そして国が落ち着きを取り戻し皆が許してくれるなら、そして兄が自分にそれを望むのであれば、また絵描きの「ロキュ」として暮らしたい。国境に向かう山道を急ぎながらずっとロキュはそれだけを念じていた。
山あいの村の小さな教会に火が放たれたのを見たのは帰途に急ぐそんな最中だった。

***

 その小さな教会は静かな山あいの村にある。山を越えて旅する者は遠くからでもその美しい緑の木々とと花の咲き乱れる庭を目にし、つい足を踏み入れるのだ。そこは国が分かれていたころ国境(くにざかい)だったということだが 今は山越えの旅の間の丁度良い休息場所となり、旅の者の疲れを癒している。庭の世話をしているという品の良い老婦人は、控えめに、それでも何か確信を持った様子で礼拝堂に旅人を案内し、祭壇にまつわる昔の話をしてくれるのだ。

──かつてここには素朴な祭壇がありました。壁の中央高い位置に木彫りの救世主、祭壇の左右に 同じく木彫りの聖母と弟子が、村人の捧げるたくさんの花々にいつも囲まれて訪れる人々の祈りを聞き、見守っていたのです。国境の警備も緩やかで行き来も自由にできた時代で、隣国からもこの教会を訪れる人も多くいました。隣同士の国の民が、共に祈り共に語らう場としても愛されてきた場所だったのです。
ですが、戦争の気配が濃くなり、国が乱れ、内乱が起こった頃、その教会に反逆者が集い謀反を企んでいるというのが王子エーベルハルトの耳に入りました。政を仕切るのはこのエーベルハルトです。病の床に居るはずの老いた王は、この混乱の時の中すでに亡くなっていて、次期国王についてはエーベルハルトの弟の王子の名を言い残したという噂もありました。確かなことは解りません。
エーベルハルトの命により屈強な兵士が集められました。中には異教の者も居りました。
山あいの平和な村の小さな教会を兵が取り囲み 中に居た者たちは捕らえられ牢獄に連れ去られます。王子の命令がどこまでだったかは定かではありませんが、村人が愛した祭壇は聖なる像もろとも打ち壊され、炎に包まれてしまったといいます。

通りがかった一人の画家は、教会の惨状を見、村人の嘆きを知り心を痛めました。捕らえられた者の家族、巻き添えで怪我を負った者たちがそれでも教会を修復しようと力を合わせて働いています。画家は自分のできることをさせて欲しいと申し出て、自らに問うた後、壊れた祭壇の壁を塗り直し、そこに直接 絵を描き始めたのです。
 その画家ですか?そう、その画家に何の罪があったというのでしょうか、捕らわれてどこかに連れて行かれたそうです。ただ、囚われの身のまま、祭壇画を完成させることだけは許されたとのこと。再び戻って来て、兵の監視の下、絵筆を動かし続けたといいます。
絵は完成しました。が、画家は戻りませんでした。エーベルハルトは追われ、国境は無くなり両国の民に平和が戻りました。画家のその後のことは誰も知りません。

「これがその祭壇画なのですね」
旅の者が言うと、案内人の老婦人は深く頷いた。尋ねると、若い頃異国で結婚したこと、夫を亡くして後、故郷であるこの場所に戻って来たことを言葉少なに語ってくれる。
「皆『ロキュの祭壇画』と呼んでいます。画家自身は名を残すことなど望んでいなかったのですがね」
「ご存知なのですか。その画家を」
知っているとも知らないとも老婦人は答えず
──ゆっくりご覧になってくださいね、心静かに向き合うと、敬虔な気持ちになれることでしょう、それが画家の望みであり祈りなのですから。
そう言うと、旅人を祭壇の前に残して立ち去った。

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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
コメントOKです。
舞い上がって
喜びます。

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