STAND BY ME

生きることにちょっと 不器用な子どもたち、もと子どもたちの 短いお話を 綴っています

天使の落し物~光降る坂道で


Sexual Mystery Circle Vol.2 参加作品
結局テーマにとらわれず、自分の好きなように<少年たち>を動かしてみました。
心込めて相手の幸せを願うこと、真剣に相手を知りたいと思うこと
同性でも異性でも、それは「愛」だと思うから・・なんて かっこいいものではないけど
書いている間中、私がシアワセであったことは事実です(^。^)
珍しく沢山人が出てくるし、長い話になりますが、よろしかったらお付き合い下さい。



ひっそり



お題
「心臓は急激に膨れあがり肋骨を軋ませる程だった」で始まり
「そこには羨望が渦を巻いている」を含む文で締めくくること。

※今回のテーマとして<同性愛>について何かを書くという縛りがありました。(肯定にせよ、否定にせよ)


お題の出典: 『蝶々の纏足』 著:山田詠美




*****


心臓が急激に膨れあがり、肋骨を軋ませる。
激しい急ブレーキの音が、朝の通学路に響き渡った。


「おっはよう、タカトぉ」
足早に渡り切った隆人の後ろ、すでに赤になった信号を無視して
追うように渡ってきたのは、同じクラスの山垣直行だった。
車の窓から乗り出して怒声を浴びせる運転手をにこやかにやり過ごし、
隆人に向けて ぺろりと舌を出す。
「青になったからって 慌てて突っ込むんじゃないっつーの 
こんな狭い道路、そんなに急いでどこ行くんだよ」
直行は、隆人の横で跳ねるようにして話し続ける。

凍りついたような表情で横断歩道を見ていた隆人は、弾かれたように向きを変えた。
直行の前を、一層速度を速めて歩き出す。
一言も発しない。
きつく握ったこぶしが微かに震えているのに 直行は気が付いた。
「へいへい、交通ルールを守らない方が悪いです。何そんなに怒ってんの、お前
・・・おい?」

隆人の前に回り込み、さらに長身の直行は体を折るようにして、顔を覗き込む。
蒼白な隆人の顔。唇も微かに震えている。
「おい、大丈夫か?」
小刻みな身体の震えが止み、虚ろになった目がゆっくり光を宿し、
顔に少しずつ血の気が戻る。
「悪い。先に行っててくれ・・でなければ、
僕がもう少し遠ざかるまでここで止まっててくれ」

背筋のピンと延びた隆人が 中、高等部、二種類の制服に混じって少しずつ遠ざかる。
「一人にしてくれとか お前と歩きたくないとかさ・・
もっと解りやすい言い方があるだろうに」
ひゅうと風が吹き、中等部の生徒が道路の隅に捨てたビニール袋が
ふわりと舞って 直行の足元に落ちた。
指先でつまんで 持ち上げる。
つかつかとその生徒の所に歩み寄ると 
「おい、落し物」
まだ幼さの残る少年たちに 直行は拾ったゴミを突きつけた。
コソコソと肩をすぼめて謝ると逃げるように走り去る。
それでも、今日「新生徒会長に声かけられた」
彼らは誇らしげに吹聴するのだろう。




その視線にずっと気づいていた。
その視線の意味をずっと考えていた。
誰かを思い出す。
でも、その誰かの輪郭を掴もうとすると闇の中に紛れてしまう。
胸の奥にどんよりと霧だけが残る。
霧の中でもがく。
行き場の見えない恐怖で足がぶるりと震えた。
過去の記憶を探る作業は、ぎりぎりと傷をえぐられるような苦痛を伴う。
隆人は目をきつく閉じた。


「やっぱ、タカト見てるぜ、あの坊や」
ひゅう、と口笛を吹いて直行が隆人の肩に手をかける。
気づかない程微かな嫌悪を示し、
できる限り自然に身体を捩って隆人は直行の手を払う。
ひとの手の、その温度までも払い落とすかのようにさらに反対の手で、自分の肩を隆人は拭った。
「何だよ、相変わらず。俺はばい菌ですか?」
直行が顔を寄せて襟首を掴むと
「いや、別に・・そういう意味じゃない。気に障ったら、ごめん」
素直すぎるくらいにすぐ謝る。でも、口だけなのは 直行にも解っている。
「謝んなよ、お前、マジうぜ。直す気もないくせに」
認める、謝る・・会話を続ける気のないときの 隆人のいつものやり方だ。

隆人と直行。
二人が並んで歩くだけで、学内だけでなく、どこに行っても注目が集まった。
通学途中で出会う女子高生だけでなく、学内の同性の後輩からも、
熱い視線で見られるくらい、二人には慣れっこのことだ。




「静也、行くぞぉ」
離れていく隆人の背中をじっと見つめていた桐谷静弥は、
鷺澤草太の明るいトーンの声に振り向いた。
「何、見てたの?ああ、島崎先輩と山垣先輩だ」
絵になるよな、ほんと。何かタレントみたいだよなぁ、
指でフレームを作りながら二人を眺め、素直に褒める友人に
静也は笑いながら歩み寄る。
「あの二人って親友なんだ?」
「んー、兄貴に言わせればさ、島崎先輩って物凄いバリヤーあるらしいぞ、
周囲にこーんくらい」
草太は両の手をいっぱいに広げて見せ、ちょっと渋い顔を作って笑った。
「本気で親友なんて 作るかね」

草太には、隆人たちより一学年上の高等部3年の兄がいる。
三兄弟の一番上の兄もここの卒業生で、親もそうだというから、情報通なのも肯ける。
入学してすぐに入った新聞部でも先輩以上に色々知っているのが自慢で、
古株の先生たちとも、周りがわからない会話で盛り上がっていたりする。
学園の生き字引、中等部一年にして、このあだ名だ。
どんなに近づいても表面上の情報しか集められそうにないタイプの島崎隆人は、
苦手な一人なのかもしれない。

「で、何? ホレちゃったとかぁ?」
からからと笑いながら草太が言うと、何だかそんな話題もさして特別な感じはしない。
「まー、難しい恋になりそうだね。いくら静弥でもさ」
「いくら・・って何、それ、どういう意味?」
「おや、何の自覚もないとは言わせませんぜ、自分のビジュアルにさ。
 そこまで純真無垢ってわけでもないだろう、お前」
能天気でお喋り、がさつそうな見た目の草太だが、案外カンはいい。
「下手に近づくと、嫌われるだけじゃ済まないぞ。憎まれたりしてさ」
「憎まれる?」

「マジな顔すんなー。何となくそんな気がしただけ。失言、失言」




「きゃぁ・・」

乗り換えの駅で電車を待っていると、数列後ろの女子高生が甲高い声で叫んだ。
苦しそうな息をして、その場でしゃがみ込んでいるのは隆人だ。
電車待ちの列にいた静弥が、振り返って様子を見ようとすると、
後ろにいた男性が迷惑そうな顔をした。
「大丈夫ですか?」
おそらくは そんな風に声を掛けている女子高生の後姿と青ざめた隆人の横顔が
人ごみのすきまからちらりと見える。
しかし、何があったのか、助けようとした女子高生の友人が、
なお苦しそうにしている隆人に向かって
きつい調子の言葉をあびせ出した。ホームのざわめきで何を言っているのかはよく解らない。
間もなく駅員が駆け寄ってきて隆人を支えて救護室に連れて行った。

「あの態度はないよね、春香。ほんとに何て男なんだろうね。
ちょっとカッコいいからと思って」
春香と呼ばれたその子が、隆人を心配して助け起こそうとしたのは遠目でも解った。
「ほっといてくれ・・だもんね、失礼なヤツ」
友達が自分のために怒っているのに春香はただぼうぜんとしている。
不自然な雰囲気が気がかりで、電車待ちの列から出て人を掻き分け近づくと、静弥は春香たちに声をかけた。
「島崎先輩が何か失礼なことしましたか?」
「島崎?・・ああやっぱり やっぱり『しまざきたかとくん』だったんだ・」
「何、春香、知ってる子だったの?」

「ねぇ、キミはたかとくんのこと良く知ってるの? あんな風に・・よく倒れるの?」
春香が静弥に詰め寄る。その真剣さに気おされる。
「いえ・・僕は」
そんなに付き合いもなくて・・。静弥は言葉を濁す。
中等部に入学してまだ、1年も経っていない。高等部2年の隆人と接点がないのが普通だろう。
「たかとくん」?・・知り合いなのか。
「どうしよう・・きっと、わたし・・わたしたちが あんな話してたから・・・。」
「何よ、春香、どういうこと?」


春香と少し話をして、自分の名を告げメールアドレスを渡し、静弥は救護室に向かった。
「・・『大天使』様だったとはね・・」
図らずもメンバーが集まってきた・・不思議な吸引力、それこそ誰かのお導き?
「どこに導いてもらえるのやら・・・」
静弥は自嘲的に笑うと隆人の後を追った。



片手で春香のアドレスを打ち込みながら、救護室のドアを開けた。
長いすに静弥はゆっくり近づき傍まで行くと、隆人の白い顔をそっと覗き込む。
静弥は隆人の前髪に手を伸ばし、ふわりとかき上げた。
「何するんだ!!」
眠っているかと思われた隆人が、青い火花でも散るかのような激しい声を上げた。
ついたてで隔てられただけの駅員室全体の空気が一瞬凍りつく。
二人の間に予期せぬ緊張が走り、周囲の人たちが息を止めて見守る。
事情が全く飲み込めない。気まずい沈黙の後、やっと駅長が声を掛けてきた。

「そ・・そんな大声が出るようなら、もう大丈夫かな?
 キミは同じ学校? 一緒に学校まで付き添ってくれる?」
隆人は起き上がり、身支度をするときちんと毛布をたたみ、
「ありがとうございました。もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
駅長に隙のない笑顔をみせると、くるりと向きを変え、
静弥に一言も言わせないでひとり部屋を後にした。

「何だか不思議な子だね。キミを置いてっちゃったよ。先輩?」
ひとの良さそうな初老の駅長は残された静弥に気を遣って、話しかける。
「はい。生徒会の副会長です。でも・・彼は僕のこと知りませんから」
「助けようとした女の子の手も 思いっきり振り払ったんだって・・。
 礼儀正しそうな子なのにねぇ・・」
なおも、納得がいかないと首をかしげる駅長に、静弥はにっこり笑って答えた。
「先輩が女子に興味ないのは知っていましたけど・・
あの様子では、ボクの気持ちにも応えてくれそうにないですね」
唖然とした顔の駅長にぺこりと頭を下げ、静弥はホームに駆け出した。

前髪の下に隠された傷。
静弥はじっくりとその形をなぞるように 思い浮かべる。
─たかとくん・・僕はずっと、あなたを見ていたんだよ。




「何でダメかね、真面目にするって言ってんのにさぁ」
昼休みの中庭で直行がぼやく。
「お前も説得付き合えよ、いい案だと思うのに」
隆人は直行をひとり 喋らせたまま 本から目を離さない。

「せんぱーい」
あれから学校で 静弥はよく近づいてきて、休み時間を直行と喋って過ごしたりする。
「おう 駅長室で置き去りにされた少年と、生き字引か」
静弥と草太が手を振ると、直行はこっちこっちと傍に呼んだ。
「直行先輩、何か イライラしてます?」
カンのいい子だな、と思う。
気づくと静弥の視線がいつもこちらを向いていた。髪をかき上げられたのは何故だろう。
触れられたくない傷をわざと見た、と感じるのは考えすぎだろうか。
隆人はどうしても 静弥に苦手なものを感じて、避けてしまう。
今も、直行が相手しているうちに、立ち去りたい衝動に駆られた。


「何が問題なんですか?」
「クリスマス祝賀会だよ。生徒会の出し物」
「あ、知ってます。毎年生徒会の先輩方が聖歌隊とかやって下さるんでしょ。
 お祈りと園長先生のお言葉、神父様のお話、クリスマスっていっても 楽しみがないって親の世代は文句言ってて・・卒業した先輩が作った一つだけのお楽しみが 生徒会の出し物なんだ、そうですよね?」
「さすが 生き字引」
得意そうに鼻を膨らます草太の頭をぐりぐりと撫ぜて 直行はからからと笑った。
 
「そこでだな、今年は趣向を変えて、と・・・オレは考えた」
間合いを取って、直行は二人の興味を引く。
「幼稚園で練習の声が聞こえたんだ、コレだ、と思ったね」
「聖劇ですか?」
「正解。静弥も聖親幼稚園?」
静弥はなぜか、ちらりと目線を外し、ゆっくりと隆人を見た。
隆人は本に目をやったまま、微動だにしない。
「いえ・・僕は違います。その頃は他県にいましたから」
「僕は卒園生。クリスマスの伝統です。数十年来同じ台本でやっていて
・・先輩、あれをやるつもりなんですか?」
「男のマリアさまはちょっとねぇ・・って教頭に物凄く嫌な顔されて、ボツ、かも」
静弥がプッとふき出し、草太は少しほっとしたような表情を浮かべる。
「いい案だと思ったのになぁ・・もう 歌も覚えちゃったのに」
─御子の生まれし清きこの夜、みんなでお祝いいたしましょう・・
直行が歌いだすと かき消すように予鈴が鳴った。
本をパタンと閉じて 隆人がつぅと立ち上がる。
「おい、待てよ」
またな、と二人の後輩に手を上げて、直行は慌てて 隆人を追った。


その幼稚園は、なだらかな坂の途中、教会の敷地内にある。
テスト期間などで、帰りが早い時、直行は駅からゆっくりと坂を下りながら、
幼稚園から聞こえる幼い子ども達のざわめきを聞くのが好きだった。
カトリックの私立幼稚園だが、最近は信者の子だから・・というのも 案外少ないそうだ。制服がかわいいとか、行事で綺麗なドレスが着られるとか、そんな入園理由もあると聞く。
クリスマス祝賀会は最大の行事のようで、可愛らしい練習の声が聞こえてくる頃は、お迎えや、交通安全の旗当番に来て、立ち話する母親のテンションも高い。
配役へのあれこれ、わが子の衣装の話、無邪気な歌声の響く中、母親たちの関心は少し別の方向を向いているみたいだ。

系列の小学校はないので、一旦卒園生はばらばらになるが、
同じカトリック系で場所も近く、雰囲気を同じくするこの学園に息子の入学を希望する親も多い。
卒園生の再会する場。ただし男子校なので、初恋の「彼女」との再会はあり得ないんだけれども。

幼稚園の入り口に立つ。今日はもう園児たちも帰った後で 園庭は綺麗に片付いていた。
門は閉ざされているが奥で枯葉を掃いている中年のシスターと目が合った。
「あの・・」
とっさに直行は声を掛けた。



「聖劇を・・ですか?」
柔らかい微笑みを絶やさずに、シスター姿の園長は直行に紅茶を勧めた。
「はい、ふざけた意図ではないんです。でも教頭先生のダメ出しもあって 実現するかどうかも解らないんですが・・」
「ダメ出し?」
「あ、はい。男のマリアさまはちょっと、って」
「そうね、男子校ですものね」
園長は尼僧の装束に包まれたふくよかな身体を揺らしクスクスと笑って直行を見た。
「お笑いにするつもりはないんです。女装だってダメならやらないし。だいたい笑われるようなものをやるなんて言ったら、隆人が絶対反対するし」
隆人の名前が出たとたん、園長が笑顔を曇らせた。
「隆人って・・違ってたらごめんなさい・・まさか『しまざきたかと』くん?」
「そうですが・・?」

隆人が全然無関心な様子だったので、聞きそびれていた。
卒園生だったことも知らなかった。それならば聖劇経験者だということも 簡単に想像ついたはずなのに。中等部からもう5年一緒に過ごしてきたのに、隆人のことは実際はよく知らない。そんなことに今更ながら気が付く。
真面目で、誰にでも公平に優しくて、物静か。誰もが認める優等生。
今、電車通学だということは、あれで通ってきたのだろうな。
窓から見える園児送迎用の天使の絵のついた小さなバスに目をやりながら、直行は幼い隆人の姿を想像してみた。幼児らしくはしゃいだりダダをこねたりする隆人の姿など、到底想像できない。

「・・・・元気にしている?」
暖房が効いた部屋なのに、まるで急に寒くなったかのように両手をすり合わせ、
俯いたままの不思議な長い沈黙の後、かすれた声で 園長は直行に聞いた。
「はい。オレが無理やり引っ張って、彼が生徒会の副会長で・・」
そう答えながら、園長の表情を窺う。卒園生のひとりひとりを、先生っていうものはそんなに覚えているものなのだろうか?
「そう・・」
何か言いたげになった口もとが、少しの間をおいてきゅっと引き締められる。微笑みが消えると、随分厳格な印象になった。
丁度廊下から園長を探す声が聞こえ、続いてドアがノックされた。
「はい、今行きます」
園長は直行に目礼すると立ち上がった。

「聖劇はクリスマスの意味を伝え、心を清らかにしてキリストの降誕をお祝いするもの。ただのお芝居ではないのよ。
 私たちがとても大切に伝えてきたものだってことも、解っていて欲しいですね」
ドアノブに手をかけながら 園長は穏やかだがきっぱりと言い、壁に掛けられた幾枚もの写真に目をやった。
直行も同じように 目を向ける。
マリア、ヨセフ役のこどもを中心に多くの園児たちが衣装を着けた集合写真が、古くて黄ばんだもの(おそらくは親の世代からの)ずらりと並べて掛けてある。

「また、いつでもいらっしゃい」
許可とも拒否とも取れない言葉だけ返して、園長は部屋から先に立ち去った。




嫌な夢をまだ見る。

少女が自分に向かって駆けて来る。
立ちすくむ。 金縛りにあったように身体は動かない。
大きな擦る音。叫ぶ声。何かがぶつかる鈍い音。
目の前が真っ暗になって少女の姿が闇に消える。

落ちていく。
落ちていく。

こめかみ近くの傷がうずくような感覚を残し、目が覚める。
後ろの側溝に転落して、あの時できた傷。
「あの瞬間」からの後のすべてを見届けずに済ませた「都合の良い」傷。



髪をかきあげ、もう痛むはずのない傷を鏡で見ていると、こちらを不安そうに見つめる母の奈津子の姿が鏡の奥に映った。振り向くと奈津子はもうそこにはおらず、キッチンで皿を洗う音がした。
「おはよう」
先ほど鏡の中でお互い姿を見たことなんか なかったように声を掛け合う。
朝食を食べ、制服のジャケットを羽織ると奈津子がいつものように眩しそうな目をして隆人を見た。
「いってきます」
物言いたげな母ににこりと笑って見せ、隆人は家のドアを開け、いつものように駅に向かった。女子高生の前で倒れた日から、隆人は家を出るのを30分早くした。
枯葉を巻き上げ、冷たい風が吹き付ける。
道路の先、横断歩道と信号の点滅が視界に入ったとたん、首の後ろに冷たいものが走り、隆人は堅く目を瞑った。
─どうしたら、忘れることができるのだろう。


「タカト先輩」
駅から出ると 声をかけてきたのは静弥だった。
思わずこめかみに当てた手をぎこちなく下ろした。
「電車、30分も早くしたんですね」
人懐っこい笑顔、まだ少年のような声。
改札を出て歩き出す。何でお前まで、また同じ電車?疑問を言葉には出さず、隆人はあいまいに会釈して先に行く。
坂は二手に分かれていて、大きくなだらかな坂が正門に、小さく急な坂が裏門に通じている。目指す校舎や部活動場所、自転車置き場が近い方など 中高関係なく入り乱れてどちらかの坂を登って登校している。隆人が正門に向かう坂に足を向けると、静弥が追ってきた。
「隆人先輩は、ずっとこっちの坂を使ってるんですか?」
小さな静弥が隆人に歩幅を合わすと小走りのようになる。
「正門から入る方が好きなんだ」
隆人が答える。できれば一人で歩きたかったが、静弥はお構いなしに後ろを追いかけてくる。
「・・・・幼稚園ですね」
道路の反対側に幼稚園の門が見え、第一便の通園バスが門の中に入っていくところだった。ちらと見ることもなく、隆人は足を速める。
「クリスマス祝賀会の聖劇、」
静弥がぽそりと呟く。
「僕、歌えるんですよ、マリアさまの歌」
びくりと肩を震わし振り返る。静弥は真っ直ぐ隆人を見返す。
静弥は澄んだまなざしで見つめ、ふふ、と目を細めて笑う。
「10月から練習してるじゃないですか。聞いてると覚えちゃいました」

風に乗って、園児たちの歌声が聞こえてくる。
─いざ行かん 明るき星に導かれ、救い主は今こそ生まれぬ
隆人の胸が またきりきりと締め付けられるように痛む。



「納得できないなぁ」
直行がまたぶつぶつ言いながら 隆人の周りをうろうろする。
「お前、澄まして本ばっか読んでないで、何か意見出せよ。どうなの、反対?賛成?」
劇に関して 全くノーコメントを通してきた隆人に直行がそろそろじれ始める。
「おかしいじゃないか、誰に聞いても反対も賛成もしないって 何で?
 この話出すと、皆何にも聞こえなくなっちゃうみたいでさ、どうなってんの?
これ」
隆人は本から目も上げない。
「嫌なら嫌、ダメならダメであきらめもつくさ。例年通りの聖歌隊でも構わないさ。
 でも、変じゃない?何で 無視よ、訳わかんねぇ」
「先輩!」
途中から傍に来た草太が、直行の腕を引っ張る。
「お前さ、説明してくんない?この疎外感は何?オレ何か空気読めないことやってんの?」
「直行先輩!ちょっとこっち来て下さい。」
小さな草太に思いっきり腕を引っ張られ、直行はしぶしぶ 草太に付き合ってその場を後にした。


「何だよ 生き字引。よそ者のオレに何か教えてくれるっての?」
「先輩は、ここの中学に入る前 他県から引越しして来られたんですね」
「そうだよ、だからよそ者なんだろ。地元ったってあちこちの小学校から集まって来てるくせに 
 何だよ、もお。オレだけのけ者みたいな雰囲気にしてくれちゃってさ」
直行は子どもみたいにむくれて、ドカンと中庭の芝生に座り込んだ。
少し離れたところに 静弥の姿もあった。
「静弥も引越し組なんだろ?変だと思わないか?この雰囲気」
「僕は・・」
静弥が何か言いかけたのに気が付かなかったのか、草太が話し出した。
「先輩、みんな事故のこと、言い聞かされて育ってるんです。みだりに話さないようにって。
 それに隆人先輩は一番辛い立場だし」
「事故って?隆人が何?」




「こんにちは」
坂道を駆け下りて、直行は幼稚園の園庭のエプロンの先生に声を掛けた。
「園長先生にお会いしたいのですが」
体調不良と偽って早退届けを出し抜けてきた。まだ、園児はバスを待って三々五々園庭で遊んでいた。
マフラーを頭から被って、台詞の練習をしている女の子、聖劇の歌を歌っているグループ。
同じ部屋に通された 直行は改めて、壁の写真の額をひとつひとつ見て行く。
××年度、××年度・・・・。
丁度直行たちが年長児だった年度が抜けているのを 直行は確認した。
この空白が隆人の胸の錘として迫ってくる。
静かにひとつ大きな息を吐き出すと、ソファに座り 園長を待った。

「事故のこと 聞きました」
園長と向かい合って腰をかけると、直行は切り出した。
園長室には緩やかな初冬の日差しが差し込んでいる。園庭の幼子たちのざわめきも、窓ガラス越し、遠くに聞こえてくる。
「たかとくんは、今どんな?・・私ね、その頃、まだ新人で、たかとくんの担任だったんです」
よく覚えています。賢くて、誰にでも親切で、おしゃべりで活発なこどもだったわ・・
園長は静かに 隆人のことを語りだした。
「おしゃべりで、活発ね・・」
こちらから「知ってます」と切り出さなかったら、決して話してはくれなかっただろう。
悲しい交通事故のことを、亡くなった園児のことを、軽々しく話さない・・
亡くなったその子と悲しみに沈む家族のために祈ることだけ、幼稚園では徹底して幾度もお話があり、
素直な子ども達にその教えは 浸透し、刻み込まれた。
話渋る同学年の卒園生や草太たちに、あらかじめ聞き出しておいて、正解だったな・・と直行は思う。
「そう、優しくて、穏やかで 真面目で・・・いいヤツです・・ただ」
「ただ?」
「本心が見えないっていうか・・僕は中学からずっと一緒のクラスにいて友達のつもり、なんですが」
「事故のことなんかは全く?」
「知りませんでした。小学校が同じだったヤツから聞いた話では、この時期になると体調を崩し、欠席が増えたそうです。
 事情を知っている者は、まさかここの近くの中学へわざわざ受験して入るなんて思わなかったそうで・・」
「もう 5年も通ってるのね、まだ、そういう状態は続いているの?」
「いえ・・。意地でも休まないっていう感じで・・坂も絶対 ここの前を通る正門側を使います」
「彼なりに 避けず、乗り越えようとしている?」
「はい。でも、それがかえって痛々しくて。隆人は他人には苦しい顔見せないし」
つなぎ合わせれば気が付く。
この5年間でも数度、隆人の青ざめた顔を見た。震える唇を、堅く握り締めるこぶしを見た。
誰にでも優しい顔の後ろに、決して他人を入れないバリヤーも感じてきた。
季節になると体調に出ていた頃の方がきっと解り易かったろう。
もう「おしゃべりで活発」でない隆人。
不自然までに過去の話をしなかったのは隆人自身がまだ何かを引きずっているからではないのか。
幼稚園で同じ学年の女の子が 横断歩道で車に跳ねられ、死んだ。
信号は赤で、道路の向こう側にいたのは、ほんの5歳の隆人。
少女は隆人に向かって駆けた。
だから?だから何だ?
「隆人とその子・・めぐみちゃんは そんなに仲が良かったんですか?」

「とても 大人しい子だったの。主役にするなんて、私も考えていなかった」
園長は少しの間、直行を見つめ、そして隆人の年度だけ抜けた記念の集合写真に目をやった。
「たかとくんは・・彼は早くからヨセフ役が決まっていてね、私聞いてみたの。
マリアさまは誰がいいと思う?って」
隆人は、大人しくて目立たないめぐみの名を挙げた。
とても綺麗な声で歌うのを聴いたことがある、めぐみちゃんがいい、5歳の隆人はきっぱりと言った。
子どもをマリア様役にしたい母親 やりたいという女の子は他にも沢山いた。
例年のことなので、歌やバレエを習わせて わが子をマリアさまに、と入園当時から力の入った親もいる。
何故、あの子が・・嫉妬と羨望に満ちた目で練習を見つめられ、めぐみちゃんは更に緊張する。
何度言われても舞台の上で声が出なくて 毎日毎日泣いていたのだという。
そんなめぐみちゃんの手をいつもきゅっとつないで、励まし、庇い続けていたのがヨセフ役の隆人だったのだ。

「事故の当日は 何かあったのですか?」
幼い隆人が 目立たない一人の女の子を励まそうと一生懸命になる。
穏やかな表情に反し、触るだけでびりっと電気が走るように振り払うあの隆人が、
つないだ手に力込め、周囲のプレッシャーから女の子を守ろうとする。
それが、もともとの隆人なのかもしれない。
そんな隆人のいる道路の向こう側へ 駆けていく少女。直行は目を閉じて想像する。




「母さん、この前ね、大天使に会った」
幼い少女の写真に花を供える母、美幸の後姿に、静弥は声を掛けた。
「え?」
「何でもない。行ってきます」

美幸は伏目がちに微笑んで、
「電車、随分早いのに乗ることにしたのね、今までのでも十分に間に合ったでしょうに」
まだ同じくらいの身長しかない息子の肩のほこりを払って、
「いってらっしゃい」
と手を振った。
「母さん」
「何?」
「今年の命日も・・自分で花は供えられない?」
言ってしまってから、静弥は少し後悔する。
母の表情がみるみる曇り、唇がもう小刻みに震えたのを見てしまったからだ。
「ごめん・・」
一言言うと静弥は後ろ手でマンションの玄関扉を閉め、足早に階段を駆け下りた。

大天使だけでなく・・ヨセフさまも身近にいるんだよ。
悲しさは比べることはできないかもしれないけれど、同じように傷ついたヨセフさまがね。
マンションのエントランス脇の大きな木のイルミネーション。
「お祝いしましょうクリスマス・・か・・」
静弥は母の手渡したマフラーを無造作に首に巻きつけた。


「草太」
坂道を登りながら、静弥は前を行く草太に呼びかけた。丁度幼稚園の前に差し掛かった時のことだ。
「何だよ、いきなり。深刻な顔しちゃってさ」
「・・あの事故が起こった日はさ ちゃんと歌えたのかな」
草太がきょとんとした顔で振り向く。
「あの日 リハーサルがあったんだ、聖劇の」
意味を取りかねて 草太は首を傾けたまま静弥の言葉を待った。
「母親・・マリアさま役の女の子の母親はさ、見ることができなかったんだよ。
 赤ん坊の弟がぐずるから、廊下に出ててね・・。だから・・・」
「そんなこと、何で静弥が?」
「めぐみの・・僕の姉さんの最期の日、リハーサル終わった時に出来栄えを聞いてもやれず 僕を泣き止ますのに必死だったそうだ。
 赤になった信号にも気づかずに、隆人くんに向かって駆け寄った時、どんな表情で 何て言いかけてたのか・・
 母には解らないんだ。誰にも聞けなくて」

めぐみを亡くした後、母は自分を責めたのだ。
弟の世話が忙しいと言って十分構ってやらなかったこと、
弟を抱いていたために、飛び出しためぐみを助けられなかったこと。
人見知りで臆病で、付き合いの下手なのは 母だったのだ。
大役を貰って喜んであげるべきなのに周囲にばかり気を遣って小さくなっていた。
「無理だわ、役変えて貰おう」
母はめぐみに何度も言ったのだ。けれどめぐみはそれだけは譲らなかった。

めぐみの死後、嘆くばかりの母を心配して、父は別の土地でやり直そうと引越しを決めた。
めぐみのためにいつまでも悲しむより、静弥のために笑って生きよう、そしてまた新たな命を授かろう。
そんな慰めが余計に母を苦しめ、痛めつけた。母の闇は深い。
悲しみの癒し方が、乗り越え方がお互いに違いすぎて、せっかく父の思いやりも母の心に届かなかった。
きっと、誰も悪くないのに。
やがて、母は、めぐみがまだあそこにいる・・とうわごとのように言って、元の地に戻り、やがて夫婦は離婚した。
「桐谷は母の姓なんだ。小学生の時、自分の意思で母の元に来たんだよ。
小学生なりに、あのまま、母をひとりにしておくわけにいかないと思ってさ」
静弥は草太に向かって、淡々と喋った。
「そのくせさ、母は結局、事故のあった場所に花ひとつ供えに行くことができないんだ。
命日だとちょうど聖劇の練習の声も聞えてきたりしてさ、仕方ないんだけどね」

今まで誰にも言わなかったことだ。
止まったものが少しずつ動き始めている、静弥は思う。

「誰も悪くないっていうのはさ・・」
草太は考え、考えながら答える。今、どんな言葉が必要だろう。
「何だか 辛いよな」



「次の年、どんな風にクリスマス祝賀会や聖劇をやるのか悩んだのよ、私たちも。でもね・・」
次の年も、その次の年も、そして今までずっと、同じ劇は続けられたのだ。
いなくなってしまった女の子のため、未来を生きる子どもたちの幸せのために、
祈りを込めて。

「たかとくんに何か言って上げることができたらと、いつも思っていました。
でも、彼はまだ、園に足を入れることはできないみたいね。
きっと・・・あと少しのことだと思うのだけれど」
そう言うと 園長は直行をじっと見つめた。

─そして、気がかりは、もう一人・・。
めぐみちゃんの命日にずっと、お母さんの代わりに花を供えに来てくれる少年。
めぐみちゃんには、その時まだ、赤ちゃんだった弟さんがいるんです。
静弥くん・・と言ったっけ。


「静弥くん」・・園長の話を直行は頭の中で繰り返し考えていた。
やたらと周りをうろうろすると思ったけれど、静弥は最初から隆人のこと、解ってて近づいてきたんだろう。
隆人に何を告げるため? 隆人から何かを聞きだすため?
ちくしょう、アイツ、下手なこと言って隆人を傷つけたら承知しねぇ。
直行の荒っぽい歩き方に、駅前広場の人馴れした鳩も驚いて一斉に飛び立った。
白い鳩が一羽、後に残って小首をかしげて 直行を見た。



「静弥ちょっと来い」
中等部の教室に直行が顔を出すと、生徒たちの視線が一斉に集まった。
「何ですか?」
いつもの静弥の笑顔が、今日は素直に可愛いと思えないのも仕方がない。
中庭まで連れて行って 直行は静弥に問う。
「俺は、コソコソしたり駆け引きしたりするのが苦手だ。
お前の傷にも触れる覚悟して聞く。めぐみちゃんの弟なんだな、お前」
静弥はまるで、こういう事態を予測してでもいたように、落ち着いた声で
「ええ」
と、素直に答えた。
「では聞くが、お前が隆人に近づくのは何故だ?逆恨みなら・・」
直行の言葉を黙って聞く、静弥の真っ直ぐな視線に直行も戸惑った。
「ごめん、こんな風に言うつもりじゃなかったんだ。何だか頭に血が上っちゃってさ。
何にも知らずに隆人の横で『聖劇、聖劇』って騒いじまった俺がさ、情けなくて。
ヤツあたりだよな。ほんとごめん」
静弥は首を静かに横に振った。
「毎年花を供えながら、お前はずっとどんな風に思ってきた?・・俺はただ・・
生きてる者が・・隆人だけじゃなく、お前も・もっとすっきりと単純に幸せになれないものかな・・と思うんだ」
「僕も・・?」
「お前もだよ」
勢いで静弥を呼び出したことを直行は今更ながら後悔していた。

「僕がこちらに帰って母と暮らし出した時、隆人先輩はもうここの中等部でした」
「命日にもう一つ、必ず先に花束がありました。隆人先輩が供えた花でした。
普段はその坂を上りながら、決して立ち止まらず、幼稚園の方を見もしない
そのひとが『たかとくん』だと知ったのは、その後でした」

ずっと、隆人の姿を探して見つめてきた。
このひとも「本番の日」が来ないまま足踏みしているんだ・・。
「生きてる人が すっきりと単純に幸せに・・僕もそう思います。直行先輩。それから、そこの草太」
後ろを振り返ると、ただならぬ雰囲気に、心配して着いてきた草太がいた。





「素晴らしい出来だったのよ」
ファミレスの明るい窓際。静弥と草太、春香は向かい合って座っている。
「いつもは声が出なくって、泣きながら練習していためぐみちゃんが
 リハーサルで高々と歌って、立派に台詞を言い、最後までやり遂げた」
「あなた、めぐみちゃんの弟だったんだ・・」
春香はゆっくりとジュースをストローでかき混ぜると、飲むこともせず氷をつついて考え込んでいた。
「隆人くんがあの日、 何かの用事があってバスに乗らず、お母さんと帰るようにしてたんだと思う。
そういう子は皆より先に帰ることができて・・だから 隆人くんだけ園から出て」
「横断歩道を渡っていた?」

草太が納得したように何度も頷く。
「なるほどね。だからその時間、外にいたのが隆人先輩たちだけだっわけだ」
「姉は・・めぐみは その日ちゃんとできたんだ マリアさまの役」
静弥は首を伸ばして顔を上に向け、目を閉じて静かにふぅと息を吸い込む。
「ほんとはね、私もマリアさまがやりたかったの。
大天使だっていい役よ。でもね、マリアさまは特別。 台詞も多いし、一人で歌う歌もある。
それに・・私もたかとくんのこと大好きだった。人気者だったのよ」
春香は少しずつ、その頃のことを思い出しながら 語りだす。
「だから、歌えなくて怒られて泣いてるめぐみちゃん見て、私、笑ってた。幼稚園児だって、嫉妬する。
でもね、リハーサルの日は、素直にめぐみちゃん、凄いって思った。たぶん皆同じだったと思う」
静弥がゆっくりと視線を落とす。
「・・ありがとう。じゃあ、いいリハーサルが出来たんだね」
春香が一度小さく肩を震わし、そしてこくんと肯いた。


直行に連れられて、隆人がその店に間もなくやって来る。




「笑顔だったのか」
直行が聞く。
「・・・ああ」

何度も夢に出てくるのは、その子の姿だった。
次の瞬間からもう 未来が消えていくのに、自分は何もしてやることができないのに
笑顔で駆け寄って来る女の子。・・・静弥は その子の弟だったのか。
不思議とすんなり納得がいった。
見つめる目が誰かを思い出すと思っていたのは間違いじゃなかった。

あんな風に終わってしまうのに、本番なんてもうないのに、何であんなに毎日辛い思いをして
練習させてしまったのか。
「役を変わりたい」とめぐみちゃんが言えなかったのは、僕のせいだ。
そういう風に、ひとに関わって、自己満足で応援して励まして、
結局 何もできないまま 逃げた。

「逃げたなんて・・」
春香がキッと顔を上げ、隆人に言った。
「事故を目の前で見たら誰だってショックだわ、たかとくんだってその時倒れて大怪我したんでしょ」
「たとえどんなに ショックだったとしても・・」
テーブルの上に乗せた手を強く握り、首を横に振る隆人。
隆人の言葉を制して、直行が口を開いた。
「俺は・・・隆人が自分を責めることなんてないと思う。
俺は、あの世も神様も生まれ変わりも霊とかだって、信じちゃいないけど・・
俺がめぐみちゃんの立場だったらって考えてみた」
直行は ひとりひとりの顔を順番に見やり、そして続ける。
「考えたけど、こんなに皆がいつまでも拘ってるのってやっぱ おかしいと思う・・」
そう言ってから 静弥の方をもう一度見て
「ごめん・・こんな言い方は 静弥のご家族には悪いかもしれない」
静弥が苦しげに目を逸らす。

「僕は・・」草太がやっと声を出した。
「自分が聖劇をやった幼稚園の頃を考えてた・・ああ、不用意なこと言ったらすみません」
前置きして草太が話す。
「たかが5歳じゃないですか。そんな頃の自分たちを責めてどうするんですか?
静弥のお母さんだって、お父さんだって何にも悪くないし 不幸な事故で亡くなっためぐみちゃんには
何を言ってあげたらいいか、確かに僕も解んないけど・・」

「姉はマリアさまをやり遂げて、笑ってたんだ」
窓の外に目をやっていた静弥が 視線をテーブルに戻してぽつりと言った。

「『明日も一緒に 頑張ろうね』・・たかとくんに駆け寄って、そう言いたかったんだと・・僕はそう思う」






「これ、見つかったから」
母の奈津子が隆人の顔を不安げに見る。
隆人の方が随分背が高くなった。見上げるという方があたっている。
もし叱らなければいけな事があったとしても、これじゃあ迫力ないな、と思う。
叱るなんて もうずっと何年も隆人に関しては必要なかったことだけれど。

「本当に、これ観るの?」
「うん」
「当日、母さんも来る?」
高校のクリスマス祝賀会の日が近づいて、珍しく隆人は奈津子に頼みごとをした。
もう観る事もないだろうと思っていたビデオテープ。それでも何故か捨ててしまえずにいた。
「めぐみちゃんのお母さんと弟さんに観せてあげたいんだ」
「あなたは・・大丈夫なの?」

あの日・・ビデオを探しながら奈津子は思い出す。
あの時は、ただ誇らしい気持ちで一杯だった。
「三博士役の方が歌は長いのよ。それに二人のシーンでも、やっぱりマリア様の方が目立つしね。
 そうそう、マリア役の女の子大人しい子でね、隆人がそれは一生懸命サポートしてるの、わが子ながら感心しちゃった」
見舞いに行くたびに自慢げに話す奈津子に、入院中の隆人の祖父はいつも静かに微笑んだ。
本番の日のビデオは業者が撮って、出来上がって手元に来るのは年を越す。
リハーサルの様子を撮る許可が出たので、その日奈津子は張り切ってビデオカメラを持って行ったのだった。
マリア役の子のお母さんが小さい弟をあやしながら廊下で不安げに立っていた。
声を掛けようかと思ったが、人付き合いの苦手なひとらしく、いつも赤ん坊を抱いて、隅の方にいる。
他のお母さんたちがちらちらと、奈津子とめぐみの母に目をやりながら通り過ぎる。
「そこには羨望が渦を巻いている」・・ちょっと大げさな気がしたが、何かの本の一節を思い出した。
嫉妬と羨望を受けて立つ自分の状況を思っても、自然と浮かんでくる微笑を隠せなかった。

明るい性格だった息子があれから無口になり、クリスマスの時期になるときまって傷がうずくと言い出した。
どうしてやればいいんだろう・・見守るしかないんだろうか。してやれることのなさに奈津子も何度も泣いた。
だから隆人があの中学を受験したいと言い出した時、かなり戸惑ったのだ。

「大丈夫だよ」
母の肩をポンと叩き、
「探し出してくれてありがとう」
ビデオテープを鞄に入れて、また以前出と同じ、30分遅い時刻に家を出た。



長い校長の話と神父様の祈り、聖書の話が続く。来賓の席には幼稚園の園長の姿も見えた。
隆人に促されて、母の奈津子が父兄席に着いた。OBである草太の家族も並んで座っている。
舞台袖で静弥は時計を確認する。もう来ないかと思った美由紀が講堂の入り口に現れた。
「大天使、来れなくて残念だったなぁ」草太が静弥に耳打ちする。
春香は朝のホームで「しっかりね」と隆人に告げ、自分の学校に行った。
静弥にも同じようにメールをくれた。
「生徒会長からの挨拶」・・アナウンスが入り 直行がステージに出る。

「えー・・どんな説明より、このビデオを観て貰うのが一番なんだけど・・
幼稚園の子どもたちが精一杯心込め、キリストの降誕劇を演じます」
直行は一息つき、ステージ脇にいる隆人と静弥、客席の静弥の母を見た。
「予定外なんだが・・少し説明 加えるな。
 マリア様役の女の子は 恥ずかしがり屋で練習中も泣いてばかりいたそうです。でも、支えてくれる仲間がいて、
 見守ってくれるお母さんがいて、だから、ここまでやり遂げたんだと・・・俺は思う」

「この年、残念なことに本番はできませんでした。だから今ここで・・」
直行の言葉に、波のようにざわめきが起こる。静かになるのを待って、直行は続けた。
「ごめん、悪い。上手く言えねぇや・・・もういいから映像出して」

電気が消え、古い映像がスクリーンに映し出された。
少女の歌声は澄み渡り、周囲を圧倒する。
多くの子ども達の中にはユーモラスな動きをする者もいるし、音程が外れた声も聞こえてくる。
悪気のないクスクス笑いも間に起きたけれど、会場全体が小さい者たちへの温かい気持ちで満たされた。
よくここまで覚えるものだと素直に感心する者、思い出の曲を口ずさむ者。
暗がりの中、静弥は母の姿を探す。

─御子の生まれし清きこの夜、みんなでお祝いいたしましょう
フィナーレで、映像の子ども達が歌いだすと、直行は、舞台袖に行った。
「ほら、来いよ」
直行は、静弥と隆人を両手で包むように後ろから腕を回すと、舞台中央まで連れ出した。
歓声が上がる。
「歌えるんだろ?」
二人の肩を抱いたまま、直行が静弥の耳元で囁く。
「おふくろさんに届けてやりな。ボーイソプラノの美声、後何年も持たないぞ」
この日の準備のために、生徒会室でビデオを編集しながら何度も皆で歌った。

ごくん、と唾を飲み込み、一歩進み出る。
ビデオの少女の声に、よく似た澄んだ声がぴたりと重なった。
頬を上気させた笑顔のめぐみが スクリーンに大写しになる。
しっかり手をつなぐ、小さなヨセフも笑顔だった。

拍手。

紅潮した頬で、静弥は舞台袖に戻る。
「やった、やった」
「最高!」
草太がふざけて小躍りし、直行がガッツポーズで叫ぶ。
手伝ってくれた他の生徒会役員たちも皆 笑顔で迎えてくれた。
明るくなった講堂の客席で、美幸が顔をくしゃくしゃにしながら微笑んでいた。

立ち止まり、振り向く。カーテンの陰でまだ舞台を見つめる隆人がいた。
直行が声を掛けようと一歩出る前に、静弥が隆人に駆け寄った。
「ありがとう、『たかとくん』」
隆人の両の手を握り、歌ったときと同じ澄んだ声で 静弥は言った。
「『たかとくん』、マリアさまはね・・」
「ん・・?」
静弥を見下ろす隆人の瞳が、一瞬不安そうに揺れる。
「マリアさまはね・・ヨセフさまが 大好きだったんだよ」
背伸びした静弥が 隆人の耳元に顔を近づけて小さな声で告げた。
一瞬隆人は顔を引いて、静弥を見つめる。
「めぐみはリハーサルのあの日、最期まで、本当に幸せだったんだよ、きっとね」
コトン・・講堂の舞台裏に乾いた音を立て、
隆人はそのまま崩折るようにして床に膝をついた。
両の手で顔を覆い、そのまま膝を抱え込むようにしてうずくまる。 
「泣いてるの?」
隆人に優しく問いかけながら、静弥は隆人の髪にそっと触れ
そのままふわりと抱きしめた。


「何か妬けますねぇ」
つん、と草太が直行を肘でつつき、
「ばーか」
直行がげんこつを草太の真上から落とす。



天使たちがの囁きが聞こえた気がして、直行は光射し込む天窓のステンドグラスを見上げた。
横断歩道の傍に供えられた花束には きっと穏やかな日差しが降りかかる。


Merry X'mas





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コメント

Re.aoiさん

読んでくれてありがとうございます(^^)。
ビバリーヒルズ・・何回か観たことあると思います。
海外ドラマってそういう群像描くの多いですよね。
弁護士事務所のとか病院のとか、いくつか楽しみに観た記憶があります。
誰かの歌じゃないけど、皆が主人公。現実はそうですもんね。
書き込まなくっても、ちゃんと背景のある脇役を書きたいと思います(^^)

やっと読ませて頂きました~!

今回は、登場人物が沢山出てきますが、
彼ら一人一人の想いが随所に出ていて、
誰に感情移入するかによって、
また違った面白さがあるのではないかと思いました!

ところで、ビバリーヒルズ高校白書ってご存じですか?
私の大好きな海外ドラマなのですけど、
そのお話も、仲間の誰か一人が主人公のお話ではなくて、
それぞれが皆主人公のようであり、
彼らの気持ちやストーリーが沢山存在しているので、
いろんな楽しみ方ができるのですよね。
今回のなずなさんのお話を読ませて頂いて、
そんな今までとはまた違った魅力を感じました!
特にラストのあたりは凄く好きですね~!

こんなに長いお話を作られるのって大変でしょうね…
こういうふうに作品が増えていくと、
作品集なんていうものを作るのも面白いかもしれないですね!

tanuちゃん、ありがとう。
「トーマ」目指すぞ宣言からだいぶ苦労して、話をまとめました。
「トーマ」はだいぶ遠かったけど、相変わらずこういう世界が好きな自分を感じたよ(^。^)

すばらしいです。

なずなちゃんの話はいつも よく練りこんであって
とても素人とは思えないできばえで、さらにいつも切なくさせられるんですが 今回は本当に 涙でました(T-T)

Re.まひるさん

コメントありがとうございます。(^^)
周りの皆さんがこのテーマで どう書いてこられ、長いばかりか浮いてしまうのではないかと少し心配していました。
どんな表現の仕方をされていても、皆さんが物語りをつむぐのに
とても真剣なので、ここに参加できて良かったな・・と心から思いました。
またご一緒したいです(企画もの以外でもね。)

初めまして

こんにちは。 SMCでは御一緒させていただきました、篠原です。^^

私も、なずなさんの凄くいいなと思いましたよ。 安易な発想でクリスマスと言うものを扱っていないし、そしていつものなずなさんの信念のような枠は外さない。
素敵でした。 お疲れ様です。

Re.besoさん

ポチっと、ありがとうございます。
長い話を読んでいただけただけでも、もぉ・・嬉しいですっ(^^)

久々に寄せてもらいました。
長編、力作ですね。
拍手をポチッと押させてもらいましたよ~♪

Re.ヨッピちゃん

ありがとう。素直に嬉しい。
ひとが沢山出てきて、あのひともこのひとも、ちゃんと書いてあげたくなって、ずんずん長くなっていきます(^^)

どうも結果的に 父親をほったらかしにする作品が多い気が、自分でもしたりして・・・(いや、あくまで「作品」の話で)

ごめんねー。美味しいご飯をゆっくり食べてね。

ひどいよ、なずなちゃん(⌒-⌒)ニコニコ...

一気に読ませるんだもの。
まだご飯食べてないし…今夜は一人だから出来合いで済まそうかなと。
今から買い物ですよ。

話を戻すね。
どうなるんだろう、この先はどうなるんだろう?
なずなちゃんはどう処理するんだろう?
読み出したら止まらない。

何時もハッピーエンドでありがとう!
傷ついた人たちを立ち直らせてくれる切欠をありがとう。
できたら去っていった親父も救って欲しかったけど、もう他の人と幸せになってるのかもね。

今迄で一番好きな作品かも。
って、何時も思ってたりして(⌒-⌒)ニコニコ...

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すずはら なずな

すずはら なずな

どれも短いお話ですが 
一つでも心に残ったら嬉しいな。

過去記事どこにでも、
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喜びます。

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